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« 緊急事態! ワーキングチームのたたき台が危険な方向に | トップページ | 「知識」「技能」に変わる「新たな言葉」について »

2016年12月14日 (水)

学部卒と大学院との平等論についての対話

試験への平等性とかクレームとか言われると、
とたんにぐっときてしまうのが、
日本人の気質でしょうか。

何が求められているのか試験の出題基準が明確に示されているならば、
どの学校を卒業してようと、
不平等という人はいないですよね。
(そうごねる人はいるかもしれませんが)

そのことを語り合っているAさんとBさんの対話を、
パワーポイント資料にしました。
素朴な感覚でのやり取りを記しています。
こちらです。

タイトル「大学院では学んではいけないの? by 緊ブロ

「nostudy_in_graduate_school.pdf」をダウンロード

ぜひ皆さんのコメントをお願いします。
多くの人と共有していただいてかまいません。
(周囲の反応のフィードバックをもらえるとうれしいです)
(少しだけ時間をかけて話し合いながら作ったので・・・)

この危機的状況から、
どのような提案が有意義なのか思いを巡らし、
個人として組織としてどう動けるかを考えましょう。

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養成カリキュラム」カテゴリの記事

コメント

何度も失礼します。

「国家試験に出題される必修科目については、受験資格のある人全員が学んでいる必要がある」というのは、「国家試験」というものの考え方だそうです。

(それでいいとか、そうでないと不平等だと私個人が考えているのではないので、よく聞いてください。)

この「2号ルート」つまり「学部+実務」のルートですが、公認心理師ができる経緯の中で、多くの臨床心理士が反対していたのに、2005年の「臨床心理士及び医療心理師法案」において医療心理師を推進していたグループ(当時は私もその中の一人でした)が、今回の公認心理師の創設にあたってもこのルートを残すように主張し続け、また、今回の検討会、ワーキングチームでもその関係者(全心協会長宮脇氏、学術会議で医療心理学の丹野氏、精神医療系の委員)が、学部卒ルートも大事にしてほしいという意味合いのことを主張される傾向があります。

要するに、ここまで来て、資格は「公認心理師」というひとつのものになったけれども、そうなっても今もまだ、その中に「医療心理師と同じものを作ってほしい」と考える人たちと、「国民の役に本当に立つ資格を作ろう」と考えている人たちがいるということです。座長は内科医の先生ですが、後者の考え方をしっかり持っておられるように感じられますが、現実原則のところで、どうしても厚労省のこれまでの資格のあり方との擦り合わせが必要で、とても難しい作業を真摯に行っておられるように見えます。

公認心理師を良い国家資格として生み出す苦しみです。

ここで、それが役に立つことを願うならば、感情的になったり、扇情的な発言をすることがどういうことになるかを、冷静に考えておく必要があると思います。(こころしかくさんの今回の振る舞いがやや扇情的に感じられるのを危惧しています。)

そこで、ひとつ伺いたいのですが、「国家試験に出る選択科目」でないと、大学・大学院で学ばないのでしょうか?自由度の高い中で、本当にいいものを学ぶ姿勢を身につけることが、臨床家として大切なことではないでしょうか?

国家試験は公認心理師養成の一部分的な局面であって、私たちがカリキュラムで考えなくてはいけないのは、いかに本当にものを考えられる人を養成するかということだと思います。試験のために勉強するだけという考え方でなくなるための大学・大学院だと思います。

これまでの資格検討の歴史を熟知されているつなでさんからのご意見、
またご指摘、どうもありがとうございます。

つなでさんの話をうかがって、
「国家資格出題は必修科目から」ということですが、
「教えた内容からしか出さないのか」
それとも、
「出題基準にそって教えるが、その教える内容の範囲は限定されないのか」、
によって大きく異なると感じました。

しかしより大きな問題は、
このようなカリキュラム検討の大きな方針(変更)が、
おおもとのカリキュラム等検討会で出たのではなく、
ワーキングチームの会で出たという点にもあります。

たぶん最初から事務局の発言としてでていないことを考えると、
国家試験と科目のしばりについての関係は定まっている話ではないと推察します。
そしてそのような意見を、
うのみにしてしまう人が増えることを心配します。
このあたり詳しい情報を知りたいところです。

扇情的というご指摘、恐れ入ります。
正直、とてもびっくりしているということです。
そしてこのびっくりの反応を(正常反応と思うのですが)、
きちんと発信しなければ、
正しいメッセージが検討会やチームの人々に伝わらないと考えます。
(とても小さなブログなので、おこがましい考えですかね)

国家試験に出ない科目でも、
大学院で勉強できるではないかというご意見ですが、
いま議論しているのは、
公認心理師という国家資格の形を整える上での、
科目設定の話です。
大学院独自で選択科目にすればよいとの説はつきつめると、
そうでなくてもとれる資格という性格付けを生み出します。
そのイメージにそって若者が大量にその方向に流れます。
そしてそれはとても危険なことです。

個人の努力の問題と、
制度としての目標値や安定性との問題は、
よくごっちゃになるので気をつけたいところです。

もちろん、
つなでさんの言うように、
我々は学部や大学院のカリキュラムに限らず、
学び続ける必要があります。
その意味でも、
学部卒の人たちが、
出題基準をたよりに、
大学院で学んでいることを知り、
主体的に学ぶことは、
大いに推奨されることではないでしょうか?

もうひとつ、つなでさんに質問です(教えていただけるとうれしいです)。
学部は知識を学ぶ、大学院は技能を学ぶという意見がありますが、
それについて、
つなでさんはどう思われますか?

