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2005年10月に作成された記事

2005年10月 6日 (木)

「こころへの侵襲性」に関するのひとつの提案

「サイコセラピーのリスク」については、多数のコメントありがとうございます。その議論の本筋とはちょっとずれるのですが、医行為に関することで、ずっと考えていたことなのですが、ご意見をいただければと・・・。

それは、「こころへの侵襲性」に関する話です。すでに社会的文脈で、「こころへの侵襲性」という表現がふさわしくないことが、何度も指摘されています。「体への侵襲性」は医行為の定義として、社会(法)も認めています。しかし、「こころへの侵襲性」は比喩的表現であり、社会において実体のあるものとして認められない、という判断になっていると、私は理解しています。

そこで、こころへの負の影響については、「侵襲性」という言葉を用いるのはやめ、「リスク」という言葉を用いるようにしてはどうでしょう。つまり、「心理学的行為の侵襲性」とは社会的文脈では用いず、「心理学的行為のリスク」と用いるようにしてはということです。

afcpさんや他の皆さんも主張するように、侵襲性を分けることを学問的実体を持って行うことは不可能ということは充分理解しています。その上で、社会という場では、体への侵襲性とは言う(すでに言われていることを容認する)が、心への侵襲性という表現は、比ゆ的で拡大して用いられる表現で外延が不明確となるので、用いないように考えるということです。

そうすれば、

心理学的行為の専門性が高い → 侵襲性がある → 医行為に含む

心理学的行為は医行為でない → 侵襲性がない → 専門性がなくだれでもできる → 国家資格は必要ない

というへんなロジックから抜け出ることができるのでは・・・。

afcpさんもそのあたりを配慮してか、最近のコメントで「リスク」という表現を使ってくれていますね。

つまり話を整理すると、

心理学的行為はリスクを有する → 侵襲性はないので医行為ではない → リスクを充分管理するための国家資格化が必要

皆さんが指摘するように、こころへのリスクには当然体へのリスクに直結するものもあるし(リストカットなど)、心と体をわけて論じることは専門家の中の議論としては不毛です。実際、「こころへの侵襲性」という表現は日常の臨床でよく用いるしとても便利です。しかし、社会の場では、それは比喩的表現にすぎないことを、法的(社会的)議論をする場合には自覚しましょうということです。

ここで問題となるのは、医師が薬物療法や電気けいれん療法などの「体への侵襲」を伴わない精神療法的かかわりを行った場合、それは「こころの侵襲性」を持つと言うべきかどうかということです。私は、医師が病院において行う精神療法的行為は、投薬や侵襲的治療につながる(ことを暗示しうる)という意味で、「侵襲性を帯びる」と社会がみなしていると考えてよいのではないかと・・・。

一方、医師が産業医としてまたは学校医として(つまり医療機関以外で)、相談業務にかかわる場合は、その行為はこの定義では「侵襲性」をおびないので、医行為とは言えなくなるのですが、この点はどうなんでしょうか?医師が行うことはすべて医行為とするのも不自然ですから・・・・。

一方、病院であっても、心理士が心理療法を行う場合は、投薬や侵襲的治療も心理士がおこなう(ことを暗示する)ことはないので、「こころへの侵襲性」を持たず、こころへのリスクを有すると考えるわけです。しかし、医療チーム全体の行為としては「侵襲性」を有するので、チームのトップである医師(管理医)の指示下におかれることになる・・・。

こう考えると、病院の心理士より地域の心理士の方が、医師の指示下におかれないという意味では、高いリスクの中で対応しなければならない(場合がある)でしょう。その分、高い専門性が求められ、国家資格の必要性があると考えられるのかもしれません。

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