こころの支援と医学モデル
今から20年前の話ですが・・・。
ある新聞に、「不登校の多くは(精神分裂病(当時)のような)精神疾患を有する」といった記事が一面に載ったことがあります。医学的治療が必要な群が含まれているのは事実ですが、多くは統合失調症という見解はさすがに厳しいところです。社会の心の問題を、医学モデルでみようと無理した一例です
DSMができて、さすがにへんてこな診断がまかり通ることはなくなりました。
しかし、DSMに定義された診断であっても、
その医学的実体がどの程度あるのか疑問な診断カテゴリーもあります。たとえば、人格障害のカテゴリーの中には、はたして疾病単位として成立するか首をかしげるものがあります。
診断→治療という医学モデル介入には、非常に強力なパワーと有効性があります。しかし一方、医学モデルのみの枠組みでは、充分にとらえきれない社会と心に関する現象もあるという認識が、重要と考えます。
自殺予防に対する支援を話し合う時に、最近しばしば問題となるのは、「自殺予防対策=うつ病対策」となることです。もちろん、自殺者の中にうつ病の人が多いのも事実と思いますが、うつ病対策(医学モデル)のみでは、有効なうつ病予防対策を打ち出すことができない。医学モデルから学ぶことは多いのですが、社会の中のこころの支援を論じるにはそれだけでは決定的に不足していると考えます。
確かに、心理臨床の世界にも、医学モデルに基づいてこころの支援を整理しようという動きがあります。米国心理学会(APA)の第12部会(臨床心理学部会)が、1995年にガイドラインとして出した「十分に確立された介入法」などをみると、精神医学的診断別の介入法が議論されていて、医学モデルに基づいて心理臨床の介入を整理していることがわかります。
医学モデルに基づく介入法の検討が重要であることはわかります。しかし、それがこころの支援や臨床心理的介入の基礎と考えるのであれば、それは間違っているでしょう。医学モデルによる実践は、私が現場で行っている活動の一部を占めるにすぎません。医学モデルのもっと根本のところに、「心理臨床モデル」といったものがあると考えます。「心理臨床モデル」というか、「臨床人間学的モデル」といった方がよいかもしれません。そして、そのモデルを土台として臨床心理学が成立しているといってよいでしょう。
「医学モデル」に基づく介入のみでは、病気をみて人(の心全体)を見ずということに陥りかねません。特に、その医療モデルに基礎をおく心理士が、医療心理師法案のような学部4年間で養成されるとするならば、「木をみて森をみず」の傾向はますます強まるでしょう。学部4年間では、技術の習得だけでせいいっぱいですね。人間の心の存在のあり方といった大切な思索をする間もないでしょう。
誤解のないように繰り返します。
こころの支援を行うにあたって、医学モデルによる考察は必須です。その考察のないこころの支援はありえないと考えます。医学モデルに基づいたこころの支援もあってよいと思います。しかし、医学モデルによる介入のみが、心理臨床活動ではないと思います。また、医学モデルに基づいた介入が心理臨床活動の中核ではないことを強調しておきたいと考えます。
このように主張する私ですが、「医学モデル」ではない視点を大切にするよう教えてくれた先生や諸先輩の中に、医師の方々もたくさんおられます。今から考えても、自分の依拠する分野の限界を意識して実践を進める諸先輩には頭が下がります。しかし、「医学モデル」でない視点とは何なのか、その大切さも含めて私にはピンときませんでした。
その後、現場の実践を積み重ねる中で、医学モデルで対応すべきなのにしていない事例にたくさん出会いました。一方、医学モデルで対応すべきでないのに、医学モデルにのってしまい、不適切にゆれている事例にも多数出会いました。それらの事例を検討しながら、医学モデルや心理臨床モデルを意識しつつ、かつ柔軟に展開させていくことの大切さを身に染みて痛感するようになりました。なかなか難しいけれど・・・。
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コメント
こころしかくさん、トラックバックありがとうございます。
