2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« サイコセラピーのリスクについて | トップページ | リニューアルしました »

2005年10月 6日 (木)

「こころへの侵襲性」に関するのひとつの提案

「サイコセラピーのリスク」については、多数のコメントありがとうございます。その議論の本筋とはちょっとずれるのですが、医行為に関することで、ずっと考えていたことなのですが、ご意見をいただければと・・・。

それは、「こころへの侵襲性」に関する話です。すでに社会的文脈で、「こころへの侵襲性」という表現がふさわしくないことが、何度も指摘されています。「体への侵襲性」は医行為の定義として、社会(法)も認めています。しかし、「こころへの侵襲性」は比喩的表現であり、社会において実体のあるものとして認められない、という判断になっていると、私は理解しています。

そこで、こころへの負の影響については、「侵襲性」という言葉を用いるのはやめ、「リスク」という言葉を用いるようにしてはどうでしょう。つまり、「心理学的行為の侵襲性」とは社会的文脈では用いず、「心理学的行為のリスク」と用いるようにしてはということです。

afcpさんや他の皆さんも主張するように、侵襲性を分けることを学問的実体を持って行うことは不可能ということは充分理解しています。その上で、社会という場では、体への侵襲性とは言う(すでに言われていることを容認する)が、心への侵襲性という表現は、比ゆ的で拡大して用いられる表現で外延が不明確となるので、用いないように考えるということです。

そうすれば、

心理学的行為の専門性が高い → 侵襲性がある → 医行為に含む

心理学的行為は医行為でない → 侵襲性がない → 専門性がなくだれでもできる → 国家資格は必要ない

というへんなロジックから抜け出ることができるのでは・・・。

afcpさんもそのあたりを配慮してか、最近のコメントで「リスク」という表現を使ってくれていますね。

つまり話を整理すると、

心理学的行為はリスクを有する → 侵襲性はないので医行為ではない → リスクを充分管理するための国家資格化が必要

皆さんが指摘するように、こころへのリスクには当然体へのリスクに直結するものもあるし(リストカットなど)、心と体をわけて論じることは専門家の中の議論としては不毛です。実際、「こころへの侵襲性」という表現は日常の臨床でよく用いるしとても便利です。しかし、社会の場では、それは比喩的表現にすぎないことを、法的(社会的)議論をする場合には自覚しましょうということです。

ここで問題となるのは、医師が薬物療法や電気けいれん療法などの「体への侵襲」を伴わない精神療法的かかわりを行った場合、それは「こころの侵襲性」を持つと言うべきかどうかということです。私は、医師が病院において行う精神療法的行為は、投薬や侵襲的治療につながる(ことを暗示しうる)という意味で、「侵襲性を帯びる」と社会がみなしていると考えてよいのではないかと・・・。

一方、医師が産業医としてまたは学校医として(つまり医療機関以外で)、相談業務にかかわる場合は、その行為はこの定義では「侵襲性」をおびないので、医行為とは言えなくなるのですが、この点はどうなんでしょうか?医師が行うことはすべて医行為とするのも不自然ですから・・・・。

一方、病院であっても、心理士が心理療法を行う場合は、投薬や侵襲的治療も心理士がおこなう(ことを暗示する)ことはないので、「こころへの侵襲性」を持たず、こころへのリスクを有すると考えるわけです。しかし、医療チーム全体の行為としては「侵襲性」を有するので、チームのトップである医師(管理医)の指示下におかれることになる・・・。

こう考えると、病院の心理士より地域の心理士の方が、医師の指示下におかれないという意味では、高いリスクの中で対応しなければならない(場合がある)でしょう。その分、高い専門性が求められ、国家資格の必要性があると考えられるのかもしれません。

« サイコセラピーのリスクについて | トップページ | リニューアルしました »

あるべき心理職国家資格の姿」カテゴリの記事

コメント

こころしかくさん

どうも私の頭はおおざっぱな作りなので
>心理学的行為はリスクを有する → 侵襲性は
>ないので医行為ではない → リスクを充分管
>理するための国家資格化が必要

というあたりがE.F.ロフタスの「抑圧された記憶の神話」を読むと、侵襲性が無いってのは妙な感じを受けるんですが,,,,,,,いや妄言と聞き流されてもいっこうに差し支えないんですけれどね。

両方の会員です さん

早速のコメントありがとうございます。そうなんです。「こころへの侵襲性」という表現は、心理や精神医学の専門家にとっては、なじみのある便利な表現です。また「こころへの侵襲」がどんなにすさまじいものか、我々はよく経験していると思います。

しかし、社会や法の場では(特に医行為と関係する分野では)、「身体」に対するものとして、侵襲という言葉は用いられている。「こころへの侵襲」を法が認めてしまうと、「侵襲性のある思想」などの用いられ方をして、思想の自由や表現の自由といった基本的人権の制限につながると、法律家は恐れているのだとも思います。

