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« 学部卒と大学院との平等論についての対話 | トップページ | いわゆる学部卒ルート不公平論について »

2016年12月16日 (金)

「知識」「技能」に変わる「新たな言葉」について

すでにこのブログでもお伝えしている通り、

公認心理師養成カリキュラムが、

学部は「知識」、大学院は「技能」という枠組みを中心に、

大学院での講義がまったく少ないたたき台が、

ワーキングチーム事務局から提案されています。

たたき台は、こちらを参照

多くの人がお気づきの通り、

臨床の学びは、

知識を学んで、次に技能という単純なものではありません。

大学院教育において、

知識・演習・実習のサイクルが、

何度も何度も繰り返される、

そのような「実践力や臨床力を身に付ける」教育がなされるということは、

自明なことと思います。

しかし、他職種の人やまた官僚の皆さん、そして広く国民に、

学部で何を学び、大学院で何を学ぶのかという、

わかりやすく本質を説明する新たな言葉が、

いま求められています。

「新たな言葉」を求めるまでのコメント欄での対話については、

前回のブログのコメント欄を参照

つなでさん、そしてtomyさん等とのやり取りです。

どうぞさまざまなコメントを、

本日のこの記事にお寄せください。

若手の素朴なコメントも歓迎です。

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養成カリキュラム」カテゴリの記事

コメント

新しい言葉ではありませんが、
学部でも知識(knowledge)だけでなく,
技能(skills)、を学ぶのですよね。

とするならば、
学部では基礎的知識と技能、
basic learning of knowledge and skills
であり、

大学院では、
実践的知識と技能ということでしょうか。
practical learning of knowledge and skills

大学院では総合的学び、
と言ってもよいかもしれません。
comprehensive learning of practical knowledge and skills

講義と演習と実習を、
三位一体で実施して、
そのサイクルを繰り返し、
臨床の知の入り口に立つというイメージです。

英語で表現すると何か発想が出てこないかなと思って、
少しだけ表現してみましたが、
これらをわかりやすく表す日本語が欲しいところです。

皆さんのアイデアをお待ちします。

私は、「知識」と「体験」がよいと思います。たたき台に、学部に、心理学実験がはいってないことに、心理学のさまざまな学会が異議を唱えています。私はそれはそうだとうと思います。私も知覚心理学・ネズミによる学習心理学を学部で学び、当時のさまざまな心理学実験は今も記憶の残っています。「体験」には、「実験」、ロールプレイなどの「演習」、そして事例や集団への予防的介入などの「実習」があると思います。知識と体験はいつもセットで学ぶ必要があります。その点、日本心理学会WG学術会議案の学部は知識、大学院は技能という棲み分けには反対です。そして、国家試験は、学部の知識、大学院の知識は出題してはならない、という論理も、国民の利益にならないと思います。7条の2は、一体誰のために設けた条文なのか、再度、検討する必要があります。

こころしかくさん、Tomyさん

日本心理学会の見解を一度引用してみます。

> ○大学院カリキュラムでは、学部での心理学学習を土台にした上で、
> 高度専門職業者として、主要5領域において即戦力になりうる
> 高い専門知識と技能を有する実践家を養成する。

> ○国家試験では第1号受験者(学部プラス大学院)と第2号受験者
> (学部卒プラス業務経験)を平等で扱うべきである。
> 「技能」の試験は、大学院か業務で獲得する体系にもとづいて出題、
> また「知識」の試験は、大学(学部)のカリキュラムにもとづいて
> 出題しなければならない。

> ○学部では「知識」を中心に学び、
> 大学院では「技能」が中心の学びになることを指針とする。

問題になっているところはこの部分ですね。

それで、私が間違っていたところを謝罪します。
国家試験は、日本心理学会案だと、「知識」の試験と「技能」の試験の両方が出題され、「知識」は主に学部のもの、「技能」は主に大学院または実務のものが出題されるということですね。
私は、国家試験は主に「知識」だけかと誤解していたので申し訳ありません。

大学院での学習は、実務機関での実務に相当する、そして、その内容も国家試験に出題されると、2号ルートを押す人たちは考えているということですね。

さて、新しい言葉ですが、「知識」については、「知識・理論・方法」、「技能」については「体験・研究(仮説検証)・技能」ぐらいは含まれているかなと思います。

大学においても、大学院においても、「知識・理論・方法論」を講義や資料等を読んだり調べたりすることやディスカッションを通して学び、それを元に仮説検証(実験を含む)やフィールドワークをする、そしてその結果を教員や学生たちとまたディスカッションし、文章にまとめて深めるというサイクルをやっていくのが心理学・臨床心理学の学習かと思います。

