2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 霞ヶ関でおきていること・・・「緊ブロ」的検討 | トップページ | 日本心理学会ワークショップについて »

2005年9月16日 (金)

サイコセラピーに医行為の線を引くということ

何度も議論されていることですが重要なことなので、再び・・・。

サイコセラピーは医行為なのかどうかという議論を、心理職の国家資格化に伴う法律論で考えるならば、afcpさん他が語るように、「医療提供機関=医行為的」「それ以外(地域)=医行為とみなさず」という整理が中心になるでしょうし、これは先の法律案でも、医療提供施設=医師の指示、と整理されていました。

しかし、傷病者へのサイコセラピーは、場所が医療提供機関でなくても「侵襲性が高い」ため「医行為的」となるのでは、という感覚が、たぶん医療関係者としてはなじみのあるものかもしれませんね。医療関係団体の先の法律案への反対意見も、この感覚に基づくものであったと思います。

しかし、地域でサイコセラピーを行う心理士としては、傷病者へのサイコセラピーを医行為とは考えない。「侵襲性の高さ」とその回避を考えながらも、医行為としてではなく、心理相談として対応していくわけです。ですから、地域で心理士の行うサイコセラピーは医行為ではないと、多くの心理士は考えています。

この感覚の違いは、afcpさんとデスマさんの議論でも取り上げられました。そして、感覚の違いはあるとしても、心理職の国家資格化のための法律論整備のために、医行為の範囲を論理的にどう線引きするかが重要という意見になってきたかと思います。

そのような状況の中、厚生労働省医事課の見解の情報が、うろつきさんから寄せられました。

うろつきさん>医行為を法制化にする作業は医事課の範疇となり、医事課では医行為の範囲を具体化する必要があるが、上記の皆さんの議論のごとくその範囲を規定できないといわれました。

うろつきさん>医事課は心理学的な自我への侵襲性は法律の文言として不適切であるとの見解でしたので、医行為の範囲を明確に規定することができなかったのです。

このあたりのニュアンスは重要なので、9/10のエントリーをあげさせてもらいました。さてこの見解は、医療関係者にとっては違和感のあるものでしょう。Afcpさんからは次のような意見がよせられました。

Afcpさん>すると「医師」と名乗りさえしなければ、非医療機関において、明らかな精神疾患を持つ患者にでさえも、治療目的と称して精神療法、心理療法を行うことは、医行為性を持たず、従って違法でもないという解釈になるのでしょうか。

あるいはそれは、医師法には違反しないが、有害事象が生じれば、刑法により傷害罪とされるということになるのでしょうか。

現状はそれに近いのかもしれませんが、違和感は残りますね。

上記で、「治療目的と称して」というところが重要と考えます。「治療」という言葉は日常語でもあり比喩的にも用いられるのですが、地域の心理士はたとえ医師を名乗らなくても「医師の行う治療を連想させるような」治療行為は行ってはならないと考えます。むしろ、地域の場で心理士は、なるべく医療行為とは明確に線引きし、医行為とは違う心理相談であることをクライエントに明示する形で、サイコセラピーを行うべきでしょう。

ですから、地域の心理士は、「白衣をなるべく着ない」「治療という言葉を安易に用いない」「治療という言葉を用いる場合は、“心理的治療”など意味を限定して用い、医行為とは異なることを明確にする」などの配慮が、誤解を解くためにも必要と考えます。ちょっと神経質すぎる感じもしますが、これらは「医という名のもとの侵襲性」を防ぐ意味でも重要かなと思います。皆さんのご意見はいかがでしょう。

そして、これらは資格法の文面で規定するということより、法律運用における通達や心理士の倫理規定で明確にしていく方が、法律的には馴染むのではと思いますが、皆さんはどうお考えですか。

そもそもフロイトは精神科医でしたし精神分析の技術は心理の世界に大きく受け入れられました。一方、サイコセラピーの中で心理の世界で編み出された類は、ただちに医師によって意欲的に取り組まれ洗練されてきました。サイコセラピーの歴史は、医師と心理士とクライエント、他の多くの人々の共同作業です。