実は、私はこれがさっぱりわからないのです。
技能とは、当然知識とも密接に関係しているので、
そのイメージが本当にわからないのです。
もちろん、そう主張される意図はわかる感じがするのですが・・・。

つなでさん、3団体案と、叩き台案を比べてみると、学部で(応用心理学⇒WGで臨床心理学に変更になったとのこと)5領域の科目が立てられているんですね。叩き台案では、大学院では不要と提案されているわけですよ。これを大学院でも科目として設定すべきだと思います。私は、学部での実習では、第2条4の心の健康に関する活動(大学院生と担任が協働で行う心の健康授業のアシスタントをする)など、ユーザーに安全にふれる機会を設ける必要があると思います。チームアプローチとか、コラボレーションとか、言葉だけを覚えても、実践には役に立たないわけですよ。だから、知識と技能はセットで学ぶ必要があると思います。

 7条の2を主張される根拠はなんですか?国民にどのような利益がありますか?それを教えてほしいと思います。

 7条の2がなければ、ないし、あっても、非常に限定的運用であれば、まだ、大学院に学ぶものがメインになるかもしれませんが。

いまの構想であれば、
1公認心理師養成の学部のみ
2公認心理師養成の学部・大学院
3公認心理師養成と臨床心理士養成を行う大学院
4公認心理師養成と臨床発達心理士養成を行う大学院
などにわかれていくでしょうね。そして、1+実務経験が合格者の半数を占めるようになれば、大学院教育は崩壊ですね。

長くなりますが、こころしかくさんのご意見を引用しながらお話したいと思います。

> つなでさんの話をうかがって、
> 「国家資格出題は必修科目から」ということですが、
> 「教えた内容からしか出さないのか」
> それとも、
> 「出題基準にそって教えるが、その教える内容の範囲は限定されないのか」、
> によって大きく異なると感じました。

国家試験の話を出したのは私ですが、カリキュラムは国家試験のためにあるわけではないことをまず確認しておきます。

検討会・WTでは、「公認心理師の資格を得た時の姿」「Outcome-based education」と言われていて、どういう態度を身につけ、どのような筋道で物事を考えたり伝えたり議論したりできて、人とどう関われて・・・と、その人が公認心理師として出発するために学んだり経験したりすることが必要な全体像を検討されています。

つまり、カリキュラムは国家試験のためにあるのではなく、その人を公認心理師にふさわしく育てるためにあります。

しかし、資格を与えるには、マークシートで国家試験を行う必要がありますから、大学・大学院で学んだ多くのことから、必須科目として抜き出された内容について、国家試験が行われるということですね。

教科書通りに知識を教えるやり方では、臨床心理職を育てることができるわけはないことは明らかです。
知識に偏る科目があるにせよ、どんな科目からも新たな問題を引き出し、仮設を立て、検証方法を考えるというようなプロセスがないと心理学の学びにはなりませんね。

でも、これらの内容は、「マークシート試験」に出すものとしてはどうすればいいかということが、非常に悩ましいところです。
WTの検討事項には「国家試験(試験科目等)」というのが入っているので、国家試験の内容についてはまだこれから検討されます。

到達目標のところで座長が「以上の目標は必須のものであり、これ以上やってはいけないというものはない。」ということをおっしゃっていました。ですので、内容については、より良いもの、より深く考える態度が身につくものを加えていくということです。

つまり、必須科目というものは、「これ以上やってはいけない」というような縛りになるものではないということです。この点は座長が何度も確認されていました。

> しかしより大きな問題は、
> このようなカリキュラム検討の大きな方針(変更)が、
> おおもとのカリキュラム等検討会で出たのではなく、
> ワーキングチームの会で出たという点にもあります。

この「大きな方針(変更)」と言われる意味が私には通じにくいので、もう少し教えていただけますか。
私自身は、医療心理師推進の関係者から、すでに数年以上前に、「学部卒ルートがあるから、国家試験の科目は学部で全部教えておく必要がある。」と聞いていました。

そして、今回、臨床心理士の委員から「座学にも大学院にまわすべき科目もあるのでは。」と発言されたところ、座長が「7条2号の受験者はどうなるかという絡みが…」とつぶやくように言われたという場面がありました。

つまり、「学部卒ルート」を公認心理師の中に設けることと、国家試験の科目は学部ですべて教えることは、ずっと医療心理師側の委員が主張し続けているということです。

(これは、あくまでも私が聞き知ったことをお伝えしているのであって、私がそれでいいと思っているのではないことを再度確認しておきます。
ただ、この点での医療心理師推進側の主張を覆すことは、現時点ではかなり難しいかもしれないという個人的な予想もしています。)

> たぶん最初から事務局の発言としてでていないことを考えると、
> 国家試験と科目のしばりについての関係は定まっている話ではないと推察します。
> そしてそのような意見を、
> うのみにしてしまう人が増えることを心配します。
> このあたり詳しい情報を知りたいところです。

上に書きました通り、私はうのみにはしていません。
また「うのみ」というような軽蔑を含む言葉は、この議論になじまないように思います。

私自身、現在は医療心理師推進グループの中にはもういないので、現在進行形のことはわかりません。
ただ、国家資格のことがなぜこのようになって来たのか考えた時に、医療心理師側の委員が主張することには一定の政治力があることは確かです。
そして、その政治力と対峙していくときに、どのような賢明さが必要かを考えることが大切だと思います。

> 扇情的というご指摘、恐れ入ります。
> 正直、とてもびっくりしているということです。
> そしてこのびっくりの反応を(正常反応と思うのですが)、
> きちんと発信しなければ、
> 正しいメッセージが検討会やチームの人々に伝わらないと考えます。
> (とても小さなブログなので、おこがましい考えですかね)

どんな疑問や意見でもそれを発信していくことは大切だと思います。
ただ、今回の件で気になったことは、まだ議事録が出ていない段階で参考資料だけ見ると、議論の雰囲気がまるで伝わらないので、資料の文字面の時点で、やや感情的に焦っておられる印象がしましたし、そのことに反応している人たちをネット上で見受けます。

私が伝えたいのは、今回のWTのメンバーの選択は、人数だけで考えても、臨床心理士側の意見をかなり取り入れようとしているということです。
ということは、委員の選択の際にも、どれだけの人がどれだけの骨折りをして臨床心理士をサポートしたかが推測されるということです。

長年の感覚から言えば、付帯決議があるので、最大限できる限り臨床心理士側の意見を盛り込もうとされているなという印象があります。

そして、委員のみなさんは、臨床の仕事をできる人をどう養成していくかということを真剣に話されています。
基礎系や医療系の意見は、議論の中では押され気味です。

ただ、議論では押され気味でも、基礎系や医療系は政治力は強いグループです。

臨床心理士側が、基礎系や医療系の意見に対して「攻撃的に排除しよう」とすればするほど、彼らは陰で政治力を使ってくるでしょう。
WTの議論、検討会の議論は、議事録に残って、この先何十年かかるかわかりませんが、公認心理師をより良くするために法改正していくその土台になるものです。

