2006年10月10日 (火)

「国際シンポ」速報2-感想

今回のシンポは、医療関係団体の方も参加してくださって、ご発言してくださいました。日本精神神経科診療所協会の先生や日本精神神経学会の先生からの率直な発言がありました。また、日本精神科病院協会の先生も参加しておられました。なかなか、緊迫したディスカッションでしたが、医療と心理の関係者が直接に意見を交し合うこの機会は、本当に待ち望んでいたものでした。医療関係の皆さんの意見にはまだまだ理解をいただくまでの距離も感じましたが、このような議論を重ねることの大切さを再認識しました。

今回のシンポの中で、すべての先生が強調されていたのは、心理学独自の専門性とその対人サービスがあり、それは医療のサービスとは異なるものだ、ということだと思います。この点を、海外の先生はさかんに、心理士の立場はfree(フリー)である、と強調していました。この意識はわれわれにとってはなじみのある考えと思うのですが、医療の方々からはやはりわかりにくいのでしょう。

フロアーからは、社会福祉士の方からの発言もありました。この発言は、私は聴いていて、思わず涙が出てきました。ソーシャルワーカーが医療の分野に入ることの困難さの歴史と、医療に入るならばと条件を提示され(医療関連科目を大幅に履修することを要求されたとのこと)、それではソーシャルワークの独自性を保てないということで話を断ったという話、その結果「100年は医療の世界には入ってこれない」と言われてしまったという話でした。まさに、同じようなことが心理の世界でも起こっていますね。

国家資格問題は、自分(心理士自身)のためとか地位向上のためということではなく、心理学の知恵を質の高いサービスとして享受する国民の権利を、守ることができるかどうかということとイコールであると再認識しました。海外ではそのような国民の権利を保障する法整備を整えたところが多いです。さて、日本は?ということですね。

どうぞ、皆さんのご意見、ご質問をおよせください。

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「心理専門職に関する国際シンポジウム」速報1

本日(2006年10月9日)、東大の安田講堂で、シンポジウムが開催されました。

参加者は400名ぐらいだったでしょうか。熱気のある会でした。

詳しい内容は追ってご報告しようと思いますが、参加した感想を少しだけ・・・。

はじめに、河村健夫先生(国会議員)からのビデオでの挨拶がありました。臨床心理士の役割の重要性に触れながら、「今度の臨時国会で、前回用意した法案を提出できないか調整中である」という力強い言葉をいただきました。

海外から参加のAlfred Pritz(世界心理療法協議会会長), Peter Kinderman(リバプール大学), Orjan Salling(スウェーデン心理学協会理事長)ともに、それぞれの国の心理職国家資格の重要性と大変さなど、いろんな話を語ってくれました。

Pritz先生は、心理療法家がなぜ政治的な動きが苦手がという心理的検討から始まり、心理職が政治的に動くことが、クライエントや国民のためになるという話をとてもわかりやすく語ってくれました。また、心理職の国家資格の標準的な姿を提示してくれました。

Kinderman先生は、英国の臨床心理の資格化の動きをとてもわかりやすく説明してくれました。医療とは異なる心理士の役割について、たとえ精神障害であっても障害にいたる心理的プロセスの見立てと介入については、心理士の役割であると明確に述べてくれました。

Salling先生は、スウェーデンの国家資格化の経験を説明してくれました。さすがに福祉国家のこともあるでしょう、理想的な心理職国家資格化を達成しています。心理職養成のカリキュラムを少しずつ拡充して、質の高いものにしていく粘り強さは印象的でした。

日本からは、乾吉佑先生が日本の国家資格の検討の歴史と現状をわかりやすくお話しくださいました。臨床心理職を医行為とするかどうかについての議論についても、その経緯を丁寧に説明してくれました。平木典子先生は、心理学諸学会連合の動きについてお話くださいましたし、亀口憲治先生は、システム論な観点も含めて、より大きな視点から国家資格化を議論してくださいました。

(これは私の個人的なまとめです)

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2006年1月 9日 (月)

臨床心理士会ワークショップでの国家資格に関する講演

昨日(もう一昨日、2006年1月8日(日))になりますが、

日本臨床心理士会主催の「第13回医療における心理臨床ワークショップ」において、

「臨床心理士の国家資格をめぐる諸問題」と題する講演が行われました。演者は、心理職国家資格問題についてその経緯を熟知されている、心理士会統括副会長の乾吉佑先生でした。

午前中の2時間をかけての講演で、心理職国家資格をめぐっての40年以上前からの経過の説明や、なぜ国家資格が困難なのかという情勢分析、昨年の国家資格をめぐる動きなどを、非常にわかりやすく説明してくれました。

会場にはたぶん1000名近い(?)臨床心理士が参加していました。資料などとても参考になると思うので、参加した人が近くにおられれば、ぜひ資料をみせてもらうとよいでしょう。

講演の内容に関して、ここで整理して正確にお伝えするのは、私には無理なので、講演を聞いて印象に残った点をいくつか・・・(ですから、あくまで文責は私です)

まず、非公式およびブログ上で国家資格に関する情報や考えを知ることは多かったのですが、公式の場で臨床心理士会幹部の先生から、ここまで丁寧に話を聞けたのははじめてでした。とてもよい機会だったと思います。国家資格をめぐる半世紀近い「戦い」の歴史を知ることで、いろいろと考えさせられました。

国家資格を作るためには実績を作ることも重要ということで、資格認定協会、スクールカウンセリング(SC)事業、臨床心理士会(職能団体)、県心理士会、指定大学院などを作ってきたが、それらの実績作りの中で問題も生じている、というようなことをおっしゃっていました。この認識がきけたことは、私にとって少し救われる思いでした。このあたりのニュアンスは講演を直接聞いていないとわかりにくいかもしれませんが、SC事業や指定大学院の一部の問題などを見聞きして心を痛めている(し何とかならないかと気をもんでいる)私として、自分のやれることをやっていこうと、少し励まされた感じです。

実績作りのためにがんばっていたら、一方で「民間資格なのに」などと言われてしまう幹部の方々の大変さに、少し共感してしまいました(共感しすぎかもしれませんが・・・)。

医行為か医行為でないかの長年の議論が、国家資格を妨げる要因のひとつであるという話は、今回も強調されていました。その中でカリキュラムの話が出て、診療補助職の理学療法士では、医療関係科目が89%、言語聴覚士では医療関連科目が45%などとなっているということ。診療補助職となると、医療関連科目の割合が多くなり、それが心理職の養成としていかがなものか、といったお話でした。この点は、私もこのブログで、過去に問題提起している点です(教育カリキュラム)。臨床心理専門職のアイデンティティの認識と、養成カリキュラムとは密接に関係すると思います。

昨年の国家資格検討の中で、医師の指示に関して、「病院、診療所で医行為に伴う業務を行う場合は、それが医行為ではなく責任の所在を明確にするということで”医師の指示”としていただいてよい」という見解が示され、この見解はこれまでの臨床心理士会の見解からすると一歩踏み込んだものだということも強調されていました。この内容は、骨子にも反映されましたね。心理士会として大きな譲歩だったと思いますが、乾先生から丁寧な説明がなされました。

私の意見ですが、これは「みなし医行為」ともいうべき新しい法的概念ではないかとさえ考えてしまいます(あくまで私の意見ですよ)。保助看法を一部解除せず、しかし医師の指示下におくという方法ですね。これには似た前例はあって、管理栄養士は近い形をとっていると思います(似たようなコメントはたくさんいただいていますね)。この考え方は今後も維持されるような感じです。

あと、乾先生としては、前回検討された法案骨子は「流れた」のではなく、検討が「止まっている」という認識であると強調されていました。今後、この法案がどのように扱われるか要チェックということなのでしょうね。

ニュアンスが違う点もあるかもしれないので、参加した方々の修正などコメントをお願いします。なるべく多くの人に情報を知ってもらいたいので、ここに印象記ということで記しました。

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2006年1月 6日 (金)

日精協の心理職国家資格に関する動き

すでにご存知の方も多いと思いますが、日本精神科病院協会において、心理職国家資格のための検討チームが立ち上がっていますね。

日精協のホームページの月間予定の2006/1/18欄に
「医療保健心理士(仮称)国家資格制度に向けた専門対応チーム 17:00〜」
の予定が入っています。 
(医療と心理士の間に「保健」が入っています)
過去の予定をみると、2005/12/1にも同じような会が開かれていますので、すでに検討がスタートしているのでしょうね。

どのような内容の検討がなされているか、ぜひとも情報公開してもらえると幅広く議論ができてよいかと思います。情報をお持ちの方はぜひともコメントをお願いいたします。この検討チームで幅広い意見を集約するために、多分野からの意見収集のヒアリングやシンポジウム等が企画されるとうれしいです。

特に、国家資格の範囲(医療限定か汎用か、医療限定にするにしてもその範囲)、学歴(「大学院」か「学部+研修期間」か)、医行為との関連(保助看法解除、医師の指示)などについて、どのような議論がなされるか注目しています。どうかこれまでの議論の枠を越えて、幅広い視点から検討がなされることを期待します。

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2005年12月 5日 (月)

こころの支援と医学モデル

今から20年前の話ですが・・・。

ある新聞に、「不登校の多くは(精神分裂病(当時)のような)精神疾患を有する」といった記事が一面に載ったことがあります。医学的治療が必要な群が含まれているのは事実ですが、多くは統合失調症という見解はさすがに厳しいところです。社会の心の問題を、医学モデルでみようと無理した一例です

DSMができて、さすがにへんてこな診断がまかり通ることはなくなりました。
しかし、DSMに定義された診断であっても、
その医学的実体がどの程度あるのか疑問な診断カテゴリーもあります。たとえば、人格障害のカテゴリーの中には、はたして疾病単位として成立するか首をかしげるものがあります。

診断→治療という医学モデル介入には、非常に強力なパワーと有効性があります。しかし一方、医学モデルのみの枠組みでは、充分にとらえきれない社会と心に関する現象もあるという認識が、重要と考えます。
 
自殺予防に対する支援を話し合う時に、最近しばしば問題となるのは、「自殺予防対策=うつ病対策」となることです。もちろん、自殺者の中にうつ病の人が多いのも事実と思いますが、うつ病対策(医学モデル)のみでは、有効なうつ病予防対策を打ち出すことができない。医学モデルから学ぶことは多いのですが、社会の中のこころの支援を論じるにはそれだけでは決定的に不足していると考えます。

