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2005年12月に作成された記事

2005年12月 5日 (月)

こころの支援と医学モデル

今から20年前の話ですが・・・。

ある新聞に、「不登校の多くは(精神分裂病(当時)のような)精神疾患を有する」といった記事が一面に載ったことがあります。医学的治療が必要な群が含まれているのは事実ですが、多くは統合失調症という見解はさすがに厳しいところです。社会の心の問題を、医学モデルでみようと無理した一例です

DSMができて、さすがにへんてこな診断がまかり通ることはなくなりました。
しかし、DSMに定義された診断であっても、
その医学的実体がどの程度あるのか疑問な診断カテゴリーもあります。たとえば、人格障害のカテゴリーの中には、はたして疾病単位として成立するか首をかしげるものがあります。

診断→治療という医学モデル介入には、非常に強力なパワーと有効性があります。しかし一方、医学モデルのみの枠組みでは、充分にとらえきれない社会と心に関する現象もあるという認識が、重要と考えます。
 
自殺予防に対する支援を話し合う時に、最近しばしば問題となるのは、「自殺予防対策=うつ病対策」となることです。もちろん、自殺者の中にうつ病の人が多いのも事実と思いますが、うつ病対策(医学モデル)のみでは、有効なうつ病予防対策を打ち出すことができない。医学モデルから学ぶことは多いのですが、社会の中のこころの支援を論じるにはそれだけでは決定的に不足していると考えます。

確かに、心理臨床の世界にも、医学モデルに基づいてこころの支援を整理しようという動きがあります。米国心理学会(APA)の第12部会(臨床心理学部会)が、1995年にガイドラインとして出した「十分に確立された介入法」などをみると、精神医学的診断別の介入法が議論されていて、医学モデルに基づいて心理臨床の介入を整理していることがわかります。

医学モデルに基づく介入法の検討が重要であることはわかります。しかし、それがこころの支援や臨床心理的介入の基礎と考えるのであれば、それは間違っているでしょう。医学モデルによる実践は、私が現場で行っている活動の一部を占めるにすぎません。医学モデルのもっと根本のところに、「心理臨床モデル」といったものがあると考えます。「心理臨床モデル」というか、「臨床人間学的モデル」といった方がよいかもしれません。そして、そのモデルを土台として臨床心理学が成立しているといってよいでしょう。

「医学モデル」に基づく介入のみでは、病気をみて人(の心全体)を見ずということに陥りかねません。特に、その医療モデルに基礎をおく心理士が、医療心理師法案のような学部4年間で養成されるとするならば、「木をみて森をみず」の傾向はますます強まるでしょう。学部4年間では、技術の習得だけでせいいっぱいですね。人間の心の存在のあり方といった大切な思索をする間もないでしょう。

誤解のないように繰り返します。
こころの支援を行うにあたって、医学モデルによる考察は必須です。その考察のないこころの支援はありえないと考えます。医学モデルに基づいたこころの支援もあってよいと思います。しかし、医学モデルによる介入のみが、心理臨床活動ではないと思います。また、医学モデルに基づいた介入が心理臨床活動の中核ではないことを強調しておきたいと考えます。

このように主張する私ですが、「医学モデル」ではない視点を大切にするよう教えてくれた先生や諸先輩の中に、医師の方々もたくさんおられます。今から考えても、自分の依拠する分野の限界を意識して実践を進める諸先輩には頭が下がります。しかし、「医学モデル」でない視点とは何なのか、その大切さも含めて私にはピンときませんでした。

その後、現場の実践を積み重ねる中で、医学モデルで対応すべきなのにしていない事例にたくさん出会いました。一方、医学モデルで対応すべきでないのに、医学モデルにのってしまい、不適切にゆれている事例にも多数出会いました。それらの事例を検討しながら、医学モデルや心理臨床モデルを意識しつつ、かつ柔軟に展開させていくことの大切さを身に染みて痛感するようになりました。なかなか難しいけれど・・・。

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