私個人は、目標は7条2号ルートそのものが削除されることだと思っています。
すぐにはできなくても、10年20年かけてその方向に進むことが大切だと思っています。
それは、多くの臨床心理士が心から願っていることです。
そのために、今回の土台となる議事録で、できるかぎり論点を出していただきたいし、それを応援したいと思っています。

上記のように、「大学院でも座学を」は当然出ている論点です。
そして、私たち、傍聴したりネットで発言している関係者は、どうすればその「大学院でも座学を」と発言している委員をサポートできるかを考えることが大事だと思います。

> 国家試験に出ない科目でも、
> 大学院で勉強できるではないかというご意見ですが、
> いま議論しているのは、
> 公認心理師という国家資格の形を整える上での、
> 科目設定の話です。
> 大学院独自で選択科目にすればよいとの説はつきつめると、
> そうでなくてもとれる資格という性格付けを生み出します。
> そのイメージにそって若者が大量にその方向に流れます。
> そしてそれはとても危険なことです。

> 個人の努力の問題と、
> 制度としての目標値や安定性との問題は、
> よくごっちゃになるので気をつけたいところです。

このところ、いくつかの論点が入り込んでいるので整理して考えたいと思います。

まず、公認心理師としては、

個人の努力や研鑽>実際に大学・大学院で行われる教育>公認心理師として資格を得た時の姿を描いて大学大学院が全国共通で目指す到達目標>国家試験に出される内容

これは左ほど内容が充実して深まっているイメージです。
この中のどの階層のものを考えるかということですね。

少し前に私が伝えたことのひとつは、7条にある「受験資格」というのは、大学・大学院で行われる教育をちゃんと修了しましたという証明がないと与えられないということです。
つまり、その教育内容が到達目標を十分に満たしてさらに上回っているぐらいのことをやって初めて「受験資格」が得られるということですね。

つまり、「受験資格」を得るために必要なことは「到達目標」(第3回WTの別添資料1)に書かれていることで、まずここをより良くする必要があります。
この点では、私は、大学院の選択にまかせたらいいと思っているのではなく、今回検討されている「到達目標」がより良くなることを願っています。
実際に第3回ではかなりいろいろな意見が出て、修正案がいくつか提案されていました。

そして、私が「選択」と言っていることの中に、従来の臨床心理士の大学院では、公認心理師の大学院科目に加えて、心理療法や心理アセスメント、地域援助、何より「研究能力」を高めるようないくつかの科目を、公認心理師の大学院で、「臨床心理士」資格の科目として同時に教えて、それを(これからも続く)「臨床心理士」資格の受験基礎科目にしたら良いという、勝手な個人的な構想が含まれています。

公認心理師は、臨床発達心理士や学校関係の心理士なども受験しますし、神経心理学などの人たちも取得を目指すでしょう。

つまり、公認心理師として共通する部分と、初めから専門性として大学院でも分かれて学んでおきたい部分とがあるということです。
大学院の単位数のうち一部は、公認心理師という共通基盤を持ちながらも、「臨床心理学」「臨床発達心理学」「学校心理学」「神経心理学」等の基盤と方向性の違うアプローチの、特に民間資格のあるものはその資格取得を視野に入れた科目として設定するのが良いのではという、これは本当に私個人の考えです。

公認心理師ができたら臨床心理士はなくなるだろうとか、なくなっても良いという意見をちらほら聞きますが、公認心理師では幅が広すぎることを考えると、「臨床心理士」という資格は大切に残して、特に、臨床心理士の伝統である心理療法を深め、研究をしながらの実践を大切にするグループを今後も発展させるのが良いと思っています。

> もちろん、
> つなでさんの言うように、
> 我々は学部や大学院のカリキュラムに限らず、
> 学び続ける必要があります。
> その意味でも、
> 学部卒の人たちが、
> 出題基準をたよりに、
> 大学院で学んでいることを知り、
> 主体的に学ぶことは、
> 大いに推奨されることではないでしょうか?

学部卒の人たちの教育については、個人的には、そういうレベルの低いものでは困ると申し上げたいです。
「出題基準をたより」というような勉強のしかたでは、心理職としては如何かと思います。
私たちは、心理職として本当の意味で「主体的」な人を養成したいのです。
公認心理師には7条2号ルートや、「医師の指示」などの、「主体性」にとってマイナスとなることが危惧される条項が、政治的に盛り込まれています。
そして、その点への対抗案は付帯決議に盛り込まれています。

実際には、医療心理師系の委員からは、学部卒ルートの「実習」を、簡単にしようというニュアンスの発言があります。
たとえば、「2年」というのがそれです。

ですが、私は、学部卒ルートの人たちには、そのおのおのの現場で、大学院ルートの人以上に、指導を受け、講習を受け、考える態度、知識、技能、そして研究もできるようなさまざまな義務を課すべきであると考えます。あくまでも個人的な意見です。

「こんなことしないといけないなら、大学院に行ったほうがよっぽど楽」と思うほど、厳しい条件があって、はじめて2号ルートの受験者が胸をはって公認心理師として同じスタートラインに立てるのだと思います。

WTでもこの点も議論は続くと思われます。
臨床心理士側の委員は、決して学部卒ルートを軽いものにしようとはしていません。
法の趣旨から言っても、2号ルートは大学院ルートに相当するだけの勉学を何らかの形で修めるように義務づけられるべきと考えます。

> もうひとつ、つなでさんに質問です(教えていただけるとうれしいです)。
> 学部は知識を学ぶ、大学院は技能を学ぶという意見がありますが、
> それについて、
> つなでさんはどう思われますか?