確かに、心理臨床の世界にも、医学モデルに基づいてこころの支援を整理しようという動きがあります。米国心理学会(APA)の第12部会(臨床心理学部会)が、1995年にガイドラインとして出した「十分に確立された介入法」などをみると、精神医学的診断別の介入法が議論されていて、医学モデルに基づいて心理臨床の介入を整理していることがわかります。

医学モデルに基づく介入法の検討が重要であることはわかります。しかし、それがこころの支援や臨床心理的介入の基礎と考えるのであれば、それは間違っているでしょう。医学モデルによる実践は、私が現場で行っている活動の一部を占めるにすぎません。医学モデルのもっと根本のところに、「心理臨床モデル」といったものがあると考えます。「心理臨床モデル」というか、「臨床人間学的モデル」といった方がよいかもしれません。そして、そのモデルを土台として臨床心理学が成立しているといってよいでしょう。

「医学モデル」に基づく介入のみでは、病気をみて人(の心全体)を見ずということに陥りかねません。特に、その医療モデルに基礎をおく心理士が、医療心理師法案のような学部4年間で養成されるとするならば、「木をみて森をみず」の傾向はますます強まるでしょう。学部4年間では、技術の習得だけでせいいっぱいですね。人間の心の存在のあり方といった大切な思索をする間もないでしょう。

誤解のないように繰り返します。
こころの支援を行うにあたって、医学モデルによる考察は必須です。その考察のないこころの支援はありえないと考えます。医学モデルに基づいたこころの支援もあってよいと思います。しかし、医学モデルによる介入のみが、心理臨床活動ではないと思います。また、医学モデルに基づいた介入が心理臨床活動の中核ではないことを強調しておきたいと考えます。

このように主張する私ですが、「医学モデル」ではない視点を大切にするよう教えてくれた先生や諸先輩の中に、医師の方々もたくさんおられます。今から考えても、自分の依拠する分野の限界を意識して実践を進める諸先輩には頭が下がります。しかし、「医学モデル」でない視点とは何なのか、その大切さも含めて私にはピンときませんでした。

その後、現場の実践を積み重ねる中で、医学モデルで対応すべきなのにしていない事例にたくさん出会いました。一方、医学モデルで対応すべきでないのに、医学モデルにのってしまい、不適切にゆれている事例にも多数出会いました。それらの事例を検討しながら、医学モデルや心理臨床モデルを意識しつつ、かつ柔軟に展開させていくことの大切さを身に染みて痛感するようになりました。なかなか難しいけれど・・・。

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2005年10月 6日 (木)

「こころへの侵襲性」に関するのひとつの提案

「サイコセラピーのリスク」については、多数のコメントありがとうございます。その議論の本筋とはちょっとずれるのですが、医行為に関することで、ずっと考えていたことなのですが、ご意見をいただければと・・・。

それは、「こころへの侵襲性」に関する話です。すでに社会的文脈で、「こころへの侵襲性」という表現がふさわしくないことが、何度も指摘されています。「体への侵襲性」は医行為の定義として、社会(法)も認めています。しかし、「こころへの侵襲性」は比喩的表現であり、社会において実体のあるものとして認められない、という判断になっていると、私は理解しています。

そこで、こころへの負の影響については、「侵襲性」という言葉を用いるのはやめ、「リスク」という言葉を用いるようにしてはどうでしょう。つまり、「心理学的行為の侵襲性」とは社会的文脈では用いず、「心理学的行為のリスク」と用いるようにしてはということです。

afcpさんや他の皆さんも主張するように、侵襲性を分けることを学問的実体を持って行うことは不可能ということは充分理解しています。その上で、社会という場では、体への侵襲性とは言う(すでに言われていることを容認する)が、心への侵襲性という表現は、比ゆ的で拡大して用いられる表現で外延が不明確となるので、用いないように考えるということです。

そうすれば、

心理学的行為の専門性が高い → 侵襲性がある → 医行為に含む

心理学的行為は医行為でない → 侵襲性がない → 専門性がなくだれでもできる → 国家資格は必要ない

というへんなロジックから抜け出ることができるのでは・・・。

afcpさんもそのあたりを配慮してか、最近のコメントで「リスク」という表現を使ってくれていますね。

つまり話を整理すると、

心理学的行為はリスクを有する → 侵襲性はないので医行為ではない → リスクを充分管理するための国家資格化が必要

皆さんが指摘するように、こころへのリスクには当然体へのリスクに直結するものもあるし(リストカットなど)、心と体をわけて論じることは専門家の中の議論としては不毛です。実際、「こころへの侵襲性」という表現は日常の臨床でよく用いるしとても便利です。しかし、社会の場では、それは比喩的表現にすぎないことを、法的(社会的)議論をする場合には自覚しましょうということです。

ここで問題となるのは、医師が薬物療法や電気けいれん療法などの「体への侵襲」を伴わない精神療法的かかわりを行った場合、それは「こころの侵襲性」を持つと言うべきかどうかということです。私は、医師が病院において行う精神療法的行為は、投薬や侵襲的治療につながる(ことを暗示しうる)という意味で、「侵襲性を帯びる」と社会がみなしていると考えてよいのではないかと・・・。

一方、医師が産業医としてまたは学校医として(つまり医療機関以外で)、相談業務にかかわる場合は、その行為はこの定義では「侵襲性」をおびないので、医行為とは言えなくなるのですが、この点はどうなんでしょうか?医師が行うことはすべて医行為とするのも不自然ですから・・・・。

一方、病院であっても、心理士が心理療法を行う場合は、投薬や侵襲的治療も心理士がおこなう(ことを暗示する)ことはないので、「こころへの侵襲性」を持たず、こころへのリスクを有すると考えるわけです。しかし、医療チーム全体の行為としては「侵襲性」を有するので、チームのトップである医師(管理医)の指示下におかれることになる・・・。

こう考えると、病院の心理士より地域の心理士の方が、医師の指示下におかれないという意味では、高いリスクの中で対応しなければならない(場合がある)でしょう。その分、高い専門性が求められ、国家資格の必要性があると考えられるのかもしれません。

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2005年9月25日 (日)

サイコセラピーのリスクについて

国家資格を議論する中で、サイコセラピー的関与によって起こりえるリスク(危険性)について充分に検討する必要性が議論されています。心理学的行為と医行為との関係を論じる上で、避けて通れない議論です。この点について、いくつかコメントをもらっています。

Afcpさん>ただ一部の医師が恐れている、そして僕自身も心配していますし、これまでに苦労もさせられたことがあるのは、心理療法を受けた、あるいは現に受けているケースが、著しい行動化、退行などを呈し、結局医療で「後始末」をさせられること、でもあるように思います。

bxq2uwさん>afcpさんは控えめにおっしゃっていますが、現に心理療法を受けているケースが著しい行動化や退行を起こすということであるなら、自然経過による増悪という側面があったとしても、少なくとも見立て違いということがあったのでしょうし、そこに起因する関わり方の間違いというのもおそらくあった上でのことでしょう。一言で言って心理臨床として質が低いという問題だと思います。これは質を向上させるということしかありません。どうやって向上させるか、これはまさに心理臨床の重要な課題です。

つなでさん>問題は、人に尻ぬぐいを押しつけるような心理療法(精神療法)のやり方、そのような心理療法の学び方にあるのではないかと思います。医師であれ、心理職であれ、しっかり勉強してトレーニングを積み、何より、勉強とトレーニングの仲間を持たないと、心理療法の実力はつくはずがないですね。心理療法をしている人どうしで、いかに研鑽を積むかということでしょうか。心理職の養成課程がそのような実力のつくものになるために、国家資格化のこともよく考えないといけないと思います。長年の心理療法の試行錯誤の成果が生かされるような養成がなされていかなければならないと思います。

サイコセラピーの持つ効果があることを前提にしながらも、一方で起こりえるリスク(危険性)についてふれてみたいと思います。以下のようになることを防ぐ見立て力は重要ですね。

     薬物療法が必須のケースにサイコセラピーを続け状態を悪化させる

     強い内的葛藤を言語化させ(アンカバーし)、状態を悪化させる

     家族の問題を安易に取り上げ強い家族間の衝突を誘発する

     枠を決めずに依存、退行させ、激しい行動化を誘発する

     強い依存的関係を築きケースが他のリソースを利用する可能性を奪う

     受療中ケースに医療へのネガティブな意見を伝え受療中断を招く

     自傷他害ケースにマネジメント的関与を行わず事故や事件が発生する

     サイコセラピーでは対応できない状態なのに「対応できる」と考え対応してしまう

まだまだあるでしょうし別な表現もあると思いますが、ぱっと思いあたることを挙げてみました。

「①薬物療法導入せず悪化」については、心理療法的関与を行うものとして、常に気をつける必要があることです。心理療法家は、目の前に現れたケースに対して、サイコセラピーを行うことが適当か、それとも薬物療法の導入を第一選択として促すべきか、見立て判断する必要があります。またそのような見立てができるスキルを持つ必要があるでしょう。

 

「②内的葛藤のアンカバー」については、心理療法家のスキルそのものといってよいと思います。共感とか傾聴といった対応のみでは、この問題を避けることができないでしょう。見立てによっては、「聴かない」「語ることの危険性を話し合う」といったかかわりが重要となる場合があります。一方で、サイコセラピーにアンカバーによる混乱はある程度はやむをえないという判断もあるかもしれません。

 

「③家族間の衝突の誘発」ですが、家族に解決力がない若者に、「家族でよく相談してください」とカウンセラーが伝えたばっかりに、家族で大喧嘩になって若者が家出してしまった、こんな私の苦い経験があります。スーパーバイザーには「家族でよく相談してください」と伝えてはいけない場合があるんだと怒られました。

 

「④依存や退行の問題」ですが、これはこれまでもコメントで何度も取り上げられている、サイコセラピーの「副作用」ともいうべきものですね。これに対応するためのトレーニングとスーパーバイズとを、心理士は充分に受ける必要があるでしょう。専門家とそうでない人とを分けるのは、この対応のスキルがあるかないかもひとつかなと考えます。

   