ですから、面接室を出て社会の場で議論する時は、「侵襲性」という言葉は、体への侵襲という意味でのみ用い、「こころへの侵襲」については、「こころへの(悪影響)リスク」という表現を使うようにした方がよさそうかな、という感じです。

ちなみに、侵襲性とは英語で invasion であり、これはinvade(侵入する) の名詞型なのですね。

こころしかくさん

早速のコメントありがとうございます。
今日一日仕事をしながらさてさてと何度も反芻していました。
ちなみに議論のための議論はすきではありませんので絡んで楽しんでいるわけではありません。

>心理学的行為はリスクを有する → 侵襲性は
>ないので医行為ではない → リスクを充分管
>理するための国家資格化が必要

この部分

「心理学的行為はリスクを有する → 侵襲性はあるが医行為ではない → リスクが高いので一定のライセンス所持者以外は業として行ってはならないので国家資格化が必要」
このようにした方が良いのではないかと考えますがいかがでしょうか。

熟考していただいてありがとうございます。

両方の会員ですさん>心理学的行為はリスクを有する → 侵襲性はあるが医行為ではない → リスクが高いので一定のライセンス所持者以外は業として行ってはならないので国家資格化が必要

「侵襲性はあるが医行為ではない」というところ、「侵襲性=医行為」という考えからすると厳しい感じがします。こんな表現ではいかがでしょう。「狭義の侵襲性には該当しないので医行為ではない」

「リスクが高いので一定のライセンス所持者以外は業として行ってはならないので国家資格化が必要」という表現では、業務独占というニュアンスが高まります。「リスクが高いので一定のライセンス所有者の質を国家が保証する必要がある」とすれば、名称独占資格となる感じがします。

業務独占 vs 名称独占 の議論はもちろん必要ですが・・・。

こころしかくさん

>狭義の侵襲性には該当しないので医行為ではない

このあたり難しいなあと思います。例えば心理的なストレスなんかでも身体に侵襲が起きているわけですから「狭義の侵襲性」の定義をしないといけないのかなって考えるんですよ。
そこで、
心理学的行為はリスクを有する → 侵襲性があるので医療領域では医師の指導の下、その他分野においては医師と連携をしてその業務を行う、このようにしてはいかがでしょうか。

ちなみに粘着でもなく、素っ気ない方だと自認して
いますが,,,,,,,,ただ、やはりその他の領域では現実、連携してっていっても不可能だろうし、どうしたらいいでしょうかねえ

>例えば心理的なストレスなんかでも身体に侵襲が起きているわけですから

そうなのです。メンタルヘルス専門家の間では、「こころとからだへの侵襲性はわけられない」でよいのだと思います。

しかし、社会的には(法律の世界では)、侵襲性という言葉は、からだへのものとされている訳です。

ですから、こころの専門家内で議論している時と、法律的議論をしている時とは、言葉の使い方を分けなければならない事態が生じているということです。(要は向こうの土俵に乗るなら向こうの言葉の使い方にあわせていかざるをえない・・・)

両方の資格ですさんと私との意見の相違は、この認識をめぐるものだと思います。そこでひとつ質問なのですが、「(サイコセラピー)に侵襲性があるなら、医行為ではないか」と、法律の議論の中で、法律家や医療関係団体から問われたら、どのように答えますか?

うむむ苦しい
そうなんでしょうね。結局、資格を作るために実際は侵襲性があってもゴニョゴニョっとして、作るためには
「侵襲性はあるが医行為ではない」というところ、「侵襲性=医行為」という考えからすると厳しい感じがします。こんな表現ではいかがでしょう。「狭義の侵襲性には該当しないので医行為ではない」
という辺りが落としどころなんでしょうね。
出来ればこのブログを弁護士の方でも見ていてもっとアドバイスがあればいいんでしょうけれども,,,,,,,,

臨床の場での常識と社会で使われる通念とを、慎重に分けながら論を進めなければならないところがきついところですね。
国家資格論議はまさに社会通念との整合性が中心的テーマになりますので、わかりやすい整理が必要と思います。
「医行為ではないのは(狭義の)侵襲性がないからである」しかし、「(高度な)リスクは有するので資格化が必要」という論理が、国民(法律家も含め)の広い理解を得るかが重要となりますね。