ですからサイコセラピーが医行為かどうかの議論が本質論ではないのは百も承知です。その認識をした上で、この日本社会でサイコセラピーをどう法的に位置づけるかいう作業を行うならば、医の文脈のサイコセラピーは「医行為性」を帯びる、心理の文脈のサイコセラピーは「医行為性」を帯びないという整理で進められないかということです。ちなみに、医療提供機関でのサイコセラピーは、心理士が行うとしても、医の文脈下ですから「医行為性」を帯びるわけです。

上記のafcpさんの違和感に関していうならば、「医師」を名乗らなくても、「医師の治療」というニュアンスが高まるほど、「医行為性」を帯び、医師法違反の可能性が高まる、ということではないでしょうか?あとは、法の理念に基づきその違法性を個々に検討し公開していくという感じでしょうか。

ところがこのような話になると、医療提供施設外においても、傷病者へのサイコセラピーの「侵襲性」が懸念として持ち出され、話が堂々めぐりとなります。繰り返しの議論ですね。「侵襲性」議論については、また別にエントリーする予定です。

« 霞ヶ関でおきていること・・・「緊ブロ」的検討 | トップページ | 日本心理学会ワークショップについて »

あるべき心理職国家資格の姿」カテゴリの記事

コメント

「医行為」という用語は医学的な用語でもなければ心理学的な用語でもありません。法律に関する用語なんですよね。おそらく、そこのところを明確に認識していない方が、いろいろとご意見をおっしゃるので、話が混乱してくるのだと思うのです。
同様に、「医師の指示」という用語もそうですよね。
資格の法律における「医師の指示」という用語は、「保健師助産師看護師法」第5条における「診療の保助」(の一部)を行うよう指示するということを指しています。それ以外の行為を指しているものではないのです。例えば医師が看護助手の人に何かを持ってくるように指示をすることもあるでしょうが、その場合の「指示」と資格法に出てくる「医師の指示」というときの「指示」というのは意味が違うのです。
別の例を挙げると、管理栄養士の行う傷病者に対する栄養指導は、資格法上は医師の指導により行うものと規定されています。一方、診療報酬の点数表の上では、医師の指示により行った場合に算定すると書いてあります。これは、どうしてかと言うと、診療報酬の点数表は健康保険制度に基づくものであって、医事法制とは関係がないのです。ですから、保助看法第5条とは無関係に「指示」という用語が使えるのです。

資格法の議論をするときに「医師の指示」について語る際には、いつも必ず、「保助看法第5条」に基づく行為について議論しているのだという意識を持ちながら話す必要があります。そうしないと、議論がめちゃくちゃになります。
診療報酬の点数表は医行為の議論とは関係ありません。もし仮に関係あるということにすると、とても具合の悪いことになりますよ。例えば、心理検査とかサイコセラピーとか、医師の指示に基づいて心理職ができるようになるだろうと多くの方が思っているみたいですけど、点数表には「医師自ら行った場合に算定する」となっているのであって、「看護師が行った場合に算定する」とはなっていないのです。ですから、看護師の業務独占を解除して、心理職が診療の補助を行うことができるような法律を作っても、心理検査もサイコセラピーもできないことになってしまいますよ。

失礼しました。上の名無しは私です。

僕は医行為の定義は

「当該行為を行うに当たり、医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、又は及ぼすおそれのある行為を医行為」とする(最高裁 昭和30年5月24日)

であると考えられているものとして、ここまで議論してきたつもりですが、なにか誤りがあるでしょうか。

この「法」を解釈するにあたって、医学、心理学の用語、知識が必要となってくると考えています。どのような行為が、どのような危害を及ぼしうるか、ということを判断するのは「法」ではなく「学」の範疇のように思われます。「法」を運用するにあたっては、法律や通達、判例などの成文化された法以外に、良識や学識などが動員されうるということだと思うのですが。これまでの議論はその点についてなされていると考えています。