「⑤他リソース利用の可能性を奪う」です。すぐれたサイコセラピーは、本人の持つリソースを有効に活用し、また本人が自らそれを有効に利用することを促進するものだと思います。

   

「⑥受療中断を招く」については、ケースが現在の治療に不満を持っていて、セカンドオピニオンを求めてきたり、他の医療機関を紹介してほしいと要望してきた場合に、デリケートな問題となります。もちろん、現在の主治医とよく話し合うように伝えることが多いのですが、本人がどうしても納得せず中断になってしまう場合があります。受療中ケースに対して地域の心理士はどのような相談機能を持つか、より深い議論が必要になると思います。

   

「⑦自傷他害ケースへのマネジメント」「⑧できないことをできるという」については、別なエントリーを挙げて詳しく議論したいと思います。特に、自傷他害のリスクマネジメントに関して、心理士は甘い場合がよくみられます。医療機関であれば主治医が入院や保護者連絡などマネジメントしてくれますが、地域においてはそれぞれの場所の管理者と連絡をとりながら、心理士は対応する必要があります。その意味では、医療機関より地域の心理士の方が高いマネジメント力を求められるといってもよいでしょう。

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2005年9月16日 (金)

サイコセラピーに医行為の線を引くということ

何度も議論されていることですが重要なことなので、再び・・・。

サイコセラピーは医行為なのかどうかという議論を、心理職の国家資格化に伴う法律論で考えるならば、afcpさん他が語るように、「医療提供機関=医行為的」「それ以外(地域)=医行為とみなさず」という整理が中心になるでしょうし、これは先の法律案でも、医療提供施設=医師の指示、と整理されていました。

しかし、傷病者へのサイコセラピーは、場所が医療提供機関でなくても「侵襲性が高い」ため「医行為的」となるのでは、という感覚が、たぶん医療関係者としてはなじみのあるものかもしれませんね。医療関係団体の先の法律案への反対意見も、この感覚に基づくものであったと思います。

しかし、地域でサイコセラピーを行う心理士としては、傷病者へのサイコセラピーを医行為とは考えない。「侵襲性の高さ」とその回避を考えながらも、医行為としてではなく、心理相談として対応していくわけです。ですから、地域で心理士の行うサイコセラピーは医行為ではないと、多くの心理士は考えています。

この感覚の違いは、afcpさんとデスマさんの議論でも取り上げられました。そして、感覚の違いはあるとしても、心理職の国家資格化のための法律論整備のために、医行為の範囲を論理的にどう線引きするかが重要という意見になってきたかと思います。

そのような状況の中、厚生労働省医事課の見解の情報が、うろつきさんから寄せられました。

うろつきさん>医行為を法制化にする作業は医事課の範疇となり、医事課では医行為の範囲を具体化する必要があるが、上記の皆さんの議論のごとくその範囲を規定できないといわれました。

うろつきさん>医事課は心理学的な自我への侵襲性は法律の文言として不適切であるとの見解でしたので、医行為の範囲を明確に規定することができなかったのです。

このあたりのニュアンスは重要なので、9/10のエントリーをあげさせてもらいました。さてこの見解は、医療関係者にとっては違和感のあるものでしょう。Afcpさんからは次のような意見がよせられました。

Afcpさん>すると「医師」と名乗りさえしなければ、非医療機関において、明らかな精神疾患を持つ患者にでさえも、治療目的と称して精神療法、心理療法を行うことは、医行為性を持たず、従って違法でもないという解釈になるのでしょうか。

あるいはそれは、医師法には違反しないが、有害事象が生じれば、刑法により傷害罪とされるということになるのでしょうか。

現状はそれに近いのかもしれませんが、違和感は残りますね。

上記で、「治療目的と称して」というところが重要と考えます。「治療」という言葉は日常語でもあり比喩的にも用いられるのですが、地域の心理士はたとえ医師を名乗らなくても「医師の行う治療を連想させるような」治療行為は行ってはならないと考えます。むしろ、地域の場で心理士は、なるべく医療行為とは明確に線引きし、医行為とは違う心理相談であることをクライエントに明示する形で、サイコセラピーを行うべきでしょう。

ですから、地域の心理士は、「白衣をなるべく着ない」「治療という言葉を安易に用いない」「治療という言葉を用いる場合は、“心理的治療”など意味を限定して用い、医行為とは異なることを明確にする」などの配慮が、誤解を解くためにも必要と考えます。ちょっと神経質すぎる感じもしますが、これらは「医という名のもとの侵襲性」を防ぐ意味でも重要かなと思います。皆さんのご意見はいかがでしょう。

そして、これらは資格法の文面で規定するということより、法律運用における通達や心理士の倫理規定で明確にしていく方が、法律的には馴染むのではと思いますが、皆さんはどうお考えですか。

そもそもフロイトは精神科医でしたし精神分析の技術は心理の世界に大きく受け入れられました。一方、サイコセラピーの中で心理の世界で編み出された類は、ただちに医師によって意欲的に取り組まれ洗練されてきました。サイコセラピーの歴史は、医師と心理士とクライエント、他の多くの人々の共同作業です。

ですからサイコセラピーが医行為かどうかの議論が本質論ではないのは百も承知です。その認識をした上で、この日本社会でサイコセラピーをどう法的に位置づけるかいう作業を行うならば、医の文脈のサイコセラピーは「医行為性」を帯びる、心理の文脈のサイコセラピーは「医行為性」を帯びないという整理で進められないかということです。ちなみに、医療提供機関でのサイコセラピーは、心理士が行うとしても、医の文脈下ですから「医行為性」を帯びるわけです。

上記のafcpさんの違和感に関していうならば、「医師」を名乗らなくても、「医師の治療」というニュアンスが高まるほど、「医行為性」を帯び、医師法違反の可能性が高まる、ということではないでしょうか?あとは、法の理念に基づきその違法性を個々に検討し公開していくという感じでしょうか。

ところがこのような話になると、医療提供施設外においても、傷病者へのサイコセラピーの「侵襲性」が懸念として持ち出され、話が堂々めぐりとなります。繰り返しの議論ですね。「侵襲性」議論については、また別にエントリーする予定です。

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2005年9月10日 (土)

霞ヶ関でおきていること・・・「緊ブロ」的検討

霞ヶ関でおきていること・・・「緊ブロ」的検討

今後の国家資格化を考える上で、官僚(霞ヶ関)レベルでおきている貴重な情報をブログコメントでいただいていますので、ここで整理してみました。

Bxq2uwさん>精神衛生法の不備が国連人権小委員会で問題にされ、日本政府が精神衛生法の改正を表明しました。その日本政府というのは当時の精神衛生課です。国連人権小委員会の有力NGOメンバーである国際法律家協会(ICJ)の第一次調査団の勧告(1985)は精神衛生法の改正(1987)に大きな影響を与えました。法改正の効果を検証するために第二次調査団が派遣され、その勧告(1988)の中にPSWや臨床心理士の資格に関する提言が含まれていました。ですから、PSWや臨床心理技術者の資格問題は精神保健法に関連する問題として、その後の精神保健法改正の都度、国会の附帯決議に盛り込まれることになったのです。
ここまでは歴史的事実です。さて、このような経緯で、PSWや臨床心理技術者の資格法制化問題は精神保健課の所掌するところとなったわけです

精神保健(福祉)課が心理職国家資格を何とかしなければならないのは、国会の決議のみならず、国際的な要請もあるということですね。心理職の国家資格化は、心のケア分野において日本が「国際水準」になるために避けては通れない道であるということでしょう。

(ちなみに今回、精神保健福祉課長が異動になりましたので、新しい課長がどう考えているか知りたいところです。このあたりの情報もお待ちしています)

その後afcpさんとの激論の後、

bxq2uwさん>精神保健課が検討会や研究班をやっていたときに、何度も「医行為」のことが話題に出ましたが、そこで医事課と折衝をするとか医事課の担当者を呼んでレクチャーしてもらうとかの話にならなかったのを私は不思議に思いました。そして、医事課を呼んでは何か不都合なことでもあるのかな?と思っていました。そこから、精神保健課は医事課の了解を取り付けてはいないんだなと推測していました。
今回、私が非常に重要な情報だと思ったのは、全心協のホームページに載っていた、昨年の11月16日に資格法案策定に受けて(向けて?)関係者協議を開催という記事です。そこに「自民党議員4名、衆議院法制局、厚生労働省医事課、精神保健福祉課、全心協」とあります。
今まで医事課と同じテーブルにつくことを避けていた精神保健福祉課が、初めて医事課を呼んだのです。そして、その後に出てきたのが医行為に踏み込まない資格案であったわけです。私は「ついに精神保健福祉課が本気で資格を作る気になったな」と思いました。

つまり、医行為であるかどうかを行政判断する医事課が、今回「医行為でない」と判断したということですね。もちろん国会の場や通達などでの見解ではないので、変更の可能性はあるとしても現状での判断として重要でしょう。そして今回、「医行為」に関する医事課の見解と医療関係団体の意見が微妙に異なっているという事態が生じているということですね。

この点に関連して全心協幹部であるうろつきさんから貴重な情報をいただいています。

うろつきさん>医療・保健領域における「場」において、傷病者(カルテを作った人)を「対象」として行う臨床心理学的行為の一部には診断や治療といった「目的」でなされる医行為に該当する行為が存在する。
 そのため場と対象と目的を限定して、医行為に相当する行為を行う臨床心理技術者は医師の指示の下にその業務を行う。
と考えてきました。
 ところが、医行為を法制化にする作業は医事課の範疇となり、医事課では医行為の範囲を具体化する必要があるが、上記の皆さんの議論のごとくその範囲を規定できないといわれました。

さらに、医行為を業務として行う場合には保助看法の解除が必要となり、4年制大学卒を最低受験資格とすることは困難との判断も伺いました。
 そこで、臨床心理技術者の業務の医行為性にはあえて言及せず、医事課の範疇をはずし、チーム医療の業務の中に診療行為を含ませて考え、医師の指示の下とする法案骨子を衆議院法制局と考え出したわけです。
・・・・

これまでの議論からしても、医療領域における臨床心理技術者の業務の中に、診療行為の一部として、医行為性が含まれることはどなたも異論は無いと思います。しかし、医事課は心理学的な自我への侵襲性は法律の文言として不適切であるとの見解でしたので、医行為の範囲を明確に規定することができなかったのです。