> 実は、私はこれがさっぱりわからないのです。
> 技能とは、当然知識とも密接に関係しているので、
> そのイメージが本当にわからないのです。
> もちろん、そう主張される意図はわかる感じがするのですが・・・。

これも、個人の考えを述べますが、知識と技能を分断することそのものが、臨床心理職になじまないことであるのは、私などが言うまでもありません。
そもそも、臨床心理職を育てるために必要なことは、「知識」と「技能」というような単純な分け方になじまないものだと思います。

基本的な人間としての態度、論理的な思考、客観的な方法での仮説検証もできるし、同時に共感的な人間理解もできて、心の中のあるいは対人関係や組織の力動を観察し感じ取れる人としての受容力、それらを人に伝えたり、人と話して深める能力などなど、どれをとっても、知識+技能+もっともっとたくさんのものが、統合的に、経験的に身につけられている必要があります。

しかし、それを法律だとか通知だとか、ガイドラインだとかに書くときに、方便として「知識」「技能」という用語が必要なのかもしれません。
臨床家で、「知識」と「技能」の足し算で臨床ができると思う人は一人もいないでしょう。

いずれにせよ、公認心理師も、大学・大学院で学ぶことはスタートラインですし、生涯研鑽の土台となる教育がどこまでできるかということが、カリキュラムの基本だと思います。

まだまだお互いに誤解しているところもありますが、ひとまずここまでにしておきます。

Tomyさんへ

コメントありがとうございます。
私の個人的意見を尋ねていただいていると考えて答えます。

大学院でも汎用5領域の「応用心理学→臨床心理学」科目を学ぶことには賛成ですし、そうならないといけないと思っています。
学部で入門、院でさらに深める形で学ぶのが良いかと思います。

7条2号ルートについては、私個人は、長年いろいろな方々とも話し合い、「いずれなくす」というのが目標だと思っています。
ですので、2号ルートが「大学院相当」であるというのなら、ひとつ前のコメントにも書きましたが、実務期間に指導者の指導、講習会への参加、レポートなど厳しめの研修条件をつけてほしいと切に思っています。

Tomyさんへ

7条2号ルートを旧「医療心理師」推進グループが押し続ける真意は、私にはわかりません。
20年以上前に、そのグループの方々が、「臨床心理士の大学院は利権」「貧しい人も心理職になれるように」「働きながら学ぶことが大事」「大学院に行っても使い物にならない臨床心理士が多い」などと発言されていたのは聞いていますが。
けれども、大学というものの質や位置づけは20年前とは全く変わってしまっていると思います。

現在の委員の中では、全心協会長の宮脇氏、日本学術会議の丹野氏、精神科病院関係の委員の方々などは、2号ルートの存在を必要と考えておられるように見えます。
2号ルートの具体的議論でどういう発言が出るかですね。

Tomyさんがいつもおっしゃっていることでもありますが、質の高い仕事ができる人を送り出すための資格であるという基本から、この2号ルートのことを真剣に話し合っていただけると良いと思います。

議事録がまだ出ていないので、みなさんの目に触れていませんが、到達目標の冒頭に「利用者の最大の利益のため」という文言が追加で入ることになっていました。
ここを基点として、受験資格を安易なものにしないことなどが議論されていくよう、見守り応援し続ける必要があると思います。

今回の検討会で現実に動かせることは、多くはないかもしれません。
しかし、20年30年と長い目で考えた時、やはり始まりのこの一歩での「議論の内容」がどう残されるかはとても大切だと考えます。

つなでさん、丁寧なお返事ありがとうございます。

つなでさんのコメントを読むと「7条2はいずれ廃止できるといい、だが政治力のためにいまはできない」と要約するとそういう主張だと読み取りました。

20年前の議論に、「臨床心理士の大学院は利権」「貧しい人も心理職になれるように」「働きながら学ぶことが大事」「大学院に行っても使い物にならない臨床心理士が多い」。これいずれも、私も賛同します。ただ、小泉構造改革で、国立大学が独立行政法人になり、文科は、働きながら学ぶ夜間大学院の充実を先導してきました。また、大学院でケースもほとんど担当することなく臨床心理士になろうとしたとき、それは面接試験でわかる仕組みになっていますよね。いまの指定校のうち、真に、臨床心理士の養成に資する機関になってない大学院があるとすれば、この国家資格・公認心理師のスタートともに、大変革を強いられることでしょう。

 これはつなでさんではなく、ほかの7条2を強く主張されている方が、公の場で、国民の利益になる条文であることを説明してほしいですね。

 時代は変わったのです。政治力が国民の利益を損なうことがあってはならない、そういう時代になったのではないでしょうか。

 それと、7条2がなければ、国家資格・公認心理師+民間資格・臨床心理士、国家資格・公認心理師+民間資格・臨床発達心理士、国家資格・公認心理師+民間資格・学校心理士、国家資格・公認心理師+民間資格・社会調査士 などの構想には賛成です。

 ところで、ひとつの領域に特化しない汎用性資格になったことで(医療心理師ではない)、実務経験の実習のあり方も、医療のみというのは、この法律の元で許されないと思います。学校や児童養護施設での実習が必要でしょう。そうすると、誰が、学校に赴き、実習生がなにをやるのかを打ち合わせ、実習訪問指導をするのでしょうか。私のブログでも書いたのですが、学生が心理支援を学びはじめるとき、いきなり、むつかしいケースを担当することは、無力感を引き起こします。ですから、学校生活を送れているのだが、対人関係がうまくとれない、といったケースを担当しながらスーパーバイズを受ける、そういったシステムが必要です。

 それと、「議事録が公開されないまえに、議論をすべきでない」といったメッセージをつなでさんのコメントから、推測し、それは危惧しています。すでに、日本心理学会ワーキングは声明をだしてますよね。話し合われたこと(応用心理学から臨床心理学に)につよい反対の意を表明しましたね。

 私は、災害後の心理支援を国外でも携わる内に、日本の特殊性を実感しています。中国は、心理学のトップ集団が、基礎と臨床の両方をやっているんですね。日本もそういう構図になっていけば、被災された方に、多くのよいアプローチを提供できるのではないかと思っています。

 そして、公認心理師養成のカリキュラムの議論は、検討委員会、WGでの議事録のほかに、オープンな議論が残っていき、それを心理職の仕事をめざす高校生が読めることがとても大事だと思っています。

つなでさん、長文の返信、恐れ入ります。
さまざまな論点がありますので、
特に反応したいと感じたところから、
少しずつ意見を述べさせてください。
(つなでさんのコメントを後ろからなぞっていきます)

「知識」と「技能」について、
切り分けられないことを感じておられるとうかがい、
安心しました。
しかしつなでさんは、
「方便として」必要というご意見のようです。
私はその意見には全くくみしません。
だって大きな誤解を生むからです。
現にその「理屈」によって、
大学院のカリキュラムがおかしな方向に展開しそうになっています。
「方便として」容認するのではなく、
正しい認識にしていく主張が必要ではないのでしょうか。

出題基準と学部卒の学びの部分ですが、
学部卒の人々は、
各機関での学習にゆだねられます。
そこの質をどう上げていくかについて、
さまざまな工夫が求められるという点については、
私も同じ意見です。