「心神喪失」は法律で定義されていますが、実際に裁判官がその法を運用する際には、精神医学の学識を判断の根拠の一部にしています。それと同じことだと思うのですが。

医師の指示に関してはbxq2uwさんのおっしゃる通りかと思います。

また診療報酬に関わる議論は、おっしゃるとおり法律上は国家資格化と直接関連するものではありません。
しかし医療関係団体を説得する際には、避けて通れない議論であると思います。というか、一つ法律ができたり、改正されたりすると、関連する法律やら、省令、通達やらが一斉に、ないし順次かわっていきますよね。
そこまでを視野に入れずに議論をしても、単なる空論に終わるように思うのですが。

> 「当該行為を行うに当たり、医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、又は及ぼすおそれのある行為を医行為」とする(最高裁 昭和30年5月24日)

であると考えられているものとして、ここまで議論してきたつもりですが、なにか誤りがあるでしょうか。

いいえ、その点は誤りはないですよ。私が言っているのは、その話は法律家(裁判官)が裁判の中で法律家の専門性に基づいて考え出した表現であって、医学者(医師)が医学的研究に基づいて考え出した表現ではないという程度の意味です。
そういう用語の原点を見失うと、議論が糸の切れた凧みたいにどこかに行ってしまうんじゃないかということを危惧して申し上げたまでです。

> 一つ法律ができたり、改正されたりすると、関連する法律やら、省令、通達やらが一斉に、ないし順次かわっていきますよね。

そのとおりです。関連する法令は改正されますし、関連しない法令はそれによって改正されることはありません。

誰かから当然反論・疑問が出ると思って待っていたのですが、出ないようなので、自分から書いちゃいますね。
「今回提出を断念した法案では、臨床心理士も医療心理師も医師の指示を受けることになっていたが、しかし医行為ではないという整理だったのではないか」という疑問です。
まさにそこがあの法案のいかがわしいところだった訳です。
医療心理師法案の骨子を作る前の医事課を入れての議論の中で、医行為にはさわらないという整理になった段階で、法案の骨子を作る際のモデルとなったのは、精神保健福祉士法などであった思います。
当然、最初はそれらを参考に「医師の指導」という表現であったと思います。しかし、その段階で、それでは医療関係団体から異論が出るのではないかという政治的配慮が働いたのではないでしょうか。何とか「医師の指示」という言葉だけでも入れることはできないのか、そう考えた人がいたのだと思います。
法律に詳しい人というのはいるものですね。ちゃんと見つけた訳です。それが歯科衛生士法第13条の3です。「歯科衛生士は、歯科保健指導をなすに当たって主治の歯科医師又は医師があるときは、その指示を受けなければならない」とあります。
この「歯科保健指導」というのは、診療の補助に当たらない業務なので、医行為以外の業務になります。この歯科衛生士法第13条の3という前例があったために、常識的には通らないと思われていた「医師の指示という文言を医行為以外の業務について資格法の中に明記する」という法案が、法制局を通ったのだと思います。
さっき、いかがわしいと言ったのは、それ(「文言だけ入れておけばいいんじゃないの。」)によって医療関係団体に取り入ろうとした下心に関してです。

bxq2uwさん、afcpさん
コメントありがとうございます。
「医行為」という言葉は法律的議論の要素を常にはらむというご指摘、その通りと思います。
ここでいう法律的議論ですが、よりわかりやすく言えば、(日本)社会がどう位置づけるか、ということとほぼ同じですよね。また、社会の位置づけによって、人の心は影響を受けますので、心を扱う(精神)医学や心理学にとっても、ほっておけないテーマとなるとわけです。
しかし一方で、心の分野においてどこまでが医行為かと線を引くことは、心を学問するという点からは無理があるという実情もあります。ですから、どこまでが医行為か線をひく作業は、日本社会や国民が、専門家の意見も聞きながら、こうしましょうと決める社会的作業(中心は法的&行政的作業)と考えるべきでしょう。
この点が、医師の先生方にとっては納得がいかない点かもしれません。「医行為を行っている医師でないと医行為かどうかは決められない」という考えに賛成する医師は多いと思います。しかし、心の分野においては、専門家の充分な議論を前提としながらも、「ここまでを医行為とする」というルール作りは、日本社会が行うことであるわけです。
そして、我々専門家は、日本社会(国民、政治、行政、法律など)が”正しい”判断をしてもらえるように、学問をし論文を書き議論し呼びかける・・・ということなのでしょう。