この文章を読むと、医事課は「医行為ではない」と判断したというより、「(法律といて)医行為とするには困難があまりに多い」という意見を述べたという感じでしょうか。つまり、医事課は「医行為ではない」という最終判断を下した訳ではないということです。他のコメントでも触れられていますが、法律案上では「医行為」としないが、通達や通知などで事実上「医行為に近いもの」と規定していくという意見もあったのかもしれません。そのようなあうんの呼吸で、医療関係団体も納得したという感じではなかったか?この点は、今後の国家資格議論の上で重要と思うので、うろつきさんの追加のコメントをいただければ幸いです。

とはいえ、厚生科学研究の班研究の見解(医行為である)にもかかわらず、医事課が「医行為である」との判断を示さなかった事実は重要と思います。「自我への侵襲性」という考え方が、法律論上はあいまいかつ抽象的なものと考えたのでしょうね。他のコメント議論にもあるように、「自我への侵襲性」はいろんな分野に拡大されてしまいます。拡大された分野すべてが法律的に「医行為」となる危険性を、行政担当者や法律家は当然恐れるでしょう。この点は医療関係団体と監督官庁との見解の相違なので、そのままにしておくことはできないでしょう。

「医行為としないほうがよい」という医事課の「お墨付き」をもらったならば、精神保健福祉課としては医療分野限定でない汎用資格についても受け入れやすくなったでしょう。文部科学省の「臨床心理士」担当(官僚)チームとの交渉に、国会議員のリードでうまく入り、「文部科学省と厚生労働省の共管資格」という臨床心理士資格をまとめ上げたということですね。

今後のことでひとつだけ・・・。ここまで多くの国会議員も賛同し、霞ヶ関も動いた訳なので、私は次の心理職国家資格法案は、ぜひ政府提案(もちろん一本化した国家資格)で行ってほしいと思います。関係団体からの充分なヒアリングを行い、重要な情報は各団体に文書で提供しながら進めていってほしい。

もちろん、その政府提案を推進する国会議員の方々の力もますます重要になると思います。あすは総選挙ですが、心理職国家資格に理解ある代議士の方々にぜひ国会に戻ってきてほしいと願います。

「医行為」かどうかは、医療関係団体との議論も充分行うことはもちろんです。ただし、医事課が「法律の文言」として不適切と判断している以上、法案では医行為としないが、施行規則や通達、通知などで医行為性に言及し、「外延性」も定義していくというところが落としどころかなと思いますが、いかがでしょう(どなたかがすでに述べていたことと思います)。

もちろん、医行為性に関する検討や議論はまだまだ不充分ですので、「緊ブロ」では鋭意取り上げていきます。

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2005年9月 1日 (木)

こころへの侵襲性をめぐって

医行為をめぐるキーワード「侵襲性」についてafcpさんからこんなご意見をいただきました。

afcpさん
> 「侵襲性があるとすれば医行為である」ということではないでしょうか。この2つは似ているようでかなり違います。
心理行為に限らず人がする事が無侵襲であるということは、ほとんどあり得ないと思うので、無視できない程度の侵襲性があるかないか、というところがポイントだと思います。故に医行為でないとして心理行為を行うならば、その低侵襲性をある程度証明する必要があると思います。

こころの分野に関しては、「侵襲」という言葉の広さ(広義性)が議論の混乱を招いているという気がしてきました。

「こころへの侵襲性」に関していうならば、親の子供に対しての方がより侵襲的な時もある。夫から妻が、妻から夫が強く侵襲されている、恋人からの侵襲、親友からの侵襲・・・。世の中は、こころの侵襲にあふれていて、その侵襲に傷つき疲弊した人々が、心のケアを求める。(「価値観」「社会的役割」に侵襲されている場合もある)

「侵襲」され傷ついた人々が助けを求めにくるので、彼らは敏感であり傷つきやすく依存的にもなる。ですから彼らへのかかわり自体が、「侵襲性」を帯びるリスクがある。傷ついた人に「がんばれ」と励まし、自殺に追い込むほど侵襲してしまうといったことが、日常の会話においておき得る訳ですね。

とすると、「こころにかかわる専門家」は、医師であっても心理療法家であっても、傷ついた彼らへの「侵襲性」をいかに減ずるかへの技術を持ち、「侵襲」されている自分に気づき「侵襲」を観察する力をサポートし、「侵襲」に立ち向かっていける「自分」を回復する援助を行っているということもできるでしょう。日常に発生した「侵襲」から自分を取り戻すプロセスが心の支援の本質のひとつということもできるかもしれません。

このような「侵襲からの自己回復」において、医師は「医」の文脈の基に介入を行い、それを「医行為」というのですね。入院治療や薬物治療は、「医行為」の典型ですね。これらは非常に侵襲的であるけれども、一方で「自己回復」を促すためのプロセスでもある。いや、「自己回復」プロセスにするために、サイコセラピー的関与が重要となるといってよいのかもしれません。

ですから、サイコセラピー自体は、「侵襲からの自己回復」を促進する(目的とする)ものとして定義することが、本質に最も忠実な考え方と思うのです。つまり、サイコセラピーは「侵襲されている人々」にかかわるという意味で、「侵襲的」となる宿命を持つが、「侵襲的であるところに本質があるのではない」ということです。本質は、「侵襲」からその人の自分らしい感覚と判断を回復するためのプロセスの支援にある。そして、そのための知識や技術の体系が臨床心理学の本質といってもよい。

ですから、サイコセラピーが「侵襲性」を理由に、医行為にされてしまうことは、サイコセラピーの本質とは異なる点が強調されているな、本質をわかってもらえていないな、という感覚をもってしまうのです。むしろ、人とのかかわりにおける「侵襲」を減ずる知識とスキルの体系が、サイコセラピーの本質であるからです。

「医の名のもとのサイコセラピー」は、医という文脈で侵襲性を持つことはわかります。医師の言葉は、特別な重みを持って患者さんに受け取られますから。その重みによって多くの必要な介入が行われている。その意味で医行為と言えるのだと思います。しかし、サイコセラピーの本質である「侵襲からの回復」的な性質を、医行為の文脈で上手に利用しているのではないでしょうか。

「心理の名のもとのサイコセラピー」は、医療機関で行われる場合でも、この「侵襲からの回復」という本質的機能が大切なのだと思います。医の世界にありながら、医の持つ侵襲性を減じ自己回復を促す役割が、心理によるサイコセラピーには最も求められているのだと思うのです。そうすることで、医療の質を上げ国民の生活に寄与するということでしょう。

心理士の中には、医師の名(権威)をかりて、忙しい医師のかわりに「医行為的サイコセラピー」を行うことが求められている人もいます。医師は薬物療法、話は心理士、という役割分担において典型的にあらわれやすい。このような発想を自然と考える医師(心理士)は、「サイコセラピー=医行為」も自然なこととして受け入れるのかもしれません。しかし、繰り返しになりますが、このような役割分担は、私はサイコセラピーの本質とは異なる「やむおえないやり方(できれば変えていきたいやり方)」であると考えます。

医師には「医としての侵襲性(影響力)」に気をつけながら(時には利用しながら)、そして「医としての侵襲性」をコントロールするために「医の名のもとのサイコセラピー」を行うことが求められる。一方、心理士は、「医としての侵襲性」とは異なる、侵襲され傷ついた人が持つ「侵襲されやすさ」に充分配慮しながら、「侵襲からの自己回復」を支援する「心理の名のもとのサイコセラピー」が求められていると思います。

そして、国家資格は、上記に述べた ”「医としての侵襲性」とは異なる、侵襲され傷ついた人が持つ「侵襲されやすさ」に充分配慮しながら、「侵襲からの自己回復」を支援する「心理の名のもとのサイコセラピー」” を行う人を国が保障することであると思うし、国民にその名を広く伝え、国民が安心してその名を名乗る専門家を利用できる制度や社会を作ることと考えるのです。

もちろん、「侵襲されやすさ」への充分な配慮には、「限界」「リスク」「依存性」などがキーワードになるでしょうし、心理士にはそれに関する厳しいトレーニングが求められていると思います。

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2005年8月21日 (日)

「医行為」と心理職国家資格 : 建設的議論にむけて

「医行為」をめぐって激しい議論がかわされています。すでに法案要綱骨子に対する医療関係団体の反対声明にあるように、心理職国家資格は「医行為」で「保助看法解除」が前提との主張があります。

デスマさん>保助看法の一部解除で国家資格化すれば、医師の先生方からみれば整合性があってすっきりするとは思いますが、(医療現場以外で働く心理士)数千人をいないことにして法制化するのは、それはそれで困難が生じると思うんですよ。

何とか並び立つ方法が無いものかと思うんですが・・・。

「保助看法の一部解除」問題は長年の難問で、心理界が乗り越えられず分裂した歴史があるため、「並び立つ」アイデアは本当にほしいところです。

Psymioさん>一つの提案が日精協の「修正要求」ですが、これでは臨床心理士の方々は納得されないでしょう。やはり、距離は依然として遠いのです。残念ですが・・・対立してきた心理職の方々がまず一同に会して、忌憚ない意見交換するのが最も大切なことではないでしょうか。

心理職の対立の原因のひとつが「保助看法の一部解除」問題なので、この点については後の発言でpsymioさんも気にしておられます。Psymioさん(そしてichirouさん)の精力的なご発言で、この間の事情が本当にみえてきて、感謝です。

つなでさんしかし、状況はもう変化しています。心理職当事者がひとつのテーブルにつく方法について、何かいいアイディアのある方は、ぜひ教えてください。心理士会幹部で、どなたか話し合いに応じてくださる方々はないのでしょうか。第3者の仲介が必要というのなら、どのような方々にそれを依頼するのがいいでしょうか。

具体的な話し合いの場を考えていかないといけませんね。つなでさんの全心協と臨床心理士側を「つなぐ」立場はとても貴重と思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

デスマさん>医療領域に関しては、利害の対立は少ないと思います。

問題の焦点は、「他領域の心理職をどう処遇するか」という点であり、国家資格化「問題」の当事者は、医療領域ではなく、他領域の心理職だと、私は思います。

今回の議連の議員の動きをみても分かるように、「医療領域だけ」の国家資格化、というのは、それはそれで難しいと思います。文教系の議員だって、多数いるわけですし、学部卒の医療心理師が国家資格になれるのに、これまで活動してきた臨床心理士はそのまま、というのは、第三者的には、直観的におかしいわけです。