しかし出題基準の役割や影響についての認識が異なるようです。
出題基準は、もちろんそれだけをたよりにされてはそれこそたよりないですが、
何を学ぶべきかということに対する重要な基準となるでしょう。
そしてその内容は資格の水準のある側面を反映します。
もちろん資格の水準(あるべき姿)は、出題基準だけではきまらないという主張は、
その通りと思いますが、
私はそれ(あるべき姿)と乖離した出題基準であったら、
いくらこのような心理職を養成しようというモデルを掲げても、
形骸化すると危惧します。


個人の努力や研鑽>実際に大学・大学院で行われる教育>公認心理師として資格を得た時の姿を描いて大学大学院が全国共通で目指す到達目標>国家試験に出される内容

の整理、ありがとうございます。

ひとつ質問ですが、
ここでいう「大学・大学院」とは、
大学卒業後大学院(つまり6年間)の教育とか到達目標、
という意味でしょうか?
私はそういう風にとっている立場ですが、
その立場でいうと、
いま起きていることは、
6年間で目指す到達目標に比べ、
国家試験の内容ががくんと落ちてしまっているということです。
(学部卒の知識以上のことを試験に出すことにブレーキがかかっているわけですから)

そしてそのことを理由にして、
大学院の必修科目が絞られ、
実習の単位比重が高まっています。

少し論点をここの部分だけ広げますが、
大学院の実習単位が増えています。
このために普段の演習や知識の学習をすることを圧迫することは明白です。
三団体の実習と演習、知識の習得が、
バランスがよいというのが私の印象なのです。
繰り返しになりますが、
いくら体験しても、
振り返りやディスカッション、演習、スーパーバイズ、CC、学習など、
「統合的学習」がなされなければ、
意味のある学びになりません。

あるべき姿から大学院教育のあり方を考えると言っても、
資格試験との関係でカリキュラムが調整されるのは、
現にいま起きていることからしても、
明らかなことではないでしょうか。

ですから、
資格試験とカリキュラムの相互影響について、
しっかりとあるべき姿を確保するために議論することは、
重要なことだと思います。

とりあえず、
ここまででコメントを終えます。
まだ続きがありますが、
まずはここまでとさせてください。

Tomyさんへ

コメントありがとうございます。
本当に、7条2号が人々の役に立つと考える立場の方々には、その理由を今度こそ公の場できちんと説明していただきたいですね。

実習について、今議論されているのは、ひとつは「学内相談室」で1対1で責任をもって面接や検査を、大学院でのケースカンファレンスや指導付き、SV付きで濃密に行うこと。
ふたつめは医療での実習ですが、これも直接患者さんと対話したり質問紙検査などを行って体験することと、その実習についての大学院での指導を含むもの。
みっつめは、汎用なので、医療以外の領域ではどんな実習をするか。この内容はまだ白紙に近い様子でした。

ですので、学内相談室、医療、その他領域という、最低3通りの実習を必須で行うということで、6単位270時間という計算になっているのではと思います。

次に、「議事録が公開されないから議論すべきでない」とは私は書いておりませんし、そう感じられているのならそれは、私の考えへの反応だとすれば誤解だと感じます。
ただし、私は非常に微妙なことを伝えようとしているので、その真意がなかなか人に伝わりにくいのはよくわかります。

私が書いた文を再掲します。
> どんな疑問や意見でもそれを発信していくことは大切だと思います。
> ただ、今回の件で気になったことは、
> まだ議事録が出ていない段階で参考資料だけ見ると、
> 議論の雰囲気がまるで伝わらないので、
> 資料の文字面の時点で、やや感情的に焦っておられる印象がしましたし、
> そのことに反応している人たちをネット上で見受けます。

まず、いちばん大切なことは、今回、このようにカリキュラムの資料が発表されたのですから、本来は、各団体が、「ワーキングチームではこんな話が出ましたよ。それに対して当会の見解はこうですよ。」ということを会員向けに迅速に伝えることが必要だと思います。

もし、本当に公認心理師を良いものにしようとするのなら、ワーキングチームの外で不安になりながら見守っている人たちに対して、議論の内容を真摯に伝えて、意見を聞きながら、動きをまとめながら進めるのが良いと思います。

それができないとすれば、私たちの団体が残念ながらそういう成熟段階に至っていないということでしょう。

私は、議事録が出ていないので議論すべきでないと考えているのでは全くなくて、議事録が出ていないので、議論する材料が足りないことを知ってくださいね、資料には掲載されていない生の議論の部分に大切なことがたくさんありましたよ、それをお伝えしますので、その上で考えてください、と言っているつもりです。

つまり、本来なら、各団体が、迅速に議論の内容を広報すべきであるのに、そういうことがなされていなので、自費で新幹線に乗って傍聴に行っている末端の人間が、こういうところで、当日の議論の内容を、少しでも関心を持つみなさんに知っていただきたくお伝えしているわけです。

ただし、私が、Tomyさんやこころしかくさんが、最初やや感情的になっておられるように感じて、「これは困った」と思ったのは確かです。
その理由は、繰り返しますが、座長はこの難しい政治的な状況の中で、少しでも良い臨床家の資格を作ろうとされているし、委員には臨床心理士が多くいて、できる限りの議論をしようとしているので、そのことにマイナスになる行動は、社会や人々のためにならないと思うからです。
Tomyさんは、その後、私の感覚をご理解くださっているようでありがたく思っています。

最初のカリキュラムは泣いても笑っても3月までに出来上がってしまいます。
その中で実現できることは限られています。
でも、少しでも良いものにしたいですから、実際に現在委員をしている方々の、臨床の仕事に役立つ意見が一つでも多く通るようにサポートできる方向を、私は考えたいのです。

そういう意味で、もちろん議論は大切だと思います。
大いにやっていきましょう。
(こころしかくさん、コメント欄をそのように使わせていただきありがとうございます。)

そして、基礎と臨床と両方ができる指導者というのは、とても望ましいものだと思います。
また、心理学の方法論は日進月歩で変わっていて、質的研究や、文化的多様性を含むようなアプローチがこの20年でどんどん展開したと思います。

昔々の感覚で、基礎系は数字ばっかり見て人間を見ていないとか、臨床系は科学じゃなくてオカルトだと言い合ってたような、過去の感情的対立からはもう脱却したいですね。

話が脱線しますが、30年ぐらい前にはまだ、「生得的か学習か」ということが論争だったですよね。
それは相互作用しているものだということ、少し考えれば当たり前のことが、学問の中で、発言できるようになるのに、何十年もかかったわけです。