私の経験では、不登校事例に関しては、医学的疾患の診断がつく人のほうが少ないです。それから、困っていることは、はっきりした診断はつかないかもしれないけれども、何らかの脆弱性が感じられるので、相談に乗りながら経過を観察してほしい事例を医療につなげた場合、「病気ではないから」と、継続してみてもらえないことが多いですね。
本文の趣旨とは少しずれていてすみません。子どもや学校領域に関わっていると、医療では引き受けてもらえないことを、いろいろと引き受けている場合があるので書きました。どこでどう医療に引き受けていただくのがいいのか、模索の日々です。
投稿: つなで | 2005年12月 5日 (月) 20時15分
>医学モデルのもっと根本のところに、「心理臨床モデル」といったものがあると考えます。「心理臨床モデル」というか、「臨床人間学的モデル」といった方がよいかもしれません。そして、そのモデルを土台として臨床心理学が成立しているといってよいでしょう。
この点をしっかり認識し、勉強していくことが大事だと思いました。医師から、「私にできなくてあなたにできることとは何?」と聞かれると思います。その時に、「臨床心理学は人々の心の問題をこうとらえ、病気の水準にある人に対してもこのような固有の角度から関わる」ときっぱり言えるようになりたいです。
投稿: りん | 2005年12月 6日 (火) 00時10分
つなでさん
コメントありがとうございます。
そうなんです。「医療は必要ないけれど大人のかかわりは必要だから、時々通いなさい」と言って、薬を出さずに時々診察してくれるようなお医者さんがいれば、救われる不登校児やその親は、全国にたくさんいると思います。
でも、そんなことを開業医に期待してはいけない時代になっているのかもしれません。もちろん、そのようなかかわりをしてくれる医師も、実はたくさんいらっしゃるのかもしれませんが・・・。
いずれにせよ、心理士ががんばって医療とよい形で出会えるように仕込みをしていく役割が重要と考えます。私はそれを「露払い」と呼んでいます。
投稿: こころしかく | 2005年12月 6日 (火) 00時47分
りんさん、コメント感謝です。
>医師から、「私にできなくてあなたにできることとは何?」と聞かれると思います。
このような問いをしてくれる医師は、本当にありがたい存在と思います。自分の専門性の限界を熟知してかかわることのできる人は、本当のプロですよね。心理士はまだまだ若いのでしょう。これができる、あれができる、といった主張を無理に貫くケースも多いようにも感じます。心理的アプローチの独自性を語れるために充分研鑽と積むこと、そして同時に、心理的かかわりの限界も充分に意識できる存在になることが重要なのですね。んー、なかなか難しい道のりです。
投稿: こころしかく | 2005年12月 6日 (火) 00時55分
はじめまして,izugaeruと申します。私の書いた記事と関連するような内容だったのでトラックバックを送ってみました。
確かに,診断→治療というようなモデルは,臨床心理心理学的介入にはなじまないかもしれませんが,エビデンス・ベースドという発想は,対人援助の場において必要な考え方だと思います。
投稿: izugaeru | 2005年12月 9日 (金) 20時51分
たとえば,
>うつ病対策(医学モデル)のみでは、有効なうつ病予防対策を打ち出すことができない。
ですが,実際様々な疫学調査で自殺者においてうつ病の存在が大きなリスクであることは分かっています。確かにうつ病でなくても自殺する方はたくさんいます。しかし,現段階では,自殺予防においてうつ秒対策をきちんとやることが最善の方法だと考えられるわけです。有効かそうでないかは今後明らかになってくると思います。
投稿: izugaeru | 2005年12月 9日 (金) 21時00分
izugaeruさん
コメント&トラックバック、ありがとうございます。
>診断→治療というようなモデルは,臨床心理学的介入にはなじまないかもしれませんが
なじまないということではありません。むしろ、「診断→治療」の医学モデルとどう柔軟に連携し展開していくかが、臨床心理学の重要なテーマのひとつだと考えます。
