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2005年9月25日 (日)

サイコセラピーのリスクについて

国家資格を議論する中で、サイコセラピー的関与によって起こりえるリスク(危険性)について充分に検討する必要性が議論されています。心理学的行為と医行為との関係を論じる上で、避けて通れない議論です。この点について、いくつかコメントをもらっています。

Afcpさん>ただ一部の医師が恐れている、そして僕自身も心配していますし、これまでに苦労もさせられたことがあるのは、心理療法を受けた、あるいは現に受けているケースが、著しい行動化、退行などを呈し、結局医療で「後始末」をさせられること、でもあるように思います。

bxq2uwさん>afcpさんは控えめにおっしゃっていますが、現に心理療法を受けているケースが著しい行動化や退行を起こすということであるなら、自然経過による増悪という側面があったとしても、少なくとも見立て違いということがあったのでしょうし、そこに起因する関わり方の間違いというのもおそらくあった上でのことでしょう。一言で言って心理臨床として質が低いという問題だと思います。これは質を向上させるということしかありません。どうやって向上させるか、これはまさに心理臨床の重要な課題です。

つなでさん>問題は、人に尻ぬぐいを押しつけるような心理療法(精神療法)のやり方、そのような心理療法の学び方にあるのではないかと思います。医師であれ、心理職であれ、しっかり勉強してトレーニングを積み、何より、勉強とトレーニングの仲間を持たないと、心理療法の実力はつくはずがないですね。心理療法をしている人どうしで、いかに研鑽を積むかということでしょうか。心理職の養成課程がそのような実力のつくものになるために、国家資格化のこともよく考えないといけないと思います。長年の心理療法の試行錯誤の成果が生かされるような養成がなされていかなければならないと思います。

サイコセラピーの持つ効果があることを前提にしながらも、一方で起こりえるリスク(危険性)についてふれてみたいと思います。以下のようになることを防ぐ見立て力は重要ですね。

     薬物療法が必須のケースにサイコセラピーを続け状態を悪化させる

     強い内的葛藤を言語化させ(アンカバーし)、状態を悪化させる

     家族の問題を安易に取り上げ強い家族間の衝突を誘発する

     枠を決めずに依存、退行させ、激しい行動化を誘発する

     強い依存的関係を築きケースが他のリソースを利用する可能性を奪う

     受療中ケースに医療へのネガティブな意見を伝え受療中断を招く

     自傷他害ケースにマネジメント的関与を行わず事故や事件が発生する

     サイコセラピーでは対応できない状態なのに「対応できる」と考え対応してしまう

まだまだあるでしょうし別な表現もあると思いますが、ぱっと思いあたることを挙げてみました。

「①薬物療法導入せず悪化」については、心理療法的関与を行うものとして、常に気をつける必要があることです。心理療法家は、目の前に現れたケースに対して、サイコセラピーを行うことが適当か、それとも薬物療法の導入を第一選択として促すべきか、見立て判断する必要があります。またそのような見立てができるスキルを持つ必要があるでしょう。

 

「②内的葛藤のアンカバー」については、心理療法家のスキルそのものといってよいと思います。共感とか傾聴といった対応のみでは、この問題を避けることができないでしょう。見立てによっては、「聴かない」「語ることの危険性を話し合う」といったかかわりが重要となる場合があります。一方で、サイコセラピーにアンカバーによる混乱はある程度はやむをえないという判断もあるかもしれません。

 

「③家族間の衝突の誘発」ですが、家族に解決力がない若者に、「家族でよく相談してください」とカウンセラーが伝えたばっかりに、家族で大喧嘩になって若者が家出してしまった、こんな私の苦い経験があります。スーパーバイザーには「家族でよく相談してください」と伝えてはいけない場合があるんだと怒られました。

 

「④依存や退行の問題」ですが、これはこれまでもコメントで何度も取り上げられている、サイコセラピーの「副作用」ともいうべきものですね。これに対応するためのトレーニングとスーパーバイズとを、心理士は充分に受ける必要があるでしょう。専門家とそうでない人とを分けるのは、この対応のスキルがあるかないかもひとつかなと考えます。

   

「⑤他リソース利用の可能性を奪う」です。すぐれたサイコセラピーは、本人の持つリソースを有効に活用し、また本人が自らそれを有効に利用することを促進するものだと思います。

   

「⑥受療中断を招く」については、ケースが現在の治療に不満を持っていて、セカンドオピニオンを求めてきたり、他の医療機関を紹介してほしいと要望してきた場合に、デリケートな問題となります。もちろん、現在の主治医とよく話し合うように伝えることが多いのですが、本人がどうしても納得せず中断になってしまう場合があります。受療中ケースに対して地域の心理士はどのような相談機能を持つか、より深い議論が必要になると思います。

   

「⑦自傷他害ケースへのマネジメント」「⑧できないことをできるという」については、別なエントリーを挙げて詳しく議論したいと思います。特に、自傷他害のリスクマネジメントに関して、心理士は甘い場合がよくみられます。医療機関であれば主治医が入院や保護者連絡などマネジメントしてくれますが、地域においてはそれぞれの場所の管理者と連絡をとりながら、心理士は対応する必要があります。その意味では、医療機関より地域の心理士の方が高いマネジメント力を求められるといってもよいでしょう。

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あるべき心理職国家資格の姿」カテゴリの記事

コメント

この点に関して心理の先生方におうかがいしたいと思うのは、以下の点に関してです。

1)このようなリスクは、現実的に望みうるかぎりの心理職の質の向上が図られた場合には、全くなくなるものなのでしょうか。あるいはある種の麻酔事故や出産時事故、精神科領域では悪性症候群や自殺などのように、十分な技量をもち、かつ十分な注意を払っていても一定の確率で発生することを覚悟すべき種類のものであるのでしょうか。