医療関係団体の方々にも、「医療領域だけの国家資格化なら認める」ということではなく、
そこの点では、妥協していただきたいと思う次第です。

医療領域を国家資格化するなら、他領域も国家資格化するのを前提として、「どういう連携のあり方が望ましいか」という点でのご意見、ご主張は、当然あってしかるべきだとは思いますし、
その点で、すり合わせが必要だとは思います。

私もデスマさんの意見に深く同意します。「医療のみの国家資格化」は、心理職に対してのみではなく、国民に対する利益にもならないと思います。

Ichi-ishiさんさて、これに対し、原案の臨床心理士法案は、医療法とは、全く別の資格法案です。横断的資格とするために、法制局もまったく異なる視点で作成しています。医療側からすると全く想定外のものという感じだと思います。この法案では、当然ながら、医療資格法の基本要件とはまったく異なるので、医行為とされる行為に関わることはできません。もっとも、この法案のような心理職としての横断的資格を先に作り、追って(または併行して)医療領域について、医療領域に特化した医療資格を作って行ってもよいのかもしれません。

まずは、心理職が、ひとつにまとまり、心理職独自の明確な意思を構想することが第一です。その上で、医療への整合性を検討していくのが適切なのではないかと思います。

Ichi-ishiさん> つなでさん
全心協と臨床心理士会が、きちんと話し合っていけるようになるよう、私も知人に臨床心理士会幹部がおりますので、私なりにも、努力してみます。どこまでできるかはわかりませんが、他のみなさんも、みんなで力を合わせて頑張っていきましょう。

Ichi-ishiさん> Psymioさん、ichirouさん
今は、まだ心理職がまとまっていくために時間が必要だと思います。しかし、医療における心理職の役割はきわめて重要であることに変わりはないと思います。推進協議会から離脱されたとしても、議論をあきらめず、長い目で見守っていただきたいと思います。われわれ医療職からすれば、お隣のことではありますが、相互の協力関係は、互いにとって不可欠のことであり、ユーザーのためにも重要であると思いますので。

Ichi-ishiさんは、この間の議論で丁寧な分析や論点の整理を行ってくれるとても貴重な存在です。心理職の独自性を充分に理解してくれていて非常に心強いです。心理職のことを理解してくれていると、自然な形で「心理職としての横断的資格を先に作り、追って(または併行して)医療領域について、医療領域に特化した医療資格を作って行ってもよいのかもしれません」と提案してくれるのだなと心強く思います。もちろん横断的資格に対しては、psymioさんが下に述べるような「心理行為の外延」などの厳密な議論が重要と理解しています。

Psymioさん医療心理師法案は「医療の普及及び向上に寄与することを目的とすること」、臨床心理士及び医療心理師法案要綱をでは、総則の目的は「国民の心の健康の確保に寄与すること」です。これが異なるだけで、保助看法の位置づけが本質的に異なります。また、対象を二分したことも大きな問題となり保助看法を改めて持ち出さざるを得なくなります。

両議連が秘密裏に交渉を続け、7/5に突如新法案を公開。その場に医療関係団体を呼ばず、事前に根回しもしなかったのは、必ずそのことで大きな問題が出ると認識していたからでしょう。ですから、大きな反対のないうちに、大慌ての議員立法で一点突破を図ったと見るべきです。

法案に横断的資格を入れ込むことで、心理行為の外延の規定が必ず必要になってきます。アクロバットな「保助看法解除もどき」では駄目だということです。デマスさんには腹立たしいかもしれませんが、日精診見解をもう一度その視点で読み返してみて下さい。臨床心理士の方々には承服できぬ論もあるのは承知しています。

私は臨床心理士及び医療心理師法案要綱の「「国民の心の健康の確保に寄与すること」がとても気に入っています。個別の領域を先行させずに、この方向で横断的資格を議論し問題点を厳しく吟味し、同時並行して医療との関係を考えていくということが建設的と思います。

デスマさん>医行為との関連について、もう少し緻密な議論があってよいかな、という点では、十分に理解できます。

灰色のたぬきさん>今回の議論においてpsymioさんやich-ishiさんのように心理職への理解のある方が多くいらっしゃることを考えると、根深いながらもつまらない心理職内の感情的対立を廃して、そして医療関係団体の理解の得られる内容であれば国家資格化は不可能ではないとの印象を持ちました。
今後は時間をかけて、内容を公開できるような、整合性のある議論を期待したいと思います。

そして、今回の法案から感じたことは、新たな資格を作るに当たっては、今までの前例に拘らない新しい視点での議論が必要なのではないかともいます。(中略)

なぜ医療関係団体の方は「保助看法の一部解除」に拘るのでしょうか?

歴史は繰り返す。心理関係者がひとつのテーブルで話し合うと、必ず「保助看法の一部解除」問題をめぐって立場がわかれ、分裂しかねないのですよね。そして、医療関係団体に話を持ちかけ、その外圧を利用するグループが出てきかねない。「保助看法の一部解除」は本当に鬼門です。

Psymioさん> この問題の核心部分については、ichi-ishiさんが詳しく分析されています。医療心理師法案は「医療の普及及び向上に寄与することを目的とする」→臨床心理士及び医療心理師法案要綱は「国民の心の健康の確保に寄与すること」と大きく法の主旨(目的)が変わり、対象が横断的なものになれば、医行為と心理学的行為の範囲を明確にしておかねば、様々な領域で大きな混乱が生じると危惧しています。
このことに警鐘を鳴らそうとすれば、法的根拠は現状では「保助看法解除」論しかないとご理解下さい。新たな枠組みができれば、もっと建設的な議論ができるでしょう。
確かに「保助看法」は遠隔地医療など時代の要請に応じられなくなっている部分はあるのは承知しています。しかし、依然として生きているのです。PSW法は福祉職、そして医療以外の行為は専門性として保助看法は関係なし。訪問看護は「傷病者の療養の世話」は「業」であり、医療的行為については指示書を要します

psymioさんの意見をよく読むと、横断的資格について反対ではあるが検討の余地はあるとも読めますが、本音はいかがなのでしょう。心理職は、医療によい意味で貢献したいと思うし、現場の医師にとって役立つ存在でありたいと思うし、また医療以外の幅広い分野でニーズにこたえていきたいと素朴に考えているのです。

 

管理栄養士も保助看法の解除なしながら、医師の指示のもとの栄養指導で医療に参加し診療報酬もありますね。管理栄養士は医療以外のさまざまな分野で活躍し、広く国民の健康のために貢献し、国も国家資格としてその役割を定義し人材の育成を進めていますね。こちらも心理職の「新たな枠組み」を考える上で参考になるかなと思います。

 

これからの建設的議論について、こちらにもコメントをお願いします。

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2005年8月17日 (水)

心理職資格と医療との関係 -医療関係者のコメントから-

医療関係の方々からの「医療心理師」推進協(全心協)に対する猛烈な怒り表明の中で、次のような意見をいただいています。

psymioさん>しかし、善意であっても暴走してしまうことは往々にしてあります。7/8総会であれほど議論のあった問題ですから、その後の展開は予想できたはずです。意思疎通を密にして、公開討論で物事を進めていればこんな結果に終わらなかったと思います。医療関係団体は、全心協が主体性を発揮して、この議論を纏めて、議連の方々に伝えることを20日までずっと待っていました。しかし、別の大きな力が働いたのでしょう。法案上程不可避となって、断腸の思いで行動を開始したのです。善意の暴走、ボタンの掛け違い、秘密主義、それが13年の悲願を彼岸のものにしてしまったのかもしれません。

今からでも遅くはないのです。3/31以前の状態にリセットして、医療心理師、臨床心理士の国家資格を目指す方々がご自分の言葉で語り合い、叡知を絞って国家資格を目指す。それが残された最後の手段だと思います。姑息な戦術など真っ平ごめんです

「姑息な戦術」をしたことへの怒りですね。そして3/31以前の状態に議論をリセットすることを求めています。

これに関連して、ichirouさんからもコメントをいただきました。

ichirouさん>今回の「臨床心理士及び医療心理師法案要綱」は、どうかんがえても上の要望内容から逸脱したものです。推進協議会で、今までにこの見解を変えようという議論は一度もありません。

もし全心協の幹部が、「国家資格化が悲願だからスジを曲げても、賛成しよう」と考えるのなら、上の要望書を撤回して協議会を解散するか、全心協を解散して別の考え方を示してから再出発するのが、世間の常識でしょう。

医療団体をいまさら雇用団体と言い換えて、あたかも日精協が言うことを聞いてくれなかったからこの法案がつぶれたというのは、社会的仁義に反します。

文中にある「上の要望内容」とは、「医療心理師の国家資格制度創設に関する要望書」のことで、全心協ホームページ本ブログコメント欄でも確認できます。psymioさんのいう3/31以前というのは、この要望書での合意をさすと考えられます。医療関係団体がこの要望書のもとに集まった。しかし、この要望書そのものの議論が全くなかったことについて、彼らが強い不信感をいだいていることがわかります。

その不信感に対する説明責任は、医療心理師推進協の人たちにあるでしょう。そこで話を別な重要なところに進めたいと思います。この要望書に関して、ichi-ishiさんから以下のようなコメントをいただいています。明解な表現でわかりやすいので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。

ichi-ishiさん>(上記の要望書に関して)二郎先生の研究班を踏まえた要望が背景にあるわけですね。この内容だと、たぶん、医療関係者からすると、すんなりと受け入れやすい文言になっていますよね。しかし、あのとき、医療保健心理士案がなぜ失敗したかという反省がないままに、同じ論法を通そうとしたことに、やはり無理があると思います。医療保健心理士の養成機関の問題です。6)①②にあたるところだと思いますが、他のコメディカルが、基本的に、医学教育システムの中で専門教育・研修を行うのに対して、ここでは、従来の心理学教育をベースにおくことを明言しています。となれば、広い意味での心理学の教育や学問研究に携わる関係者や大学設置基準を定める文科省との合意が必要になってくるのですが、ここで、問題が生ずるわけです。現実に、多くの心理学関係者の合意を得ることができません。ここを無視して先に法整備を急ごうとしても通るはずはないと思います。