ただし、医学モデルを心理学的支援活動の中核(または土台)にすえようとするならば、それは無理な話であるということを強調したいのですよ。
投稿: こころしかく | 2005年12月11日 (日) 12時17分
>現段階では,自殺予防においてうつ病対策をきちんとやることが最善の方法だと考えられるわけです。
自殺のリスク要因に対して、その対策を充分に検討することは大切なことと思います。リスク要因でうつ病ないし精神疾患があるわけですから、その予防対策をきちんと行うことは重要ですね。
しかしうつ病予防にのみ金銭的&人的資源を集中することが「最善の方法」かどうかは疑問です。
リスク要因研究からも言えますし、臨床的実感からも、自殺既遂には多要因が関連しており、疾病の問題もそのひとつに過ぎない場合も多いのではないでしょうか。
さまざまな要因を広く考えながら、自殺予防対策を考えることが重要であり、うつ病予防対策はそのひとつであるということでしょう。
自殺予防対策は、社会制度の変革も含めた幅広いものになるべきです。うつ病の予防のためだけに(エビデンスがあるからという理由から)、社会制度を変えるようなことをするならば、それは非常にバランスを欠いたものになると思います。
社会のさまざまな活動や価値観の中で、医学モデルはあくまで一部であるという感覚が、社会を論じる場合には重要と思います。
(もちろん心理臨床モデルも同じくです)
投稿: こころしかく | 2005年12月11日 (日) 12時38分
たしかに「なじまない」とまでは書いてありませんでした,早とちりでした。多分私が疑問に思ったのは,心理学的支援活動の中核になるとこころしかくさんが述べている「心理臨床モデル」、「臨床人間学的モデル」についてです。
自殺予防でうつ病対策だけでは「不足」とした上で上記のようなモデルの重要性を述べておられるので,上記モデルをより好んでいるような印象を受けたのです。
投稿: izugaeru | 2005年12月11日 (日) 12時47分
コメント時間がかぶっているみたいです。
上記のコメントで,自殺予防対策にこころの支援が大切だということだけを強調しておられなかったことが理解できました。丁寧なコメントありがとうございます。
ただし,1点指摘しておきたいのは,自殺に多要因が関連しているのは明らかですが,多くの研究でうつ病などの精神疾患のリスクはかなり強いものであることが分かっています。
>疾病の問題もそのひとつに過ぎない場合も多いのではないでしょうか。
という感覚だけで判断するのは早急だと思います。
投稿: izugaeru | 2005年12月11日 (日) 13時01分
その上で,私にはいまいちピンと来こなかった,「心理臨床モデル」、「臨床人間学的モデル」が具体的にどういうものなのか知りたく思います。
投稿: izugaeru | 2005年12月11日 (日) 13時04分
こころしかくさんへ。12月10日、臨士会・全心協がいっしょに忘年会を行いました。これまで、長い間、同じ心理臨床家でありながら、協力し合うことができませんでした。それは、お互いの情報や考え方を正しく理解しあうことができなかったからだと思います。まず、ともかく同じ席に座り、対話を始める。そんな基本的なことが、主義、主張、感情というフィルターが入ることで困難にしてきました。しかし、こころしかくさん始め、多くのブロガーが、インターネットという新たな空間の中に、対話の場を用意して下さいました。匿名ではありましたが、いろんな立場の人、老いも若きも交じり合っての対話が繰り返されました。そして、いま、その対話の場、リアリティ空間にも芽生え始めました。ここから先は、更なる構想力を生み出すべく、互いが勇気を持って、対話し行動することです。全心協の情熱とスピード、臨士会の組織力と実績が、組み合わさることで、大きなシナジー効果が期待できます。
ともかくここまで辿りつくことができましたのも、こころしかくさんはじめ、多くのブロガーの皆さんの努力があってこそでした。こころしかくさん、長い間、丁寧な情報を提供し続けて下さり、本当にありがとうございました。