その基礎編が学部であり、深める(特に、テーマをもった研究をしながら深める)のが大学院だろうと思います。

Tomyさんがおっしゃるように、「技能」をただ身につけるということではなくて、「仮説検証のできる思考力を養う」「コミュニケーションとプロセスの体験をする」というようなことが必要で、それをもし一言で言うなら「体験」と括るのは良い案だと思います。

ところで、私は、改めてよくこの日本心理学会の見解を読んで、それから、第3回WTで傍聴した内容を思い出して、ほとほと困ったことだなと思っています。

こころしかくさんも再々おっしゃっていることですが。

医療系委員や基礎系委員が主張される考え方だと、「大学院で実習」と「実務機関で実務」が等価になってしまいます。
どうやら、本当に、その委員の方々は、それが入れ替え可能な、等価なものと思っておられるようです。

心理支援の実践、すなわち臨床心理の仕事をするための「体験学習」は、単に技能を身につけるということではなく、知識を多面的に批判しつつ修得し、方法論を目の前の現実に合わせて柔軟に駆使し、結果を幅広い視野で評価できるようになるための、態度、思考力、コミュニケーション力など、非常にトータルに身につける必要がありますね。

それができるためには、ただやってみるだけではなく、大学院のように、さまざまな立場の教員が存在する場所で、教員や学生たちとディスカッションしながら、また、個人指導を受けながら、そして、文章を読んだり書いたり、やってみてレポートしたり、そういうことをしながら、じっくりと身につける時間が必要だということだと思います。

そういうことを、長年、臨床心理士は主張して来たのだと思います。

実際、実務機関では、給料をもらって働いているので、求められたことには応じなければならず、現場は忙しいので、学部卒の新人の人には、じっくりと考える余裕はなかなか持てないでしょう。

2号ルートの問題点は、大学院が実務機関での実務と等価であるとしているために、大学院には上記のようなディスカッションをしながらじっくり学べるという長所があるということを無視してしまっていることにあると、あらためて気づきました。

基礎系(非臨床系)心理学の先生方にとっても、そのような形で、大学院の教育の内容を、実務機関で実務をやれば身につくものに相当すると主張してしまうことは、大学院の価値を下げ、「じゃあ、心理学は大学院は不必要ですね」となりかねない、つまり、自分たちに不利益が戻って来る考え方なんじゃないでしょうか。

みなさんがすでに気づいておられることを、あらためて書いているようですみません。

大学院での経験と実務機関での経験を「等価」に近くするためには、「大学院を下げる」のではなく「実務機関での経験」を底上げすること、すなわち、実務経験の「期間」は最低でも3年以上(時間数では常勤相当の3年以上)にすること、その実務経験期間に大学院の科目履修あるいは指定された研修機関での継続的な研修を義務付けること、できれば、受験資格を得るためにレポートを課すことなどができると良いのですが。

Tomyさん、つなでさん、コメントありがとうございます。
お二人のお話、ほとんとのことが、
私にもすんなり入ってきます。

学部でも「知識と体験」「知識、理論、方法論」「体験、研究、技能」が必要で、
大学院でももちろんすべてが必要ということが、
はっきりしてきました。
つまり、
心理実践家養成の学びは、
常に知識と体験、方法と研究、理論と技能が、
まざりあって進行していくという、
あたりまえといえばあたりまえのことですね。

そして大切なのは、
その統合的な学び(と呼ばせてください)が、
学部では基礎的なものであり、
大学院では実践的(発展的)なものであるということです。

このような当然と言えば当然のことなのですが、
○○会議や○○学会が「知識」「技能」というと、
少しまどわされますね。

ここはしっかり、
学部が基礎的な学び、
そして大学院が発展的な学びを行うこと、
そして学部でも大学院でも、
「知識、体験、技能、理論、研究」を統合的に学ぶことを、
しっかりと主張すべきと思います。

新しい言葉はもしかしたら使わなくても、
学部は「知識と技能」の基礎、
大学院は「知識と技能」の発展、
を学ぶという。
あたりまえの構造を、
しっかりと認識すること、
それが重要とも考え始まました。
(これもこれまで言われている当然のことに立ち戻りました)
(でもこの立ち戻るプロセスそのものも大切と思います)

そして講義系の科目でいうならば、
基礎的学びは「概論」、
そして発展的学びは「特論」、
文部科学省の人も同意してくれる、
日本の学部大学院教育の科目名ですね。

大学院教育と学卒後の臨床経験がどう違うか、
つなでさんが指摘してくれました。
ここも重要な論点ですね。

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