2)生じた場合には、どこでどのように対応することが望まれるのでしょうか。

「心理職の質が向上すればなくなります」というのは、なかなかにわかには信じがたい点ではあるのですが。

afcp様

1)に関しては一定確率で生じる思われます。特に人格障害圏の方の場合は避けられないと考えます。

2)に関しては医学的処置はドクターにお願い(OD、リストカット等)をしなければなりませんがリカバリーについては心理職が職に賭けて行うことが必要であり、また行う勇気がない心理職はこの仕事をするべきではないと考えます。

afcpさん、ご質問ありがとうございます。
両方の会員さん、レスポンス感謝です。

私も両方の会員さんとほぼ同じ意見です。リスクと表現したように、一定のリスクは常に存在するということです。質を上げるということは、そのリスクをなるべく少なくする工夫をすることであると同時に、心配な事態が生じた場合に、さらなるリスクの増大をどう回避し事態を収拾するか、そのスキルが問われていると思います。
依存や行動化のリスクを減らすためのサイコセラピー上の工夫はあると思いますが、人格障害の程度が大きい場合は、どのような介入に対しても、行動化が起きることが避けられない場合もあります。そのような見立ての場合は、サイコセラピー的関与を行わない判断となるでしょう。
リスクが増大した場合、もちろん医学的介入が重要となります。しかし、事例によっては警察への通報が優先される場合もあります。また、サイコセラピーによるリスクが大きいが心理士が関与をやめることができない場合は、学校であれば校長、企業であれば産業医または人事関係者、施設であれば施設長、病院であれば主治医など、その組織の管理者へ報告し指示を受けながらの対応となると思います。家族への連絡等も重要となるでしょう。
医療的介入が必要であっても、本人(場合によっては家族)が受療を拒否する場合、難しい局面となります。このような場合には、管理者によるマネジメントを心理士が助言し支援するという対応が求められることも地域ではあると思います。このような動きはサイコセラピーというより、地域アプローチともいうべき心理士の役割です。

お返事ありがとうございます。
お二方のご回答は、たいへん妥当なものであると思います。
調子に乗ってもうひとつ挑発的な質問をさせていただけたら、と思います。

3)この場合の医学的処置、ないし医学的介入は、傷の縫合であったり、ODの際の身体管理といったものだけを想定されているのでしょうか。あるいは投薬や行動制限、医師による精神療法などを含む精神医学的対応も含めて考えられているのでしょうか。

ここにこだわるのは医行為に関する議論の際に、時に、「心理的行為による侵襲は医学的行為によるものとは異なる種類の侵襲である。よって心理的行為は医行為ではない」とする論を目にするためです。

僕は医行為と心理的行為の間には、原理的に線引きはできないだろうと現在は考えています。このあたりは「サイコセラピーに医行為の線を引くということ」などのコメント欄の議論の繰り返しになりますが、線引きはできないという立脚点から、実効性の高い制度構築のための「線引き」を行っていくべきであると思います。

afcp様
私個人も医行為の侵襲性と心理的行為の侵襲性の区別は出来ないと考えています。

医学的処置は傷の縫合、ODの際の身体管理、投薬、行動制限が自傷他害ケースの場合は同時進行で行われると推測します。
そうしますと、いわゆる心理療法を行うことは一人のドクターでは不可能ですし、医師は医師の神聖な職分(傷の縫合、ODの際の身体管理、投薬、行動制限等)があると思います。
その煩雑な医行為の傍ら片手間に心理療法は出来ないと考えます。

afcpさんの心理療法に対する考え方を教えてください。

心理療法に対する考え方、ということでは広すぎてお答えしにくいので、ここでは医師による心理療法(僕は精神療法と表記することが多いのですが)をどのようにとらえているかを書いてみます。

大部分の精神科医による精神療法は、日常的な診療の中でなされていると考えています。笠原嘉の言ううつ病に対する小精神療法などは、医師が日常的に行う精神療法の姿をよくとらえていると思います。強いて言えば支持的、指示的要素と認知への働きかけを適度に含む関わり、ということになるでしょうか。

ごく一部の精神科医によるインテンシブな精神療法は、心理職によるそれとほとんど区別することは困難でしょう。医師二人のペアによるA-Tスプリット的な治療構造を取ることも(僕のいる治療文化圏では)しばしば行われます。

非常に大雑把にいえばこのような把握になると思います。

afcpさんのおっしゃることは、精神科臨床の立場からは、わからなくもないのですが、年間自殺者3万人越えの時代に、既存の精神医療の仕組みだけで、本当に十分なのですか?98年以降、なぜ、2万人そこそこだった自殺者数が、たった一年で、3万5千人越えになったのか、おわかりですか?

従来の考え方だけでは、不十分なのは、確かなのです。自殺者の70%以上は精神医療とは無縁の世界の人たちなのです。いくら早発見早期対応と医療の側で叫んでみても、堅い構造をもつ精神医療にどれだけのことができるのか、正直なところ疑問があります。精神医療だけで、この70%以上の人たち、いや、その30倍はいると言われる潜在的ハイリスク者をどうすれば救えるというのですか?医療をもっと開かれた仕組みにしていくことも大切ですが、それだけでなく、どうすれば、医療以外の広大な領域に何らかの網掛けをしていくことができるのか、もっと前向きにお考えいただきたいと思います。

医療以外の領域の中で、少なくとも、労働行政においては、メンタルヘルスケア以外にも、過重労働対策、雇用流動化の中で問い直される発達課題への対応、ニート問題など、数百万人の対象者を前に、幅広い面接を行っていかなければならないところまできています。現実に国策として動き出そうとしているのです。教育現場や、災害・犯罪被害者支援、介護問題や育児支援を含めれば、まだまだ需要が広がっているのです。こうした時代の要請に応えていくための基盤づくりが急がれているのです。

横断的資格を求めるには求めるだけの理由があることをなぜお考えになろうとしないのですか?いま、不可能といわれた横断的資格を実現することも可能となろうとしています。繰り返しますが、もう時代は大きく変わってきています。新たな構想力で時代に即したシステム創りをしなければならないのです。臨床心理士会でも、各委員会を中心に、新しい課題を取り入れつつ新たな専門研修制度を整えようという準備がすすめられています。潜在的パワーを生かさずして、対策は講じられません。せっかく、心理職が、プロフェッショナリズムに目覚め、幅広い領域で活躍していこうというときなのに、なぜ、それを阻み続けようとされるのですか?いまこそ、しっかりと心理職を育てていく仕組みをどう構築するべきなのか、もっと真剣に議論すべきときではないのですか?