なお、忘年会の情報は、つなでさん(http://blog.livedoor.jp/realize_now/archives/50471129.html#comments)、灰色たぬきさん(http://blogs.yahoo.co.jp/grayraccoondog/19204324.html)のブログに報告があります。
投稿: ichiishi | 2005年12月13日 (火) 09時02分
ichiishiさん
コメントありがとうございます。
有意義な忘年会だったようですね。
来年につながりそうな予感があって何よりです。
ichiishiさんにも、このブログやさまざまな局面で、いろんなことを教えていただきました。このエントリーの話題で言えば、「医学モデル」から離れて考えることができない人々に対して、医師の立場でありながら、多くの柔軟な視点を提示してくださいました。今後ともよろしくお願いいたします。
来年がよい年になりますように。
(まだ早いか・・・)
投稿: こころしかく | 2005年12月15日 (木) 00時47分
izugaeruさん
お返事遅れました。
>「心理臨床モデル」、「臨床人間学的モデル」が具体的にどういうものなのか知りたく思います
難しい問いなので、・・・不真面目に(でも真面目に)答えさせてください。
ある日の授業にA君が遅刻してきました。
「何か病気はないかな、血圧は・・・、うつ病じゃないかな」と問うのが・・・、
<医学モデル>
「遅刻することがどんなに大変なことなのかをこんこんと伝える」のは・・・、
<教育モデル>
「遅刻した事情を教えてもらえるかな」「遅刻しないためにはどんな解決方法があるんだろうね」と問い、本人と一緒に考えていくのが・・・、
<心理臨床モデル>
私からもizugaeruさんに質問があります。
<医学モデル>は、すべてがエビデンスに基づいて介入が構築されているとお考えですか?エビデンスがない事柄は、非科学的で価値が低くいと考えていますか?
投稿: こころしかく | 2005年12月15日 (木) 03時45分
こころしかく さん
お返事ありがとうございました。「心理臨床モデル」がどのようなことを意味していたのかは理解できました。
こころしかくさんからの質問ですが,ここで<医学モデル>とおっしゃっているのは,実際の医療現場ということでよろしいんでしょうか?↑のコメントでの定義では「診断→治療」という意味だったと思うのですが。
投稿: izugaeru | 2005年12月15日 (木) 10時36分
私のせまい見識の範囲内でしかないですが,EBMの発想は広まってはいるけれど,現段階では,実際の現場でそれに基づいて介入が決定されているわけではない場合が多いような気がします。
EBMの発想は,エビデンスに基づいて決めるといった部分だけでなく,エビデンス+医師の技術と経験+患者の価値観が合わさって成り立つものだと私は捉えております。
また,エビデンスには信頼度のレベルがありますが,レベルが低くても非科学的で価値が低いという捉え方はしません。ただ情報の信頼度としては,相対的に低いというだけですし,現段階ではそのレベルの情報しか得られないような場面も多々あると思います。
投稿: izugaeru | 2005年12月15日 (木) 10時49分
もうすぐ2005年も終わりですね。
今年はいろいろとありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
投稿: つなで | 2005年12月31日 (土) 23時28分
こころしかくさんこんにちは.
少し違うかもしれませんが,医学教育と臨床心理学教育について比較したエントリを書いてみました.
お暇なときにでも,ごらんいただいてコメントいただけたけたらこれ幸いです.
よろしくお願いします.
投稿: すえぞう | 2006年2月15日 (水) 18時55分
すえぞうさん
「医学教育」と「臨床心理学教育」、大事なテーマですね。実習と研修の違いについて、整理されていて勉強になります。臨床心理学教育に関しても、資格取得前と後でできることとできないこととを、より明確に整理する必要があるかもしれません。
投稿: こころしかく | 2006年2月19日 (日) 22時01分