こころしかくさんのおっしゃる通りかと思います。

ただ問題となるのは、社会的作業による線引きの際には、当然のごとくそれぞれの側が持つ「政治力」が発揮されうるということでしょう。専門家の集団は学問のみの世界で、国民や行政に影響を与えるわけではありません。学問的に線を引きがたい領域に、線を引こうとするならば、現時点ではその勝負の結果はあきらかであるような気がします。

そこに本質的には「線は引けない」という前提から考えることは、難しいのでしょうか。それは結局、場所の議論や対象の議論ということになっていくわけでしょうが。

afcpさん
そこなのです。
「線を引けない」というところから仮に始めても、結局結論の出る直前に、「医学的立場からすると問題である」といった意見が出てひっくり返す、といったことが起きやすいのではと思いますがいかがでしょう。
むしろ「医学の担い手として社会にどうあってほしいか」意見を出してもらい、他の関係者も意見を出して、その上で医事課(と責任官僚)と政治家とが調整して決定するというプロセスがよいのではないでしょうか。(というか、その流れになるのではと思いますが・・)
bxq2uwさん、うろつきさんの情報では、医事課は「心理学的行為は医行為としない」との見解とのことですから、この点をめぐって、医療関係団体と心理学関係団体、他の団体とが意見を交わし妥協点を探るということではないかと思います。
話し合いは困難な作業となるとは思いますが、医療関係団体も、「医行為」一点張りでは厳しい局面もくるかもしれません。なぜならば、心理職の国家資格化は「国際公約」に近い種類のものでもあるからです。
知恵を絞って、各団体が妥協できる「医行為の線の引き方」を模索することになると思います。afcpさんからもずいぶんとアイデアをいただいております。
もちろん、「線が引けない」ということで、最後まで医療関係団体が一貫してくれれば、そんなにありがたいことはありません。でも、それはあり得ないのではないかという疑問が、私の中であまりにも大きいのでしょうね。(7月の直前反対に対するトラウマ的反応?)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113171/5973441

この記事へのトラックバック一覧です: サイコセラピーに医行為の線を引くということ:

» 心理資格問題とブログ [末々草(すえ思う故にすえあり)]
前にも上げましたが,日本心理学会に行って参りました. 今回の僕の目的は自分が共同研究しているグループのWSと,非常に興味を持っているアル分野のWS,そしてポスター発表を見に行くことでした. それと,もう一つの目的が 舞衣さんのブログのこのエントリー;日心を振り返る(3)~医療心理師WS~ でも紹介されている このWSに参加することでした. 東大の丹野先生,全心協の斎藤先生,北海道医療の坂野先生などなど,まさに医療心理師側の人間が集結して行ったWSですから,当然医療心理師の国家資... [続きを読む]

» ブログの力2〜『のまねこ』問題と心理職国家資格化問題 [ロテ職人の臨床心理学的Blog]
ここ数週間、ネット上ではのまねこ問題が非常に熱いです。 ご存じの方は多いでしょうし今さら私が説明するのもめんどくさいんで、詳しくはこちらをご覧下さい。 エイベックス著作権違反疑惑「のまネコ問題」のまとめ この問題、その原因の一端としてはavexが2ちゃん...... [続きを読む]

« 霞ヶ関でおきていること・・・「緊ブロ」的検討 | トップページ | 日本心理学会ワークショップについて »