いま、私としては私なりに、その最前線で戦っているつもりですが、この立場からみると、afcpさんのここ数日の発言(つなでさんのブログの発言を含めて)は、守られた医療制度の中にいて、既存の医療の価値観だけにこだわり、時代の流れを無視されているように感じられます。同じ医師として、ちょっと残念です。(誤解のないように、、、。afcpさんは、むしろ心理職の良き理解者であると思っています。そのafcpさんでさえ、、ということです。若い人たちには、既存の制度を守ることだけでなく、もっと新しい可能性に挑戦していただきたいと思っているのです。)

上記は、他の医師団体への思いが入ってしまって、afcpさんに失礼な発言をしてしまいました。afcpさん、ごめんなさい。こころしかくさんへ、できれば、再投稿をしたいと思いますので、上記およびこのメッセージを同時に削除しておいていただけると幸いです。冷静にもう一度書かせていただこうと思います。こころしかくさんにも、お詫び申し上げます。

僕からもコメントをさせていただこうと持っていたのですが、
ichi-ishiさんの上のコメントは、最近の僕の論への正確な批評になっていると思います。もちろん反論はありますし、いずれ書かせていただくつもりではありましたが、むしろ議論を進める助けになるかとも思います。
僕自身は全く不快に思っているわけではありませんので、もしも削除の理由が僕へのお気遣いだけでしたら、それは必要ないとおもいます。
もう少し推敲したいなど、別の理由がおありでしたら、削除の上、改めてご投稿下さい。そちらも期待してお待ちしております。
取り急ぎ、要件まで。

こころしかくさん
上の二つのコメントを削除されるのでしたら、このコメントも一緒に削除していただいて結構です。

ichi-ishiさん、afcpさん
コメントありがとうございます。
afcpさんからのご意見も考慮してそのまま残してもと思いますが、ichi-ishiさんのご意向はいかがですか?

医行為と心理学的行為に原理的に線を引くことはできないとの意見に私も賛成なのですが、社会的認識として境界を設定するための手続きについて、私の中でひとつ思うことがあります。今は時間がないのですが、後ほど書き込みたいと考えています。

afcp様

お返事ありがとうございます。
心理の心理療法と医師の心理療法はずいぶんスタイルが違うのだなと再認識いたしました。
優劣を論じる訳ではありません。

私は精神分析の正式なトレーニングはうけていませんが正式な家族療法と短期療法(含む行動療法)のトレーニングを6年受けていますので記述にやや偏りがあることをあらかじめご了承ください。

心理の場合、まず、最初の段階で面接を行って何を得たいか?さらにはどういう変化を望むかを非常にしっかり取り決めます(治療契約)
この点がしっかりと行われませんとまったく心理療法の意味がありません。
そしてその契約したことをクライエントが得るために課題を出したり、その成果の報告を求めて改善したかどうか見極め、変化がなければ別のやり方を提案して行ってもらう。
課題を行わない等があれば直面化を行う。

行う方も受ける方も真剣勝負です。医師の場合は投薬での状態改善が主たる方法であるのと違い、心理の場合は行動の改善を通じて状態の改善が主たる方法です。

もっと細かくセラピーをしている際のプロトコルが出せれば医師の行っているものと(この場合は最低2年は徹底した心理療法のトレーニングを受けてはいない医師)と心理の行っているものに違いがあることがわかって頂けるのではないかと考えております。

両方の会員ですさん
レクチャー、ありがとうございます。
僕の精神療法の師匠筋は分析系ですので、両方の会員ですさんとは、やや認識が重なりにくいかもしれませんね。

>医師の場合は投薬での状態改善が主たる方法であるのと違い、

僕の場合は領域がやや特殊(児童精神医学)でもあることから、投薬を行うケースは約半数程度となります。投薬が主たる方法の一つであるのはもちろんですが、領域による差はかなり大きいようです。

afcpさん
お許しいただき、ありがとうございました。削除を求めた理由はafcpさんを個人攻撃してしまった点です(ごめんなさい)ので、議論を深めるために活用していただけるのでしたら、そのまま残しておいて下さい。感情的な意見は、それだけバイアスがかかってしまいます。たとえ、匿名のブログといえども、このブログや関連のブログでは、冷静なきちんとした議論を続けていきたいと思います。最近、ブログへの批判も出ているようですが、ここで行われていることは、必ず、やがての日に、役立つものと信じています。

こころしかくさん
今後とも、よろしくお願い申し上げます。

ichi-ishiさん

日々、国家資格化の実現に向けて、現実的なご努力を重ねられているのであろうと思います。そうしたお立場からすれば、僕のしているような地に足のついていない頭でっかちな議論に対して、お怒りやもどかしさを感じられるのももっともかと思います。ただこうしたブログやウェブ上でなされる議論は、地に足がついていない分、様々な思考実験も可能ですし、立場を超えた、匿名ではあるが率直な議論が可能なのだろうと考えています。よろしければ、もう少しおつきあい頂き、またいろいろと教えていただければ、嬉しく思います。

さて、上の方のコメントで書かれていた。心理サービスへの需要のひろがりや、その需要を満たしてゆく必要性などについては全く異論はありません。ichi-ishiさんと僕の見解が分かれる点はその先にあるようです。

つまり医療以外の領域で心理サービスを提供する際に、なぜ国家資格が必要となるのか、ということについて、僕は十分自分が納得できる回答を作ることができません。あるほうが望ましい、というところまではすぐに同意できるのですが、必須か、と問われた時にはためらいが生じます。そして必須ではない国家資格は作るべきではないのではないか、というリバタリアン的な考えが心に浮かぶのです。

例えばスクールカウンセラーの場合では、国家資格のない状態で事業として立ち上がり、まだ流動的でもあるようですが、おそらく定着していく流れになりつつあるのではないでしょうか。

一方で医療領域においては国家資格化が必須である、という論証が可能なように思います。というのは僕は現在医療領域で心理職によって行われている心理サービスは二つの意味で、グレーゾーン、もしくは黙認されている違法状態にあると考えているためです。

その一点は、法律上「無資格」の人間が侵襲性の高い行為をなしていること、であり、もう一点は本来医師が行うのでなければ請求できない、保健診療報酬の請求が行われていること、です。こうした実情や国民の利益にあわないねじれは、国家資格化とそれにともなう周辺の制度の整備によって解消されるべきであると考えます。

ここでポイントとなるのは、医療領域をうかつに国家資格化することによって、逆に他領域で違法状態を引き起こすようでは、問題をスライドさせただけに過ぎなくなってしまう、という点です。現在なされている医行為に関する論議は、この点において非常に重要であると思っています。僕自身は先の要項骨子にあるように、医行為性自体の判断を避けること、ないしは対象や場所の議論によって、医行為となる心理行為を明確に医療の領域の中に囲い込むことによって、そこをクリアすべきであると考えています。