リスクに着目した捉え方は、業務独占の考え方ですよね。
どちらかと言えば、国家が国民の安全を守る責任を果たす、という観点からの資格制度です。例えば、自動車の運転免許という制度がなければ、国民は自動車事故の脅威に晒されることになります。
この場合は、当事者が運動したからというようなことではなく、国家の責任において、資格制度を作る義務があると捉えるべきでしょう。つまり、政府提案で法律を作るのが正当な形です。そして、長年、(現)厚労省精神保健福祉課がその立場にあったわけです。国民に脅威を与えるものであるなら、当事者団体が割れようが割れまいが、国家の責任において資格法を作らなければ、国民に対する義務を果たしているとは言えません。
しかし、精神保健福祉課は「心理行為の中に医行為に該当するものが含まれれる可能性がある」ということを委員の口から言わせただけで、具体的にどの行為が医行為なのかを示すこともできず、また、医行為以外の業務独占の可能性に至っては検討することすらせずに、政府提案での法制化をあきらめて、議員に投げてしまったのです。
所管している課がやったことというのは、すなわち政府がそのように判断したという位置付けになります。つまり、政府として、「心理業務は、政府提案で資格法を作らなければ国民に対する責任を果たせないような業務独占とすべき業務ではない」と判断した、とみなせるでしょう。
政府が判断して既に行動してしまったことを、むしかえしても変えることはできないでしょうというのが、私の認識です。
それより、国民が自ら選択できるようにするために、専門的な知識と技能を持った者を明示する必要から、名称独占の資格が必要であるという理由によって、議員立法で法制化するのが現実的な選択だろうと考えます。

bxq2uwさん
>政府として、「心理業務は、政府提案で資格法
>を作らなければ国民に対する責任を果たせない
>ような業務独占とすべき業務ではない」と判断
>した、とみなせるでしょう。(中略)
>政府が判断して既に行動してしまったことを、
>むしかえしても変えることはできないでしょう
>というのが、私の認識です。

例として自動車免許のことが上げられいますが、私は数少ない趣味の一つにオートバイ(大型)に乗るというものがありますが、確か昭和30年代?には普通自動車免許を取得すると2輪は制限が無く(それで事故多発で制度改正されたと聞いています)、私は昭和の最後の方に苦労して限定解除試験をうけたのですが、現在では教習所で大型(外圧でアメリカ製の大型バイク輸入促進のため?)が割と簡単にとれます。
つまり、政府の資格に対する授与の判断も時代の趨勢と危険リスクによって変わるので心理療法のリスクという側面で資格化という主張も出来ないのかな??って考えるのですがこれは所詮シロウトのしょうもない主張ですしょうか?教えてください。

両方の会員ですさん
ご質問のポイントがどのあたりにあるのか、今ひとつピンとこないのですが、私も、リスクという側面での主張は論理展開としてはあり得ると考えていて、ただ、それは現実の社会の中の資格法制化問題の経緯の中で考えた場合には、今の時点で我々当事者が持ち出すのに相応しい主張ではなくて、十数年前から数年前くらいにかけて厚生省精神保健課が提起するのに相応しい主張の仕方だろうと考えています。
ただ、精神保健課がそれをしなかったことを非難するつもりで申し上げているのではありません。簡単なことだとは思いませんから。

bxq2uwさん

すみません質問がわかりにくくて、 bxq2uwさんは
現状を
>政府が判断して既に行動してしまったことを、
>むしかえしても変えることはできないでしょう
>というのが、私の認識です。

というご意見なんですが、自動2輪の免許では普通免許のオマケとして与えた時代、どえらく厳しい時代(限定解除合格率は7%)、教習所でわりと取りやすい時代と変遷をしていますので、政府の認識も変遷をするのでそれ相応の理由付けをきちっと出せれば、政府にもう一度別の認識をさせうることが可能かどうかという趣旨で書かせてもらいました。
どうも私は、アタマの作りが粗大で困ったものです。

両方の会員ですさん
可能性があるかないかということで言えば、あるということになるのでしょうが、その可能性が高いかどうかということになると、高いとは言えないでしょう。
もちろん、世の中というのは常に変化していくものですが、
では、あることについて、意図的にある方向に変化させられるのかということになると、そううまく行くものではないと思います。
個人と個人の関係なら、説得力のある説明によって、ある方向に話を持っていくことは、かなりの可能性で可能である場合が多いかもしれませんが、集団レベルの話になると、なかなかそうは行かないと思います。

bxq2uwさん

コメントありがとうございます。
確かに集団を説得するのは難儀ですね。
やはり、
>議員立法で法制化するのが現実的な選択
というあたりが落とし所なんですね。
了解いたしました。
私、臨床の狭い世界で生きてきたのでこういった話しに弱いので非常に参考になります。

はじめまして。他方のブログにも書きこみさせていただきましたが、心理の国家資格が実現するにあたって、医師団体の反対、それも精神科関連の医師団体の反対にあっては中身の議論以前の問題とされてしまうのではないでしょうか。精神科の医師の幾つかの団体が集まって構成する「七者懇」(精神神経学会や精神科診療所協会、精神科病院協会含む7団体)に話を持ち込んで、コンセンサスが得られないと無理なのではないかと思いますが、如何でしょうか。これには厚生省の担当官も会議に出席します。
「七者懇」の存在の重要性、こういったことは全心協も心理士会も御存知でしょうか。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113171/6270102

この記事へのトラックバック一覧です: 「こころへの侵襲性」に関するのひとつの提案:

« サイコセラピーのリスクについて | トップページ | リニューアルしました »