心理支援の仕事をしようとする人たちが、21世紀の初頭の日本で、「基礎か臨床か」という争いでずっと立ち止まっていたというようなことだと、後世の人たちはさぞかし残念に思われることでしょう。

建設的な議論が残るといいですね。

こころしかくさんへ

私の言い回しが言葉足らずなのかもしれませんが、「私が」その方便を「必要」だと思っているのではありません。

再掲しますと、
> しかし、それを法律だとか通知だとか、ガイドラインだとかに書くときに、
> 方便として「知識」「技能」という用語が必要なのかもしれません。
> 臨床家で、「知識」と「技能」の足し算で臨床ができると思う人は一人もいないでしょう。

これは、ありていに言えば、<官僚にとっては「知識」と「技能」というようなわかりやすい用語が必要なのかもしれない。
でも私は臨床家なので、「知識」と「技能」はそのように分けられないと知っているし、その足し算で臨床ができるなどとは全く思わない>と伝えたつもりでした。

この「知識」と「技術」で学部と大学院を切り分けようとされているのは、日本心理学会・学術会議のグループの先生方ですね。
ワーキングチームの委員では丹野先生です。

私がこういうところでいろいろ伝えようとしているうちに、日本心理学会の見解が出ましたね。
http://www.psych.or.jp/pdf/161214_kenkai.pdf
ここにも「知識」と「技術」とありますね。

私の個人的な感想を述べますと、「ああ、やはり日本心理学会や学術会議の先生方は、臨床のことは体験されていないし、体験したことのない人には全くわからないのが臨床だな。」と思います。
「やれやれ、基礎心理学の先生方は、日頃は実証実証と言われるけれども、それならなぜ自分たちの知らない臨床のことについて、知ったようなことを言われるのだろう。」と疑問に思います。

ワーキングチームを傍聴すると、その発言の内容や語り口、トーンや身ごなしのすべてで、その委員が臨床家であるかどうか、どのような臨床をされているかが、とても伝わってきますので、できるだけ多くの方々にぜひ傍聴をしていただきたいと感じます。

次に、こころしかくさんは「実習」の科目内容について少し誤解されているように感じます。
Tomyさんへのコメントにも書きましたが、実習の内容は次回に持ち越しで検討中ではあるのですが、
1、学内相談室で面接や検査を担当し、そのことについて指導(SV)を受けつつ、大学院内でのカンファレンスなどを行うもの。つまり、担当する面接や検査についてのカンファレンス等も実習単位に含まれるとWTで話が出ていました。
2、医療での実習。これも、指導者がきちんと事前事後指導をするイメージです。
3、汎用性なので医療以外の領域の実習をどうしていくか。

これらはすべて、ただ外に行って何かやればいいというような安易なものであってはならないですね。
大学院の中で、しっかりと事前指導、実習中の指導、事後指導を行って、「仮設検証的な思考」を養うことができて、初めて実習と言えると思います。
そういう意見は、委員の中からも出ています。

つまり、こころしかくさんのおっしゃる
> いくら体験しても、
> 振り返りやディスカッション、演習、スーパーバイズ、CC、学習など、
> 「統合的学習」がなされなければ、
> 意味のある学びになりません。
これは当然そうなのですが、この「ディスカッション、演習、スーパバイズ」や実習に必要な大学院での学習は「実習」の単位にある程度含めて考えているという科目構成のようですよ。

それで、再々同じことを伝えるのですが、「受験資格」は、「大学+大学院」でそれらの科目全体を学んで、これなら受験して大丈夫という修了の証明をもらった人にだけ与えられるということですね。
つまり、演習や実習、それについての事前・最中・事後の指導を含めて、どのように体験学習、統合的な思考の訓練をしたかということを、大学・大学院の先生方にはしっかり評価していただいて、できていない人には単位を与えないでいただければ、「受験資格」を持つ人が一定数絞れるわけですね。

医師国家資格は、国家試験の合格率はとても高いですね。
それは、まず大学入試で選抜していますし、6年間の課程の中で、非常にしっかりといろいろな学び方で医師であるために必要な態度・考え方・検証のしかた・技術・知識などなどを叩き込まれて、できていないと卒業できないことになっているからですね。

でも、それでも、マークシート試験を最後にしなければならないのはなぜかというのは、公認心理師に限らず、近現代の「専門職」のあり方、インテリやエリートのあり方のとても興味深いところです。

話がそれるかもしれませんが、私が学生時分のことなので今はどうかわからないのですが、大学院入試や学部編入試験は「2か国語」が試験問題でした。
だから、英語だけではなく、英語とフランス語とか英語とドイツ語とかができないと編入に受からなかったです。

なぜそういう試験をするのかというと、総合的な意味での「学力」というものを測るのに、語学の力を見るのが、いちばん判断がつきやすいという経験則があるからだというのを聞いたことがあります。

「マークシート試験」というのは、20世紀が生んだ奇怪な文化ですが、そういうものにも、今はまだぼちぼち付き合うしかないのかなというぐらいが、私の「国家試験」というものに対するスタンスです。
大学の先生が、「この人は手塩にかけて育てましたので公認心理師になって大丈夫です。」と証明するだけではいけない、最後に儀式のように「知識を早くたくさん正確に思い出せる試験」をしなくてはならないというのは、20世紀の呪詛のようなものではと思います。

それよりも、私は、大学や大学院の先生方に、しっかりとその「人」を育ててください。
その「人」が6年間で経験することが、人を心理的支援をすることに役立つよう、心を込めてしっかりと送り出してくださいと、お願いしたいです。


つなでさん、まだ途中までのコメントしかできていないのにもかかわらず、
リコメントいただきありがとうございます。
残りのコメントをしてからでないと散漫になると思いながら、
瞬間的な反応を記します。

「知識」「技能」論について、
官僚に(含め広く理解してもらうには)必要かもしれないな、
(違うんだけどと思い間がらも)
という立場と、
それは事実とは大きくかい離するので、
新たな言葉を用意しなければこの資格の根幹がくずれる、
という立場は、
かなり異なりますね。
つなでさんが前者であり、
私が後者であるという理解でよいでしょうか。