現在までのところ非医療領域の国家資格化を、必要であるとする論としては、デスマさんによる「医療領域のみが国家資格化されると、結局は多領域においても医療領域の有資格者がポストを占めることになってしまう」というもののみが、ある程度の説得力を持つように思います。しかしこれのみでは、国家資格化が必須である、とまで言うには不十分であるように感じています。

もう一つの可能性としては、非医療領域における心理行為の侵襲性を立証し、それをできるだけ避けるために国家資格化による質の保証が必要である、とする論があると思います。しかしどうもこの主張は心理職の方からは煙たがられるようで、賛同者が得られにくいように感じています。更にこの点をあまりに強調することは、領域を超えた医行為論議を呼び起こしてしまう可能性も秘めています。また心理行為の侵襲性をあまりに強調することで、関連職種(教師や人事担当者、キャリアカウンセラー、PSWなどなど)による相談業務の違法性などという話我出てきたりすると、もうなにをやっているのかわからなくなってきてしまいます。

現在僕はおおむねこのように考えているのですが、どうも半周遅れくらいで全心協の路線をなぞっているような気もしています。このような議論を乗り越えていけるような、ロジックを組み立てていかなければならないのだろうと思っています。

この問題については、他の方のお考えをうかがいたいところ。
いい知恵はないでしょうかね。

> デスマさんによる「医療領域のみが国家資格化されると、
> 結局は多領域においても医療領域の有資格者がポストを
> 占めることになってしまう」というもののみが、
> ある程度の説得力を持つように思います。

ところが、この論は、心理職の中では、
それほど支持を得ているわけでもないようなのですよね。

「なりたいサイト」などを参照していただくと分かるのですが。
「そうなるとは限らない」ってことらしいのですが、
想像力が足りないと私は思います。
まあ、あとは、「医療関係団体の腹ひとつ」ってのを
所与のものと考える人も多いですし。
あとは「そういうことを主張するのは醜い」みたいな、
(私からみれば過剰といえる)道義派的な主張もあります。

心理職の感性についていけないと感じる、きょうこの頃。

> 僕の精神療法の師匠筋は分析系ですので、
> 両方の会員ですさんとは、やや認識が重なりにくいかもしれませんね。

私も分析系なのですが、
しかし、両方の会員ですさんのおっしゃることのほうに、
やや、より親和性を感じるのですよね。

認知への働きかけや、支持的要素などは、
分析系なので、十分あるわけですが、それでも。

> 心理の場合、まず、最初の段階で面接を行って何を得たいか?
> さらにはどういう変化を望むかを非常にしっかり取り決めます(治療契約)

たぶん、ここ(↑)なのですよね。

やはり、医師の場合、「治す」ということがメインであり、
患者の意向というより、客観的な診断基準を満たさなくなることが、
至上命題なのだと思います。

ところが、心理の場合、客観的に「適切な」ことであっても、
本人の意向のほうが、原則的には優先であり、
その例外は、医療につなぐ必要のある場合や、
犯罪行為にかかわるような場合のみですよね。

ちょっと議論の筋から離れていくかもしれませんが…。

確かに本人の意向を最初に確認することは、ほとんどしないですね。
そもそも僕の場合には初診はたいてい未就学児ですし。大人を診ているときでも、意向を聞いても、その通りにしないことも多いですね。そもそも入院はかなりの割合で医療保護になりますから。

「診断基準を満たさないように」しようと考えて治療することはありませんが、家族や関係者からの、場合によっては社会からの要請はいつも頭に置いています。精神保健指定医であるということは、必然的にそのようである、ということになるかもしれませんね。

ただ僕の周辺では、きちんと構造を設定して精神療法をしている医師は、最初に治療契約の確認をしていますね。そのあたりは病態水準や治療形態などによって使い分けている、ということになるのでしょうか。

ところで心理職の場合でもスクールカウンセラー業務の場合などには、関与のはじめに本人との治療契約の確認をしないことも多いのではないかとも想像するのですが。治療契約というのは心理サービスのゴールデンスタンダードなのでしょうか。

Afcpさん。本質的なご質問をありがとうございます。
簡単には答えきれないようなので、また、長文になってしまいますが、お許し下さい。

これまでも繰り返し出てきていますので、釈迦に説法かもしれませんが、「医行為」の法解釈について確認しておきますね。医師法17条(医師以外の者の医業禁止)「医師でなければ,医業をなしてはならない。」が基本となるわけですが、一般的な法解釈においては、医業とは「医行為を業とすること」、さらに、医行為とは「医師の医学的判断および技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼす恐れのある一切の行為」(仙台高裁昭和28(1953)年1月14日判決)と判例上の定義が主に用いられていますよね。

実は、ここで、「人体に危害」が、具体的に何を指すのかが問題です。野田寛氏の医事法(青林書院)に過去の裁判における医行為および非医行為に関する多数の判例が整理されていますが、医療過誤に関する裁判で、医行為と判断されているものは、身体的(生理的)な危害を及ぼす恐れに留まっているようです。私なりにもいろいろと判例にあたってみましたが、いずれも、問題となる行為の手順や方法を明確にした上での、身体的な危害の恐れとの関係性に関する検証が争点となっています。これまでのところ、精神的な面での侵襲性について、人体への危害という認識をしめされた案件はないようです。

先の「こころの侵襲性」についても、興味深く拝見させていただきましたが、思うに、精神科医による精神療法にしても、心理職による心理業務にしても、「医行為」とするためには、その手順を明確にすること、その過程での身体的な危害をもたらす恐れについて、その機序を明確にすること、具体的な方法を特定することが必要です。しかし、精神(心理)療法を、この視点で整理することは、法学的な立場で見れば、現実的に困難です。おそらく、これまでのところ、法律上の議論とすれば、上記の身体医学でとらえた「医行為」の認識の域をでないかと思いますので、精神科医が考える「医行為」とでは、ちょっと異なる面があるようです。極論すれば、これまでの「医行為」でいう人体は、「人体=身体」であって、人体に精神が含まれるかどうかの結論は、これまでの司法判断では、出されていないということです。「医行為」という言葉が、きわめて法学的な用語だとすれば、精神療法や心理療法が、少なくとも現状では、「医行為」にあたるとは判断されていないということになります。
どうも、このあたりが、精神科医が当たり前のように感じている感覚と、司法、行政のとらえている感覚とは違うのかもしれません。また、そうした違いが心理職ともぶつかり合ってしまうところなのでしょうね。