医療の枠だけでは、心理職の国家資格化は、無理があります。
二郎先生の研究班でも、心理職に広範な領域があることを確認しつつ、研究班の場では、あくまで、精神医療における臨床心理技術者の問題に集約しようとしていたと思いますが、心理職の国家資格化という別の次元での議論が繰り返されて、結局、きちんとした合意に達することができないままに終わっています。

ここでいう「二郎先生の研究班」とは、鈴木二郎先生がまとめた「厚生科学研究 平成11-13年度 臨床心理技術者の資格のあり方に関する研究」のことですね。今回の「医療心理師要望書」の土台になったものなので、ぜひご覧ください。

この研究班の結論を挙げるならば、「医療・保健限定資格」「名称は医療保健心理士」「心身の障害や疾病を有する人への臨床心理業務は医行為に含まれる(つまり保助看法の解除が必要)」「医療・保健施設においては、医師の指示に従う」ということになります。「医療心理師創設の要望書」がこの研究班の結論に基づいていることがよくわかります。

これに対して、日本臨床心理士会から、反対の立場からの「意見書」が出ています。まだ読まれていない方は、これもあわせて読まれるとよいでしょう。

ichi-ishiさんは、「医療保健心理士」の国家資格化の失敗について、医療資格を心理学教育ベースで作ろうとしたことの無理、を理由のひとつに挙げています。私も強く同感します。心理学教育は、医療とはパラダイムが異なりますから。

そもそも鈴木研究班は、その報告書の中で述べられているように、

「本研究班は、厚生省(現在厚生労働省)の委託によって、組織された事情がある。したがって横断的な広範な国家資格化は、本研究班の検討範囲外と言うべきである」

と述べ、厚生労働省の枠組みを離れませんと、初めから「横断的な広範な国家資格」は議論の対象からはずしています。でもこれはある意味誠実な態度でしょう。「広範な国家資格」を医療の枠組みで議論する無理を排したわけですから。

これに対して、今回提案された「臨床心理士法案」では、臨床心理士が主務大臣(文部科学大臣及び厚生労働大臣)の共管とすることが示されました(少なくともそれが可能であることを示した)。この段階で、心理職の国家資格議論は新たな段階をむかえたと思います。すなわち、1省庁のものではなく、2つの省を横断するものとしても議論されるようになったわけです。この点では「鈴木研究班」の枠組みを越えたと考えてよいでしょう。

医療関係団体の方々が、「鈴木研究班」報告や「要望書」を大事にされていることは、充分に伝わってきました。そこから議論を進める必要性も改めて確認し、誠実に臨みたいと考えます。また一方で、ichi-ishiさんが述べている次の言葉も私は深くかみしめたいと思います。

ichi-ishiさん>心理職が心理職として活動する範囲は、精神医療の枠組みを、大きく超えています。おそらく、広範な心理職の国家資格化をすすめる方が、心理職・心理学教育研究機関をひとつに纏まめることができるはずです。今回の動きで、広範資格の可能性も確認されたと思いますので、心理系の各団体は、そのことを踏まえて、過去のしがらみにとらわれず、さらなる議論をより発展的な方向にすすめていくことが大切だと思います。

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2005年8月 7日 (日)

対人サービス職の国家資格についてⅡ - 更新制 -

教員免許の更新制が提案されていますね。
asahi.com 
文部科学省 

更新制を採用している資格は少ないですが、代表的な対人サービス職である教員免許において、更新制が議論されることは画期的と思います。

心理職の国家資格においては、何らかの更新制を取り入れてもらいたいところです。
「臨床心理士」資格は現在でも更新制なのですが、今回の法案検討の中では、医療関係の国会議員が反対して更新制は見送りになった経緯があるようです。
理由は、医師の免許更新議論につながるからという理由だということですが、実際はどうなのでしょう。

このブログで発言されている医師の皆さんは、心理士の質の向上を求めている方が多いので、更新制自体には賛成してもらえると思いますがいかがでしょうか?

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2005年8月 5日 (金)

対人サービス職の国家資格について

「速報! 今国会の法案上程見送りへ」コメント欄では、心理職の国家資格を巡っての議論が続いています。ここではちょっと違った視点から、国家資格について考えてみようと思います。

 

ある対人サービス職を国家資格にするには、次のようなことが広く国民から求められた時でしょう(あくまで個人的意見なので補足などをお願いします)。

 

・国民に一定の質のサービスを全国的に供給する

・養成教育システムを全国的に整備する

・優秀な人材を継続して確保する

・卒後教育システムを十分に整備する

・長期的な専門家供給計画を立て実行する

・倫理や社会的責任を明確にする

・担えることと担えないことを明確にする

・さまざまな分野で連携できる立場とする(医療分野も含めて)

・国民に対して活動への説明責任を持つ

 

質の確保がまず大切なことなのですが、その対人サービス職の取り扱う事項が重要であればあるほど、国家資格であることの必要性は増します。たとえば国民の命を左右する職種は、国家資格として位置づけることが必要となるでしょう。

 

心理職は、やはり人の命を左右する局面にたたされることがありますね。それは病院ではなくても、たとえば学校でこれから自殺するという生徒への対応を迫られることもあり得る。私もずいぶんとそのような危機的局面に出くわしました。もちろん、学校の先生と協力し、保護者に連絡し、医療機関受診などの道をさぐるのですが、さまざまな高度な判断が迫られる。時にはとてつもない責任も負いながらの対応となります。そんな時に私は素朴に思うのです。「こんな責任の重い仕事なのに、民間資格でやらなければならないのか」

もちろん、国家資格ではなくても責任重大な仕事は多いですから、上記の思いはやや感情的なものではあるのです。しかし、心理学、医学、福祉学、教育学、その他の知識やスキルを総動員して、それでも答えのでない高度な臨床的判断を行うのが心理職の職種だと思います。そのサービスを享受する人々のためにも、全国的に一定の質の人材を供給することが、今の時代に求められていると思います。

民間資格では、全国に一律の人材提供という意味で限界があります。現に臨床心理士は、都会では供給過多であるけれど一部の地方では不足しているのです。日本全国におけるサービスという視点が重要ですね。

倫理規定はもちろん民間資格でも規定されていますが、これが法律で定められることの重みは異なります。もちろん法律で定めなくても守るのが倫理という意見もわかりますが、「医師と臨床心理士が共同でめざすもの」コメント欄にあるような、警察とのやりとりといった事態になったときに、法的な裏付けのある倫理規定(守秘義務)とそうでないものとでは、大きな違いがあるでしょう。

担えることと担えないことの明確化、この点も対人サービス職に求められることです。なぜならば、できないことをできるふりをすることが、対人サービスとして一番危険だからです。この点は、心の支援においてはもっとも気をつける必要があります。心の支援は、誰にでもできる部分もあるかもしれないけれど、厳しい高度な判断を求められる部分もあるということに、心理職は特に敏感であるべきです。心の支援の有効性と限界に対する充分な見立てが行えるかどうかが、専門家としては強く求められます。この点が、占い師やいわゆる心理商法とは異なる、心理職の専門性です。

「連携」についても、民間資格でもできるのではとの意見もありますが、医療分野では国家資格でないと難しくなっていることには誰も反対しないでしょう。地域(医療以外)でも、たとえば学校においてスクールカウンセラーの法的な存在根拠は希薄ですよね。だから継続したサービスが提供できず予算の都合で来年からは中止といったことも起こり得る。産業分野でも、経営者の判断でブームのように対人サービス職(たとえば心理職)が採用されても、その継続性が保証されない。地域支援の継続性を確保するためにも、国家資格による明確な位置づけが必要となっていると思います。

質の悪い心理職を排除するためにはあまり継続するシステムを考えない方がよいという意見もありますが、それは間違っていると思います。必要な対人サービスシステムは継続する必要があるのであって、問題の心理職を首にするかどうかは、そのシステムの運用上の問題に過ぎないわけです。もちろん、対人サービスのシステム作りにおいて、重要な役割を担える心理士を養成するという使命が、心理士の職能団体には求められるのは言うまでもありません。

そして、国民に対する説明責任の問題(アカウンタビリティー)、これはぜひとも重要視したいところです。ここについては、精神科医や精神保健福祉士の団体ではいかがなのでしょう?何を国民に説明すればよいか難しいところですね。人数や研修会参加者、活動報告、提言などがとりあえず求められるのでしょうね。この点はより検討が必要かもしれません。

対人サービスとしての国家資格という観点からの意見でした。皆さんからのご意見をお待ちします。

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2005年7月31日 (日)

医師と臨床心理士が協同でめざすもの

現在、この「緊ブロ」の2005/7/27のエントリー「速報! 今国会の国会上程見送り」のコメント欄において、国家資格の是非をめぐり、医師や臨床心理士の激論が行われています。とても印象深いので、お時間のある方はぜひとも熟読をお願いします。

私はこの議論をとても感慨深く読んでいます。このように医師や臨床心理士が、自由に議論し、しかしお互いの感情的非難の応酬とならないような形で話し合いが進んでいることに、ちょっと大げさなのですが感動しています。こんな機会はこれまでそうなかったのではないでしょうか。

もちろん、論点が錯綜することもあるのですが、これは自由なディベートのご愛嬌ということで・・・。ぜひ皆さんも議論に参入してください。そして、少しでも立場を超えた理解が深まればと思っています。

もちろん、医師や臨床心理士が理解しあうことのみで、満足してはいけません。何よりも大切なことは、今の日本のさまざまな心の問題(幼児虐待、不登校、青少年犯罪、犯罪被害、自殺、災害被害、高齢者の問題などなど)に、心の専門家がどう連携しながら対応するか、国家がどういう対策を行いそこで各種専門家がどのような役割を持つか、国民ひとりひとりが心の問題に関心を持ちセルフケアすることをどう支援するか、などでしょう。

つまり、国家的に大きな課題となった心の問題への対応として、医師や臨床心理士、その他の専門家が、どのようなチームを作り、どんな役割を持って臨むか、その制度について最終的には議論していければと思います。

もちろん、近年の心の問題の深刻さを思うと、医師や心理士が仲たがいしている場合ではないのかもしれません。密接に協力し合ったとしても、それでも事態の深刻さに圧倒されてしまうような日本の現状があると思うのです。しかし、今回の国家資格騒動で、まずはお互いが理解しあうための議論が重要であることが浮き彫りになりました。そして、その機会が極端に不足していることを思い知りました。