実習にさまざまな要素(私の言うところの統合的学習)が含まれるということ、
それはもちろん理解しています。
しかしながら、
そのように実習にさまざまなことを含めていくという発想は、
実際の教育をゆがめたものとします。
何を学習すればよいかが不明確となり、
体系的な学習を行うことが難しくなります。
そして院の教育現場そして大学経営者、大学の外でも、
院では実習さえやればよいという意見が、
広がることになりかねません。
そしてそこに、
「知識」「技能」論が理屈として登場します。

実習でさまざまなことを行うという議論は、
そのような論理でゆがんだ形に使われる心配があるので、
そのことはつなでさんと共有していければと思います。

国家試験と専門家養成のお話、
どうもありがとうございます。
>大学や大学院の先生方・・・
>しっかりとその「人」を育ててください
もちろんその通りですが、
そうするための制度設計がどうあるべきか、
その議論が重要です。

つなでさんのことを言っているわけではないですが、
「あとは人を育てることが重要だから、
 カリキュラムのことはこの辺で手を打ちましょう」といった流れにならないよう、
気をつけたいところです。
このあたりも含め、
会議の流れをどう認識するかについては、
つなでさんの前のコメントに対する反応として、
別に記したいと思います。

こころしかくさん

おはようございます。
ネット上での議論では、いつも相手に対する「この人はこういう人だ」という偏見が入りやすく、資格の問題で長年発言している私に対しても、いろんな色付けを人はしているのだろうと思っています。
こころしかくさんも、私への偏見があるでしょうし、私にもこころしかくさんへの偏見があるだろうと思います。

私が今「この辺で手を打ちましょう」「現実はこうだから我慢しないとしかたないよね」と言っているように聞こえるなら、それは偏見だと思います。
でも、そういう風に聞こえるかもしれません。
公認心理師資格が国会を通る前後に、私はたしかにそのように発言していたことがあります。
それは、当時の文脈の中でのことです。その発言には、苦渋の選択がありました。

でも、今は、ワーキングチームで議論中なので、臨床心理士側が、これが良い臨床の資格の姿だよということを主張すべき時だと思います。

私は誰よりも色付けされて見られていると思うので、どうか人の過去から人の現在を決めつけないでいただきたいということをお願いしたいです。
また、ネットでのやりとりがいかにお互いを理解しづらいかも知っていたいですね。

こころしかくさんのおっしゃることは、初めよりずっと伝わって来ました。
おっしゃっていることが、WTでの議論にも生かせると良いですね。

「知識」「技能」に変わる「新たな言葉」について、どういう言葉かまた教えていただければありがたいです。
そういうものがあれば、臨床心理士の委員のみなさんもそれを使いたいと思われるかもしれません。
先日のWTでは、良い案はすんなり採択される印象がありましたので。

みなさんに知っていただきたいことのひとつですが、「知識」「技能」で割り切るような、日本心理学会のような態度は、官僚には「使いやすい」感じがするでしょうし、だから採択されやすいだろうということです。
国家資格の議論は、そういう意味で、臨床心理側がずっと不利で進んで来た面があると思います。
つまり、臨床側から見れば、臨床実践について何も体験せず、理解も知ることもしていない人たちが、官僚や政治から見れば、言葉の上だけで臨床の人たちと同じに見え、臨床側が複雑な事実について複雑な言葉にしようとすればするほど、知らないからこそ明確に言える基礎系医療系の人たちの発言が、一部の医師の人たちや官僚たちに採択されやすい傾向が現にあると思います。

今回、座長が臨床家であって、かつ臨床家を教育することの専門家であることを、本当に心強く、幸運に感じています。
だから、良いものは採択される可能性があります。

こころしかくさんのおっしゃる「新しい言葉」が官僚の人たちに「これはいい」と理解されるならば、採択される可能性はあるでしょう。

私は大学人でないので、単位とかカリキュラムとかの運用の様子がわかりません。
科目名や単位数に明確にしないと、それを実行できないという側面が大学・大学院の教育にはあるのだろうと、こころしかくさんのおっしゃることを見ていて思いました。
大学・大学院の教員、あるいは運営する側が、カリキュラムのガイドラインを、「これだけすればいいでしょ」というように安易な方向に解釈していく危惧がそれだけあるということですよね。

大学のカリキュラムしかり、資格のことは常に現実原則とどう折り合っていくかを含んでいますね。
今回の場合だと、「2017年3月までに結論を出す」というのが既定された条件です。

WTでは、「1公認心理師のカリキュラム」「2大学卒業後の実務経験の範囲(実施する施設及び期間)」「3現任者の範囲(実施する施設等)」「4国家試験(試験科目等)」5「現任者の講習会の内容と時間数」「6その他必要な事項」
と、これだけすべて2月の終わりには議論し終えていなくてはならず、会議は残り3回です。

だから我慢しろとか手を打てと私は言っていないので、どうかその点をご理解ください。
あと残り3回の、官僚組織による会議において、何かを変えられるとすれば、私たちはどう動けばいいのだろう?と思います。

こころしかくさんとは、ぜひ、会議を本当に変えられる、あるいは、会議の今の臨床側の努力をさらに強められる、この案の本質的に正さないといけないところを、一緒に考えさせていただければと思います。

公認心理師が成立する時に、付帯決議があったことは大きく、今回も座長は、基本的にはこれは臨床心理学をベースにした資格だと明言されています。
付帯決議が通るまでに、臨床心理関係者は、分裂して、世間にみっともない姿をさらしながら、お互いに傷つけあいながら、政治家や官僚に大きい迷惑をかけながら、慣れない社会運動をしました。
このことに意義や成果があったことを、私は心から認めますし、本来は、臨床心理士の組織の上の方の人たちに、その意義を認め、自分たちのやり方の反省すべき部分を明らかにし、これからは一緒にやっていけるスタートラインを作って、公認心理師の中身を作る作業を始めてほしかったという思いが私にはあります。

日本心理学会の上記の見解の、「○国家試験では第1号受験者(学部プラス大学院)と第2号受験者(学部卒プラス業務経験)を平等で扱うべきである。「技能」の試験は、大学院か業務で獲得する体系にもとづいて出題、また「知識」の試験は、大学(学部)のカリキュラムにもとづいて出題しなければならない。」というところが、私がお伝えしていた「平等」論ですね。(くどいですが、私が賛成しているわけではないです。)