「こころの侵襲性」という考え方も、精神科医師・心理職・精神保健福祉士による一応専門的立場での心理的介入のそれぞれの違いというだけでなく、他にも、他の領域の医師・看護師・薬剤師・検査技師による説明・励まし・相談、さらには、一般的な健康相談、福祉職員による相談、患者会や経験者による相談、そして、一般社会でも、教師の教育指導相談、ハローワークでの相談、産業カウンセラーの業務、顧客への諸々のサービスとしての相談、宗教家による相談、また、ごく一般的な人生相談などにおいても発生しうる心理的侵襲もあるわけです。
専門家と非専門家では、程度の差があろうことは想像できても、方法・手順を特定することが困難な状況で、個人個人の受け止め方の相違があることも含めて考えれば、他の医療領域でいう医行為のように、その手順や方法を特定して、その身体的危害の発生の予見へと繋げてことはかなり困難があると考えられているものと思います。社会通念上、上記のような一般人も行っているような行為と医師が行っている行為の間に、明確な一線が引けない場合、「医行為」と認定されることは現状では難しいと思います。

通院精神療法など医療保険では精神科医のみによる技術となりますので、「医行為」のように見えてしまうかもしれませんが、このあたりは、法律用語としての「医行為」という視点でとらえてみると、必ずしもそう断定できない可能性があります。現実に、外来診療場面において、精神科医と10分間お話をしたというだけで、機序や方法論を明確にしなくても、通院精神療法を算定することもありえます。鈴木研究班での、医行為に関するまとめには、「医療・保健関係施設内での心理職の業務には医行為に含まれるものがある、、、、精神療法(心理療法)は少なくとも病む人を対象にすれば、明らかに医行為であり、精神科医はそれを実践しているのである」という記述があります。一般の精神科医にとっては、ごく自然に聞こえる文言なのですが、この部分をよく考えてみると、精神療法自体が、曖昧さをもち、精神疾患の病理と精神療法の治療機序の関係が確立していない、精神療法自体の手順や方法が一定していない、どの病態にどのように適応すべきかの基準がない、精神科医の診療時間と対応可能な患者数との兼ね合いの中で全ての患者に公平平等に実施できるのか、、、など、といった問題も存在していながら、機序や一定の手順と方法論を明確に求められる「医行為」との異同はきちんと説明されてはいません。この研究班の結論は、精神科医の感覚(報告書を読んでいただけると、いかに感情論で括られているかよくわかります。)によって結論付けられてしまっており、法学的立場での検証が不十分です。もっともあの当時、議論が紛糾し、学問としての客観性を保つことができなくなり、時間的に追い詰められた中での報告書作成だったと思いますので、主観に頼らざるを得なくなっていたのも仕方ないかもしれません。ただ、この研究班で生じたことが、精神科医と臨床心理士の間での感情的な摩擦につながっているのだとすれば、あいまいにしておける問題ではなく、あらためて、法律家、法学者、あるいは、精神保健課だけでなく医事や医療政策の担当者を交えての冷静な議論が必要なのかもしれません。

少なくとも、国が違法行為性を認識していながら、精神医療のねじれを放置しているわけでなないと思います。現時点では、違法性はないと考えます。このあたりの議論は、bxq2uwさんが繰り返し説明して下さっているところだと思います。いまの精神医療において、臨床心理技術者が存在していることは、健康保険法下の診療報酬制度でも、明確に記されているわけですから、診療報酬の算定上の矛盾点に過ぎず、国家資格との関係はありません。ロールシャッハテストを始め、一定のカウンセリング技術について、臨床心理技術者が実施した場合の診療報酬を設定することは、中医協や精神科諸団体がその気になれば、現行の制度下でも不可能ではないはずです。ただし、財源が不足する中で、新しい項目の設定は困難でしょうから、簡単なことではないですが。逆に、国家資格でも、心療内科医による精神療法も診療報酬上は認められない現実もありますし、同じ医療でも、精神医療と、その他の医療との間にも様々な違いがあります。単純に国家資格化と診療報酬の問題を繋げて議論されることには疑問があります。

基本的に、現状で、精神医療における臨床心理技術者の立場は、医療行為を行っているのではなく、精神医療のプロセスにおいて、患者さんが合意された上で、隣接する非医療領域の専門家に意見を求め、医療と並行して活用していいただくという立場です。幼い障害児を支え育んでいくプロセスで、小児科医が医療という立場で関わり、障害児教育の専門家が教育という立場で関わるのと同じことかもしれません。教育も、一歩間違えれば、その子の一生の問題となるように、「こころの侵襲性」は少なくないと思います。ねじれがあるとすれば、臨床心理技術者と医療職の区別が曖昧な施設があり、診療報酬上の取り扱いが適切に処理されていない場合があるということでしょうか。この場合の違法性は、医行為の問題ではなく、診療報酬の不正請求ということですが、、、。

心理職であれ、精神科医であれ、心療内科医であれ、看護師・精神保健福祉士であれ、中途半端な心理的介入がもたらした危機的状況を、別の誰かがフォローするのは、あまりよい気持ちのするものではないと思います。本質は、つなでさんのおっしゃるとおりであり、医行為であるかどうか以前に、それぞれの立場で、それぞれの構造や関係性をきちんと評価して、適切な介入を行えるかどうかの問題です。これを回避するためには、それぞれの専門家が専門家としての資質をどう高めるかにかかっているわけですが、心理職にも、こうした危険性が存在する以上、第三者機関による統制管理が必要であり、クライアントの人権を擁護する上でも、国家資格化が必要だということになるならば、心理職全体でなければ意味がないと、私は考えています。

医療領域は、まだ制度が出来上がっている分、また、精神科医がいる分、逆に、今のままでも問題はありません。少なくとも違法性はないのですから。ところが、他の非医療領域では、もし、医療領域の心理職が国家資格化されれば、それこそ、違法性の問題が生じてきてしまうのです。スライド現象は、まさにafcpさんがご指摘されたとおりです。

先のコメントでも申し上げましたが、年間自殺者が、3万5千人近くに達する時代(70%が医療につながっていない現実の中で)、その予備軍100万人に対するアプローチ、さらにそれ以上の数に達する過重労働対策、また、65万人のニート対策や、また、高齢社会を迎えて高齢者や家族のメンタルサポートなど、心理職が、活躍を求められる場は、教育現場だけでなく、産業領域やそれ以外の領域にも広がっています。医療以外のこの領域で、国家資格は、必要ないとのお話ですが、こうした幅広い領域で求められるのは、まず、ファーストアプローチとして、メンタルな問題があるのかないのか、あるとすればどう対処するべきなのか、また医療に繋げる必要があるのかないのか、医療に繋げる場合において、その判断の根拠となるのは、いかなる立場からの見解なのか、言ってみれば、見立てが重要であり、このときに、一歩間違うと医師の「診断」にも近い、リスキーな仕事が求められているのです。治療契約に基く構造化は、ずうっと後の次なる段階であり、初動では、むしろ、適切かつ迅速なコーディネーションの能力が重要となっています。