ぜひとも、「国民の健康や幸せ」を意識しながらの議論ができればと考えます。ブログならではの本音の語りを期待します。

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2005年7月29日 (金)

論点の整理に向けて

さまざまなコメントありがとうございます。ひとつひとつ返事コメントすることができませんが、私なりに少し論点を整理したいと思います。心理職の国家資格問題に関して、以下の5つの論点が重要と考えます。

①臨床心理行為と医行為との関係

②医師の指示問題

③広範囲な心理職の国家資格は必要か

④臨床心理行為の定義や専門性

⑤臨床心理職養成(質や数も含めて)

この中で、「①医行為」と「②医師の指示」については、医療と直結した議論なので、医療側と心理側との充分な議論(バトル!)や意見交換が必要です。このブログでもすでに激しい議論が始まっています。この点について医療側と心理側、また場合によっては、他の当事者団体とも議論したいところです。日本看護協会も重要な関係団体です。

「③国家資格の必要性」については、医療側からの意見も重要ですが、より広い社会的視点やニーズ(期待)との関連で議論する必要があります。医療の視点だけでは結論がつかない部分と考えます。その意味では、「臨床心理職の国家資格の創設に関する請願」18万人署名や国民の要望に応える国会議員の考えの重みも考える必要があります。

「④臨床心理の専門性」「⑤臨床心理の養成」については、こうありたいという議論も多いと思いますが、すでに積み重ねられている実績や養成システムとの連続性の中で検討する必要があると思います。病院実習の不備を指摘したコメントがありましたが、国家資格でない不安定な心理職に、充分な実習受け入れができる余裕はこれまではなかったのですから、実習の不備を理由に国家資格になりえないという主張には無理があります。しかしながら、心理職をより質の高いものとするために、医師の皆さんやその他の方々の意見にじっくりと耳を傾け、しかし納得できないことに関しては丁寧にその真意を問うていこうと思います。人員の供給計画なども⑤養成に含めて考えていきましょう。

その他の論点として、

⑥医療心理師問題(上記①-⑤のすべてのことが医療心理師にも問われます)

⑦今回の国家資格騒動の経過把握や責任論

⑧今後の国家資格に向けての取り組み方について

があるでしょう。「⑥医療心理師問題」「⑦今回の国家資格騒動責任論」については、私は本当に多くのことを語りたいのですが、ややきな臭くなるので、もう少し冷静になってからと思っています。

そして、①-⑦の議論がなされる中で、⑧の有意義な議論へとつながっていくとよいかなと思います。議論がそうすんなりとはいかないと覚悟しています。

これらの論点以外にももっとたくさんの議論が必要と思いますが、主なものとして8つの論点を挙げました。これ以外でぜひという意見も含め議論を深めていきたいと思います。

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2005年7月26日 (火)

「日本精神神経学会」の緊急見解から

当「緊ブロ」の「今の局面で思うこと」のコメント欄で、精神科町医者さんから情報をいただきました。日本精神神経学会の法案に対する緊急見解です。この見解については、続くコメント欄で、精神科心理さん、平陽一さんからの意見があり興味深いので、どうぞご覧ください。

日本精神神経学会の見解の中で、「医行為に含めるべき」「対象範囲が広すぎる」については、日精診や日医の見解に近いものがあり、すでに「緊ブロ」のコメント欄で議論が活発に行われています。

今回の日本精神神経学会の見解で注目すべき点としては、「臨床心理士と医療心理師」の両資格が並立であることの弊害やあいまいさに言及している点です。たとえば、

両資格の対象について、①「これを法の文言として分けることは、「心理的な問題を有する者」の中の重要な精神疾患を見落とす可能性が高いので看過出来ないばかりか、「精神疾患」と「心理的な問題」とを切り離したり、「傷病者」の「精神状態」を特別視することは、精神医学・医療を曲げ、かつ精神疾患や身体疾患を有する方々への差別と偏見を助長しかねない。」

とか、

両資格の役割について、②「両者の役割はあたかも別の領域であるかのように表現されているが、すでに述べたようにそれぞれの活動内容と対象者には本質的な差はない。したがって、2つの資格を設け、両者の権限・資格に格差をつけることは、合理的な理由がない。」

と述べています。

その上で、③「臨床心理士と医療心理師という2つの資格が同一の職場で同一の業務に携わることは、医療現場におけるチーム医療においても、あるいはまた心理職が活動するさまざまの現場においても混乱を生じ、当事者に不利益をもたらすことが危惧される。」

と指摘しています。

私は、この①②③の指摘に基本的には共感します(①②については一部異なる意見も持っていますが)。2資格が並立することの問題点は、「緊ブロ」でも取り上げています。右のカテゴリーの「2つの国家資格並立は問題」をクリックすると、内容をみることができます。特に、7/5のエントリー(法案に対する個人的評価です)をご覧ください。ここでは2資格の連続性への言及がないことに●(ちょっとまずいのでは)をつけています。 (繰り返しますがあくまで私見です)

ただし、私の今の立場は、「法案には問題もあるけれど、もし国会で成立するのなら、どのように両資格の連続性を持たせ、カリキュラムを充実させ、将来の信頼される臨床心理士資格にしていけるかを現実的に考えたい」ということです。

その前提としては、「国会で成立=医師会や日精診、日精協、精神神経学会など医療関係者も基本的には同意している」ということがありました。しかし、「全く知らされていなかった」という医師関係団体からの意見に、非常に驚き、内容に対して直感的にひどい、という思いを強く持ちました。しかしどうやら、医療関係団体に本当に説明がなかったようですね。

もちろん、事実の正確な確認にはもう一方の当事者(全心協)からのご意見がほしいところです。日精診の医療心理師推進協議会への「公開質問状」に対する回答を待ちたいと思います。ぜひ教えてください。

なお、2資格を統一するという考えに関して、「臨床心理士」の方向なのか、「医療心理師」の方向なのか、という点は、大きな論点です。私はもちろん「臨床心理士」側の立場です。それが国民のためになると思っておりますが、自分の意見に固執しようとは考えておりません。改善しなければならない点や努力不足の部分、乗り越えていかなければならない課題など多々あるでしょう。それらについて引き続き謙虚に考えていければと思っております。

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2005年7月21日 (木)

「日本精神神経科診療所協会」の法案への反対意見

国家資格法案に対する精神科医団体の反応が注目されていましたが、7/20(昨日)に精神科診療所開業医の団体(日本精神神経科診療所協会)から、法案への反対意見が出されました(同協会ホームページ「日精診見解」参照)。

関係者の皆さんは、ぜひこの見解をご覧ください。そして、どのような意見をお持ちになるか、ご意見をお寄せください。この団体は、基本的には医療心理師側の団体で、臨床心理士への反対意見が主ですが、法案の上程自体への反対を表明しています。

また、この見解によると、「日本精神神経学会」「日本精神科病院協会」も反対の態度をとるということです。これらの団体も、医療心理師側の団体です。医療心理師推進協議会内で意見が割れたということなのでしょうか?

法案への精神科医の団体からは反対は予想されたものです。今回の見解の内容を整理しました。とりあえずの私の見解を*で示しました。詳しい意見はまた後日述べたいと思います。

①臨床心理士や医療心理師の行う行為(以下「心理学的行為」とする)は、医行為に近いのに、その関係を明確にしていない

*この意見はもっとも想像されたものですね。医療心理師推進のこの団体は、そもそもこの点を検討せずに「医療心理師」資格に賛成したのでしょうか?「心理学的行為」には「医行為」に近いものもありますが、そうでない独自の部分も多いわけです。その厳密な議論は必要だけれど、厳密な議論が何度もなされてまとまらなかった歴史もあるわけです。大きな枠組み(医療提供時には、医師の指示を受ける)で整理する方向で基本的にはよいのではないでしょうか。

②臨床心理士の業務は、他職種(医師、看護師、精神保健福祉士、教師)との間に無用な混乱がおこる

*臨床心理士と医療心理師の2つある方が、「無用な混乱」があるのではと思ってしまいます。臨床心理士は業務独占ではありませんから、各分野で連携しながら対応していく(実際にしている)ことを強調したいと思います。

③「心理学的行為」の範囲があいまいである

*「心理学的行為」の範囲があいまいだからといって、資格を作ることに反対する理由になるのか、理解に苦しみます。諸外国で臨床心理職の国家資格が多数あることをどう考えるのでしょうか?業務独占資格ならこの主張もわからなくもないですが、名称独占資格ですから・・・。

④「心理学的行為」は科学性がない

*効果の科学的検証は必要です。ただし、科学的検証をできないからといって、国家資格が必要ないというのは、ちょっと無謀かなと思います。医行為はすべて科学的検証に基づいているのでしょうか?臨床経験によって得られた知の蓄積も多いのではないですか?「臨床心理学的行為」には、現在の科学的検証のみでは手が届きにくい構造を持っています。

⑤「臨床心理士」の資格認定があいまいである

*「教育課程において医学・医療分野の履修が述べられていない」とありますが、実際にはその必要性が何度も議論されていますよ。この理由で法案に反対するのではなく、こうしてほしいと提案するのならわかりますが・・・。

⑥医療機関以外では「心理学的行為」の国家資格を作るべきではない

*医療以外の現場をあまり知らないと、「臨床心理学的行為」が「医行為」とは異なる側面があることに思いがいたらないのだと思います。あまり詳しくない分野に対して、あまりご自分の分野の考えを押し付けようとするのは、厳しいのではないでしょうか?臨床心理士の医療機関以外での活動に対する否定の考えですね。

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2005年7月20日 (水)

「附帯決議」をつけてほしい

「臨床心理士及び医療心理師」法案のさまざまな課題は、このブログでも取り上げていますが、もし仮にこの法案が採決されるとしても、附帯決議でさまざまな意見を含めることができます。

実現するかは別として、こんな附帯決議が必要ではないでしょうか?