大学院がメインルートというならば、こういう理屈はダメなのだ、大学院での科目も試験に出題されるようにするには、こういう方法論でやればいいのだということが、残り3回の会議に間に合うように伝えられる可能性は、まだあるかもしれません。

つなでさん、早々のコメントありがとうございます。
ひとつ合意できたことを、とてもうれしく思います。
それは、
>「知識」「技能」に変わる「新たな言葉」、
を、
私たちは強く求めているということです。
(その理解でよろしいでしょうか)

このことは、
さまざまな論点の中でも最も大切なことなので、
こちらに絞って新しく記事を上げさせていただきます。

私は、
つなでさんの過去の意見については、
あまりフォローできていません(すみません)。
ですから今回の議論に率直に反応していますが、
もちろん偏見がたくさんあろうかと思います。

その意味でも、
つなでさん、そしてtomyさん含め、匿名の文字がたよりの議論(対話)が、
続いていることを、
そしてその対話のベースにあるのが、
よい資格にしたいという思いと、
それが今のそして未来の国民のためになるという希望に基づいていることを、
確認していく歩みであることを、
心から歓迎します。

また、
こちらも合意いただけますか?
それは、

「日本心理学会の上記の見解の、「○国家試験では第1号受験者(学部プラス大学院)と第2号受験者(学部卒プラス業務経験)を平等で扱うべきである。「技能」の試験は、大学院か業務で獲得する体系にもとづいて出題、また「知識」の試験は、大学(学部)のカリキュラムにもとづいて出題しなければならない。」という、

「学部・大学院平等論」に対し、
国民そして官僚はじめ委員の皆さんにわかりやすい別の意見(言葉)を、
私たちはみつけなくてはならない、
ということです。

こちらも同意いただけるのであれば、
つなでさんと私は、
また大きな(小さな?)一歩を歩むことになると思います。

もちろん、
ぜひとも反論もしてください。
歓迎します。

上記2点について議論が深まれば、
他のまだ私がリコメントしていない部分については、
言及せずに先に進んでよいかもしれません。

つなでさん、こころしかくさん、7条の2の実務経験の年数が、2、3年になり、かつ有給で、指導を受けることができれば、大学院にいく人はすくなくなり、実質的に7条の2がメインルートになりませんか?ただ、付帯決議で、大学院相当か以上となりましたので、指導者の審査機構を作らなければならないでしょう。

こころしかくさんへ

ご理解ありがとうございます。
過去のことはひきずらなくてよいようですので、今現在のことに集中していきたいと思います。

「知識」と「技能」に替わる適切な表現を考えていくことについて賛同します。
また、7条2号ルートの「平等論」について何らかの対案を出していくことにも賛同します。

7条2号ルートについては、国家試験についての課題だけではなく、2号ルート全体について、適切な位置づけができるように働きかける必要があると思います。

まず、なぜ2号ルートが必要なのかについて、それを必要と主張する人たちの論点を改めて明確にしていただくこと。
その上で、付帯決議を踏まえて「大学院ルートがメイン」であるとすれば、7条2号ルートをどのようなものにすることが必要かを検討すること。

日本心理学会が使っておられる「平等」の真意は、検討会やWTで話されることはないかもしれませんが、もし万が一、それが、政治的な「基礎心理学の勢力圏拡大」のような、この資格の趣旨にはずれた争いから生じている動きであるなら、そのことを明るみに出して批判する必要があると思います。

今後の議論は、こころしかくさんがあげてくださった新しい記事のコメント欄に移動しますね。

Tomyさん

私は、7条2号ルートの人には、大学院ルートに相当するかそれ以上の厳しい研修を義務付けることと、そのルートを実施できる実務機関について、指導者の存在や研修の時間を与えることができるなどの厳しい条件を最初からつけておくことがまず必要だと思います。

その上で、大学の教員のみなさんが、しっかり「大学院にいかないとものにならないよ」という指導をされること、どうしても経済的理由から2号ルートを選びたい人があるようでしたら、その実務機関を選んで優秀な学生だけ送り出していただくことができるのが理想です。

私はできれば、2号ルートの人は、大学院に「研究生」として在籍することを義務付けて、大学院の一部の授業や指導を受けないといけないことにしてはどうかと思います。

2号ルートの人の教育にも大学院が関わっていかないと、Tomyさんが危惧されているような、民間の心理療法研修機関が2号ルートの研修に手を挙げることになるでしょう。
もちろん、その機関の認証も必要にはなると思います。

とりいそぎ、ご返信まで。


大学院で「知識」の学習が必要なことを訴えるとともに、
2号ルートの人への「公平」性を保つ配慮としては、
「国家試験に出る科目はすべて学部で学ぶようにする」ではなく、
「大学院で教える国家試験に出る科目については、科目等履修生が受けられるようにする」
というアイデアはどうでしょうか?

どれだけ実現可能性があるのかわからないのですが、このアイデアであれば、
2号ルートの人に「機会の公平性」は保つことができると思うのですが。経済面への配慮も科目等履修生であれば、十分できてるのではないかと思います。


つなでさん
知識技能論と平等論、ですね。
またご指摘のように、
7条2号ルートの中身イメージの検討も重要です。

私がイメージする7条2号ルートは、
公務員採用の心理職です。
都道府県採用の心理職や法務省採用の心理職の中には、
学部卒で入職する人がいます。
これらの人々が研修をしっかり受けて、
臨床経験を受けて公認心理師となるルートは、
確保していくことは大切と思います。

それ以外のルートは、
民間のみで研修教育を行っていくには、
なかなか厳しいのが現状のような気がします。
国や都道府県などの研修の機会を持つといった、
経過的な措置が必要と思います。

ペンギンさん、コメントありがとうございます。
科目等履修というアイデア、すばらしいです。
国や都道府県、大学、公益性のある法人等が、
当面、7条2号の人々の教育機会を設ける、
というイメージですね。
必要養成数に満たない段階では、
経過措置的にそのような体制を作るのは、
あり得ると思います。

こころしかくさん、私も7条の2に、法務省などの公務員、考えました。しかし、医療分野は必須ですので、法務省の職員が医療実習ができるかですね。可能性としては、医療刑務所での実習でしょうか。

Tomyさん、その通りですね。
どの分野でも、
医療含め複数の臨床経験が必要と思います。
その一部を研修として設定することは、
あり得ると思います。
たとえば、法務省入職者が、
一定期間、研修可能な精神科病院で研修を行うというイメージです。

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