現実に、こういう最前線では、クライアントとの関係にとどまらず、クライアントを取り巻く人々や組織との関わりが重要になってきますので、心理職が、どこまで意見を述べられるか、また、心理職の見立てを、どこまで信頼してもらえるかが鍵ですが、大変デリケートな内容を含んでいますので、その表現には、多くの心理職が、ぎりぎりのところで葛藤し続けているのではないでしょうか。afcpさんが、問題ないだろうとおっしゃっていた学校でも、心理職が、いきなり病院を紹介することに抵抗感をもつ人もいます。それは、本人や心理職だけでなく、教員や、家族などです。子供を中心に考えて、早い段階で、適切なアプローチをすることが重要なのですが、親は子供が医療対象であることを受け入れるのは大変困難なのです。いきなり精神科を紹介することは避け公的相談機関にいったん紹介して、そこから精神科にまわしてもらうべきだという意見もありますが、責任回避が先に立って、適切なタイミングを失ってしまうこともあります。診断とはいわないまでも、心理職が一定の見解について、適切な言葉を選択して、伝えていく。この作業だけでも、それこそ、どこかで、afcpさんがおっしゃっていた大きな「こころの侵襲性」を伴う作業なのです。さらに、医療だけの心理職国家資格が出来上がってしまうと、心理職としての見解を述べること自体の責任性が変わってきてしまう可能性もあるのです。現実的に医療限定の資格はありえません。教育現場でも、産業領域でも、求められていることは、より専門的な立場からの意見なのです。本人を守るためにも、周囲の理解を得るためにも、一定の力を持つと同時に、大変重たい責任を背負って、問題を直視して、適切に対処する能力と権限が求められています。また、国費を投じて行われる、これらの対策事業に、どのような人材に権限を委譲していくかと言う観点でも、その人材に求められる高い資質を特定し、きちんと管理がなされることも重要です。スクールカウンセラー事業では、この点が、きわめて曖昧であり、現行のスクールカウンセラーが、踏み込んだ責任を背負いきれないために、本来の目的が果たせていないのが現実です。精神科医が、すぐ側にいない他領域では、いかなる立場で意見を述べていくのか、大変難しい事態に追い込まれていくのです。

もっとも、こう考えていくとき、公的資格とはいえ、いまの臨床心理士制度では、その教育・研修内容が、まだまだ十分とは言えないことは確かです。指定校制も教育内容の充実にその目的があったと思いますが、現実は、理想どおりにはいきませんでした。ここ数年の間に、経験の浅い臨床心理士が沢山誕生していますが、彼らが、そのまま現場に放置されてしまっていては、大変危険です。いかに技能を研鑽し、質を高めていくかは、国家資格化によらずとも大変重要な課題なのですが、ボランティア的な活動に頼っている民間団体だけでは、背負いきれなくなっているのも、また、現実です。

こころしかくさん

このカテゴリーの主題から、外れた議論にしてしまったようで申し訳ありません。
ただ、こころしかくさんが、本文の最後におっしゃられている下記のことは、重要なことだと思います。

> 医療機関であれば主治医が入院や保護者連絡などマネジメントしてくれますが、地域においてはそれぞれの場所の管理者と連絡をとりながら、心理士は対応する必要があります。その意味では、医療機関より地域の心理士の方が高いマネジメント力を求められるといってもよいでしょう。

、、、という下りは、⑦⑧に限らず、afcpさんの疑問(何で非医療領域で国家資格が必要なの?)の本質と関わる部分だと思います。特に、非医療領域でこそ、自ら、大きな責任を持って、きちんとマネジメントしながら、さまざまなリスクと向き合っていかねばなりません。
そもそも、心理職は、一つの職種なのですから、心理職にとっては医療と他領域とは連続線です。むしろ、私には、医療心理師推進派が、医療だけの国家資格が必要と断言される根拠が理解できません。

スレ違いかもしれませんが・・

国家資格が必要な理由のひとつに、守秘義務の問題があると思います。
守秘義務が法律的に規定されていないと、来談者の利益を損なう危険性が常にあると思います。
その意味で、国家資格化されたあとに、刑法および刑事訴訟法の秘密に関する条項の修正をしてもらいたいものです。

特に、私自身は、刑事訴訟法のほうに、追加してもらいたいという思いが強いです。
心理療法という他者の秘密を耳にする仕事なので、いろんなことがありますので。

ichi-ishiさん
詳細なコメント、ありがとうございました。今にも説得されてしまいそうなのですが、一点だけお聞かせください。

仮に横断的な名称独占資格が作られ、心理療法はすべて医行為ではないとされるとすると、以下のようなケースはどういった扱いになのでしょうか。

国家資格を持たず、心理学的訓練も受けていない人物が、サイコセラピーと称して、統合失調症患者に繰り返し面談を行い、料金を徴収した場合。

これは法律上は咎めることができない行為となるのでしょうか。
あるいは刑法(詐欺罪?、有害事象が生じた場合は傷害罪?)のみによって禁じられることになるのでしょうか。

ここがどうも割り切れない点として残るのですが。

次の例の方が、より問題の核心に近いかも知れませんね。

国家資格を持たないが、心理学的訓練を人物が、サイコセラピーであると称して、統合失調症患者に繰り返し面談を行い、料金を徴収した場合。

この例は、仮に資格法の中に連携義務が盛り込まれたとしても、カバーすることのできない事例です。また心理学的訓練を受けているため詐欺罪とはし難く、有害事象が生じない限りは傷害にはあたりません。

身体科ではこうした行為は、医師法違反として取り扱われます。気功や遠赤外線でがんを治療するとか言うケースですね。これが医師法違反となるのは医師法17条(医師でなければ、医業をなしてはならない。)の規定に基づきます。そして医業とは医行為を、反復継続する意思をもって行うこと、とされています。