1.両資格取得者とも、国民の期待に応えるべく、その質の向上に努めること。また国は、質の向上を目指した施策を充実させること

2.臨床心理士の更新制は、その導入を前向きに検討すること

3.両資格取得者ともに、医療現場で対等に扱われること

4.医師の指示については、その内容を安易に定義づけることは避け、今後も慎重に検討すること

5.医療現場等で、2つの資格で混乱が生じることのないよう、国は充分な配慮を行うこと

6.2つの資格の連続性や統一を、今後の課題として検討すること

7.両資格の養成カリキュラムは、なるべく両資格の整合性に配慮したものとすること

8.両資格者が、どの年度でその程度の数必要か、長期的な供給計画を確定すること。また、その計画は保健医療計画など他の計画との整合性を有したものとすること

9.5年後をめどに法律の見直し作業を行うこと

表現が「附帯決議」にふさわしいものかどうかには自信はないですが、このような内容はあった方がよいのではと思います。

今回は政治的な思惑の中で資格法案が成立しそうですが、せめて附帯決議の中に、資格がどうあるべきか、臨床家の現場の思いを含めていければということです。

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2005年7月16日 (土)

いわゆる「無試験スライド論」について

臨床心理士国家資格化にあたっての経過措置に関して、無試験でスライドすべきとの意見が根強くありますので、その点に関する私の意見を再度述べます。

国家資格は与えられるものではなく、その信頼性や質の高さを主体的に作り出していくものと考えます。臨床心理士が民間資格としてそれなりの実績を作ってきたことは認めますが、これから国家資格に発展するにあたって、その信頼性、自身への厳しさ、質を確保するための姿勢、高い倫理観、謙虚さなどについて、自己点検しなければならないと思います。そのようにして国民の信頼を広く得ていけなければならないし、その道のりは私はとても厳しいものと思っています。

それなのに、「○○先生が言ったから」「これまでの実績を評価すべき」「民間資格として立場を築いている」「実践が忙しくて試験勉強する時間がない」といった主張は、自己点検していこうという姿勢とは逆な主張となります。周囲の人たちは直感的に甘いなと思います。たとえどんなに民間資格の正当性を主張しようとも、それはあくまで狭い世界の話です。国家資格となるならば、多くの国民にとって納得できるものでなければと思います。

もちろん、心情的には試験は負担だし、また試験を受けないといけないのという気持ちもわかるし、年配の方に試験というのも大変だ、という意見も理解はします。しかし、信頼される国家資格の道のりの厳しさを考えれば、やはり最低限試験を受けましょうよ、と言わざるを得ません。

むしろ、国民の信頼を広く得るためには、「更新制をどう形作るか」「実地研修をどう標準化するか」「スーパーバイザー研修」などを議論すべきと思います。そうやって質を高めていくためのことを真剣に考えていかなければ、あっという間にお荷物資格になるのではと心配します。臨床心理士を囲む環境は決して安泰なものではないのです。

試験を受けることは「臨床心理士のこれまでの活動の否定」ではなく、「これまでの活動をより確実なものにしていく」取り組みということです。私は、「無試験スライド論」こそが、これまでの臨床心理士への信頼感を吹き消す危険性を持った主張と考えます。

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2005年7月 8日 (金)

尊敬される「臨床心理士」国家資格になるために

「(現)臨床心理士 → (新)臨床心理士」となるために、あってほしいこと。

やはり質を確保して、国民から広く信頼される国家資格に生まれ変わってほしい。

そのために、こうあってほしいという個人的な願いです(あくまで私見です)。

①(現)臨床心理士も含め、全員が国家資格のための研修を受ける

②(現)臨床心理士も含め、全員が国家試験を受ける(スライド制にはしない)

③現在臨床心理士でない人にも、ある基準以上の臨床経験を持っている人には、条件付で(現任者講習会のようなもの)、国家試験受験資格を与える

④(新)臨床心理士は更新制とする(更新制が難しいなら、ポイント制などの職能組織内の自主的基準を設ける

⑤スーパーバイザー養成、実習受け入れの研修など、次世代育成のプログラムを充実させる

こんなことをかかげると、えーっと言われそうですが、やはり質の高い国家資格で目指すことが何よりも大切と思います。そしてこれまでさまざまな事情があって臨床心理士を取らなかった方にも、ぜひ(新)国家資格に参加してもらえればと考えます。

もちろん試験を受けたり研修会を受けたりするのは大変ですが、でもやはり国家資格となるのであれば、やはりさまざまなことを改めて確認する機会が必要ではないでしょうか。尊敬される(新)臨床心理士を作りましょう。

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2005年6月22日 (水)

心理職国家資格の分類 : 厚生労働省での扱い

 「2つの国家資格の並立」という事態となったので、ややタイミングをはずした内容ですが、実はこれからの議論で重要と思っているのでアップしました。

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 厚生労働省において国家資格を考える場合、医療職福祉職の資格化が一般的です。医療職の場合、医療行為を行う場合は、「診療補助行為」を行うために保助看法を開くことになります。診療放射線技師理学療法士などはこのタイプで、医師の指示の下の資格となります。このような資格を、「診療補助職」資格(Aタイプ資格)と呼びましょう。

 一方、精神保健福祉士社会福祉士介護福祉士などは、福祉職であり、医療行為は基本的には行いません。「診療補助行為」を行わないということです。ただし、主治医がいる場合は指導を受けるという形となります。社会福祉士介護福祉士は「医師やその他の医療関係者との連携を保たなければならない」と規定されています。これを「福祉職」資格(Bタイプ資格)と呼びましょう。

 診療補助職ではなく、つまり医療行為は行わないが、医療類似行為を行うという資格があります。これは、あん摩マッサージ指圧師柔道整復師などです。これらの資格の施術への支払いは、まず患者が費用全額を施術者(あん摩マッサージ指圧師、柔道整復師など)に支払った後に、患者が保険者等に請求するという形が原則です。ですから一般の医療機関での診療報酬支払いの仕組みとは大きく異なります。このようなタイプの資格化を「医療類似行為」資格(Cタイプ資格)と呼びましょう。

 そして、言語聴覚士のような、限定された一部の行為に関して「診療補助行為」を医師の指示の下で行うことができて、資格全体は医師の指示の下にはない資格を、「言語聴覚士」資格(Dタイプ資格)と呼びましょう(参照:心理職の国家資格へのモデル

<上記をまとめると>

Aタイプ:「診療補助職」資格  … 医療行為を行うことがその資格のほぼすべての役割

Bタイプ:「福祉職」資格     … 医療とも密接に連携するが基本的には地域生活の支援

Cタイプ:「医療類似行為」資格 … 伝統的に保健的行為を行っており一部は医療と関係している

Dタイプ:「言語聴覚士」資格  … 医療行為も行うが地域生活支援も重要な役割

 ここで「医療心理師」法案は、Bタイプの資格でありながら、「医療」という言葉を使うことでAタイプと誤解されやすくなり、Aタイプでないにもかかわらず「医師の指示」を資格すべてに与えようとしている資格であることがわかります(参照:「医療心理士」は福祉職!)。これを「AもどきBタイプ資格」と呼ぶことができるでしょう。

 一方、「臨床心理職(士)」法案は、「Bタイプ資格」を目指していくとよいでしょう(と思っていましたが・・・)。主治医との関係は指導、連携関係という方向を目指しています。ただし一歩踏み込んで、医療行為と認定できる一部分に関しては、医師の指示下に入ることも検討してもよいでしょう。こうなると「Dタイプ資格」となります(んー・・・)。

***

  ところが、このほど合意された一本化案では、「臨床心理職(士)」案は、文部科学省所管の「教官職」となっており(たぶん?)、厚生労働省での位置づけがはっきりしません。両省の共同所管という表現もあり、いまひとつ位置づけがみえないですね。この点のくわしい情報をお持ちの方はコメントをください。

 また、Cタイプの資格化については諸事情があり難しい状況です。今回の並立案でも触れていなかったですね。

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 はたしてどのタイプが、国民のためになり、そして心理職の活動をより有意義なものとするのでしょうか?

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2005年6月13日 (月)

心理職の国家資格へのモデル : 言語聴覚士

 現在混迷している2つの心理職資格案(「医療心理師」案、「臨床心理職(士)」案)を一本化しよりよいものとするために、言語聴覚士の国家資格が参考になります(言語聴覚士協会)。言語聴覚士は、医療分野のみならず、福祉、教育、開業など、多分野で活躍しています。そのため、1997年に成立した言語聴覚士法では、基本的な資格の性格を規定する部分(第2条)に「医師の指示の下に」という文言がありません。

 一方、嚥下訓練(飲みこみの訓練)、人口内耳の調整その他の診療補助行為については、医師の指示の下に行うことができることになっています(第42条)。この場合、保助看法が開かれています。つまり、言語聴覚士は、診療補助行為も行える医療職と考えることもできるのです。そして言語聴覚士が行うことができる診療補助行為については、厚生労働大臣が別に定めることになっています。

 このように、言語聴覚士は、基本的には汎用資格でありながら、医療資格という性格も有しています。柔軟に考え、また国民のニーズに耳を傾けるならば、このような国家資格を作ることも可能なのですね。この前例のない資格を作った時の関係者の努力はすさまじいものがあったのでしょう。

 今回の心理士の国家資格に関しては、すでに言語聴覚士の前例がある訳ですから、それをもっと打ち出してもよいのかなという気がします。汎用資格として一部は医師の指示下という考え方です。現在診療報酬で規定されている(医療現場で実施している)心理検査や精神療法を、医師の指示下で行うことができるという形にすれば、今の実態に近くなるかと思います。「医療心理師」側が最も気にしている診療報酬を得るという希望も満たすのではないでしょうか。

 現在の「医療心理師」法案では、このような前例があるにもかかわらず、資格自体は福祉職としながら、一方で資格すべてに「医師の指示」の傘をかぶせたものとなっています。これがいかに無理のあるものかは、 「医療心理師」は福祉職!(6月12日) で詳しく述べました。その背後にある策略については、このブログで今週考えていきます。

言語聴覚士法では、医療行為でなくても、主治医がいる場合は「医師の指導をうけなければならない」と規定されています(第43条)。これは連携に関して述べられているところです。「なければならない」となっていますが、指導に反したからといっても罰則の対象にならないのです。この考え方は、全面的に心理職の国家資格にあてはめることができるでしょう。「臨床心理職(士)」法案はこの考え方に近いのです。

 なお、言語聴覚士法においても、法施行後5年間は現任者に受験資格を認める特例措置を定めています。この考え方は心理職の国家資格化においても当然適用されるものと思われます。

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