心理行為がすべて医行為ではないならば、上記のケースは医師法違反には当たりません。こうした行為は咎められない、という結論で良いのでしょうか。

ただこれは横断資格であるがゆえに起こる問題ではなく、傷病者に対する心理行為と非傷病者に対する心理行為を区別しないことから生じる問題です。ですから横断資格ではあっても、その両者を区別する規定が盛り込まれれば、良いのかもしれませんが。

2つ上のコメントでタイプミスがありました。

誤 国家資格を持たないが、心理学的訓練を人物が、
正 国家資格を持たないが、心理学的訓練をうけた人物が、

失礼しました。

afcpさん
> 仮に横断的な名称独占資格が作られ、心理療法はすべて医行為ではないとされるとすると、以下のようなケースはどういった扱いになのでしょうか。

という問題の設定自体に、誤解が含まれていると思います。
名称独占資格が作られることにより、既存の業務独占資格の業務に関する法律の適用や運用に影響を与えることは一切ありません。なぜなら、名称独占資格の法律は、紛らわしい名称の使用を禁ずるだけで、既存の独占業務に関し何ら効力を及ぼすものではないからです。
医療関係団体が主張するように、もし仮に業務独占資格を作るということになった場合には、医行為との調整というやっかいな問題が生じることになります。そのため、政府は新たな業務独占の資格を作ろうとはしないと思いますし、臨床心理士の側もそれを求めることはしていません。
心理職の名称独占資格を作ったとしても、医行為に関する解釈(司法解釈であれ行政解釈であれ)に対して、心理職の考えが影響を与えることはありません。

bxq2uwさん
おっしゃる通りです。
故に僕が主に問題にしているのは、

>心理療法はすべて医行為ではないとされるとすると

の部分です。

>名称独占資格が作られ、

の部分は、仮に業務独占資格であれば、その法律で処罰しうるので、その可能性を消去しておくために、付け加えてあります。

bxq2uwさんは僕が上に上げたようなケースが、刑法以外によって規制を受けることがない、ということは問題ではないと考えられるのでしょうか。そこをおうかがいしたいのですが。

先の法案骨子についての反対声明などのなかで、日精診、精神神経学会ははっきりと、心理行為と医行為との関係を明確化するよう求めています。また日精協も医師法・保助看法との関係を明確にするよう求めています。

これらの動機の一部は、今回僕が提示したような事例への懸念であると想像することは、的外れでしょうか。bxq2uwさんの書かれたことは、行政の世界の中で整合性を持つことは理解できますが、その論法で医療関係団体を説得できるとは、どうしても思えないのですが。

以前から書いているように、僕も医行為に関して真っ向から取り上げることは、良い方法ではないと考えています。

しかし少なくとも傷病者に対する心理行為と非傷病者に対する心理行為をなんらかの方法で区別するような方策を考えない限り、医療関係団体の懸念を払拭し、同意を得ることは難しいように思います。

そこを力づくで突破できるとお考えであれば、それはそれで良いと思いますが。

afcpさんが提起している問題は、もう少し一般化すると、医業類似行為の問題ということになるだろうと思います。
医業類似行為とは、もともとの意味は、無資格の者が行う「医業に似た行為」という意味だと思います。その後、あん摩・マッサージ師、はり師、きゅう師、柔道整復師の資格ができたことで、ちょっと意味が複雑になってしまいましたが。政府(医事課)は、医業類似行為をリストアップして、医師法違反行為がないかを、一応監視していると考えてよいと思います。手技行為や電気治療のようなものが中心のようです。臨床心理行為のようなものがリストに入ったという情報は入手していません。
さて、上に挙げたあん摩・マッサージ師等は、「資格のある医業類似行為」ということになりますが、その行為は、一応名目上は医行為と整理されていたように思います。そこから、心理の資格を考える際に、これをモデルとしようとする意見がときどき出てきます。しかし、最高裁の判例で、医行為とは、「当該行為を行うに当たり、医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、又は及ぼすおそれのある行為」とされたことにより、医師でない「あん摩・マッサージ師」等が行う行為を医行為とする考え方というのは「死に体」となってしまっています。つまり、にっちもさっちもいかない変な法律となってしまっていますので、これらをモデルに新しい資格を作るのは不可能なのです。
医業類似行為の現状ということについては、資格を持っている者も持っていない者も、実態としては、ほとんどできる範囲に差がないのではないでしょうか。

> bxq2uwさんは僕が上に上げたようなケースが、刑法以外によって規制を受けることがない、ということは問題ではないと考えられるのでしょうか。そこをおうかがいしたいのですが。

医師法違反行為は医師法の規定によって処罰されます。そのことは、名称独占の資格が作られることによって何ら制約されることはありません、という意味で申し上げています。心理職の名称独占資格が作られることにより、医師法の運用に何らかの制約が加えられるかのような誤解があるようなので、申し上げているということです。

bxq2uwさんの書かれていることには完全に同意できます。しかしその範囲から踏み出さない限り、医療関係団体を説得することは難しいのではないか、と述べているつもりです。繰り返しますが、僕が問題にしているのは心理行為と医行為の関係です。

少なくとも僕はその論の延長線上にある限り、横断的国家資格化を応援することはないでしょう。上に挙げたようなケースを何らかの形で禁止、処罰することができないのであれば、僕はむしろ保助看法解除による医療領域限定資格を支持します。

一方の当事者団体が明確にそこに論点があると示している問題を、そこにそもそも問題は存在しないかのように扱う論法は、たとえ法的、行政的な整合性があろうとも、それのみによって現在の局面を打開できるとは思いがたいのですが。

ちょっと確認しておきたいのですが、ひょっとしてbxq2uwさんは僕が上に挙げたような二つの事例は、医師法違反にあたると解釈されているのでしょうか。
もしそうなるのであれば何の問題もないのですが…。

2つ上のコメントも僕のものです。失礼いたしました。

> もしそうなるのであれば何の問題もないのですが…。

何の問題もないどころか、実は大ありなんだと思うのですけどね。
「心理行為と医行為の関係」の問題と
「医療機関の内と外」の問題が入り組んで、
議論が錯綜することがありますので、いきなり全体を論ずるのを避けて、糸口を探して行きたいと思います。
私も開業心理という医業類似行為的な形で仕事をしているものについて、利用者の立場から見て何のリスクもあり得ないとは思っていませんし、それに関して何らかの監督制度のようなものはあってよいと思っています。
ただ、ここで申し上げていることは資格問題に関する「正論」です。その点に関してafcpさんに「bxq2uwさんの書かれていることには完全に同意できます。」とおっしゃっていただいて、うれしく思います。私があえてこれを書いているのは、みんなが「正論」をよくわかった上で、現実の複雑な問題を論ずるのでないと、絶対に議論はめちゃくちゃな方向に行ってしまうと思うからです。案外、基本を知らないで応用を論じている耳年増な人って、多いんじゃないかと思っているのです。ですから、私としては、種類の違う問題、次元の違う問題を安易につなげることをせず、基本的なことを一つひとつ積み上げていく論法を取っていきたいと思っています。

そういう意味で、afcpさんのご質問に対して、挑発に乗って(半分冗談ですが)安易にお答えすることには躊躇します。つまり、私の本音は「そんなことは医事課に聞いてくれ」です。心理職が論ずれば論ずるほど、医行為という医師の聖域について勝手に言いたい放題しているという感じで、印象が悪いんじゃないかと思います。繰り返しになりますが、「医行為と心理行為」と並べると同一平面上で競合関係にあるように見えてしまいますが、医行為に関して心理職は「当事者として」の発言権はありません。

bxq2uwさん
僕の質問を挑発ととらえていただけるのは、まさに僕の本意とするところです。安易に答えがたいという理由もわかるような気がします。

しかし上に挙げたような例に関して、心理職を「当事者」でないとすることは、できないように思います。特に二番目の例に関しては対象は心理職です。同じ領域のなかの逸脱者については、きちんとそれを監督する制度について議論していただきたいと思います。この問題をに対して資格法と無関係に対策する方法を、僕はすぐに思いつくことができません。

確かにbxq2uwさんの言われた意味では、この問題を医行為の範囲の設定という方法で解決しようとするならば、心理職を「当事者」と考えることには多少無理があります。

しかし心理行為は医行為ではないとするならば、その瞬間に上に挙げた問題は、心理職を当事者とした問題になるのではないでしょうか。医行為ではないならば、逆に僕は当事者ではありませんし、医師法はそもそも関係のない法律になります。

結局は国家資格を作るなら、上に挙げたような例をきちんと監督、禁止、処罰できるようなものを作って下さい、というのが僕の質問のそもそもの意図です。ichi-ishiさんのご説明の主旨に、僕はほとんど同意することができます。しかしただ一点、上に挙げた問題が解決できないことが引っかかっているのです。

心理行為は医行為ではない、としながら心理行為を乱用するものは医師法の範囲で医事課が対応すれば良い、というのはあまりに無責任ではないでしょうか。

まず、「医行為」による「侵襲性」というのは、「身体への侵襲」を指すのであり、
その意味で、心理行為は、法的には「医行為」とはできないであろうし、
すべきでない、という議論に賛成です。

その上で、afcpさんのおっしゃる危惧は、
よく理解できるつもりです。

afcpさんのおっしゃることに、違和感を感じるとすれば、
「監督・禁止・処罰=医療関係法規で」という前提になっていることです。

心理職国家資格が、名称独占資格にしかできないのは、
それが他職種(教師や福祉職など)や個人が、日常的に行っている「相談」と、
法的な次元では、区別が困難であるからだと思います。

もう少し際どい例を出せば、例えば、お寺の住職が内観をやっていて、
その際に精神疾患を見つけ損なったからといって、
処罰までされるのは行き過ぎであろうかと思います。
社会的にも、そこまでは期待されていないであろうとも思います。
(もっとも、そのへんもよく勉強しているお寺の方も多いとは思いますが、
 法的な義務にしてしまうのは、行き過ぎでしょう。)

ただし、afcpさんのおっしゃるように、
「心理学の訓練を受けた」心理職(ただし国家資格をもたない)が、
医療に繋げるべきクライエントを見落とした、という例については、
考慮されるべきだと思います。

ひとつ思うのは、「臨床心理士法(仮)」が、
適用されうるのではないかということです。

名称独占というのは、
国家資格をもたないものであっても、その業務を行いうる、ということであり、
業務を行う際に義務が発生しない、ということではないはずです。

例えば、理学療法士は、保助看法の資格でありながら名称独占ですが、
国家資格をもたずに理学療法と同様の業務を行っている者にも、
国家資格をもつ者と同様の義務は、発生していると思います。

それに類似して、心理職の場合にも、
心理学を標榜して業務を行うこと自体は、国家資格保持者でなくても違法ではないが、
同様の義務を負わせることはできると思うのですよね。

その際には、内観を行う僧侶のような場合には、慣習上、適用はされないでしょう。
しかし、国家資格「臨床心理士」と類似の業務であると
利用者が信じるに足るような要件を満たしている場合には、
適用されうるのではないかと思います。

afcpさんの例では、
「国家資格を持たないが、心理学的訓練を受けた人物が、サイコセラピーであると称して」
とありますので、
これだと適用されると思いますが、いかがでしょうか。

もっとも、先の例でも挙げましたが、
「国家資格をもたない理学療法士」というのは、
ほとんどいないと思うのですよね。

それはやはり、「国家資格」ということの重さであろうかと思います。
名称独占ではあっても、実質的には業務独占のようになっていくと思います。

おそらく、「臨床心理士法」が施行された場合、
国家資格「臨床心理士」をもたない心理職は、
ほとんど採用されないでしょうし、
開業しても、信用されにくいでしょう。
(それだけに、経過措置は幅広く認める必要があります。)

それがもし仮に、
国家資格をもたない心理職は、医療機関との連携義務もない、
などということになれば、
なおのこと、採用はほぼ皆無になると思います。

ですから、もし仮に(仮にですよ)、
「国家資格をもたない心理職であれば、
 サイコセラピーと称して統合失調症の方に面接しても、
 違法にはならない」
ということだとしても(だとしたら尚更)、
「国家資格をもつ心理職には医師との連携義務があるのだ」という点が、
利いてくると思います。

現状では、法的には野放しなわけですから、
そのほうがよっぽど問題です。

上記のような2重の意味で、横断的に国家資格化したほうが、
afcpさんのいうような危惧は、減じると思います。

繰り返しますが、心理職国家資格が「名称独占」になっているのは、
あくまで他職種や日常的な相談をも取り締まるわけにはいかないからであろうと思います。
必要な規制はかけられると思います(そういう法律にすれば)。

> 先の法案骨子についての反対声明などのなかで、
> 日精診、精神神経学会ははっきりと、心理行為と医行為との関係を明確化するよう求めています。
> また日精協も医師法・保助看法との関係を明確にするよう求めています。
>
>これらの動機の一部は、今回僕が提示したような事例への懸念であると想像することは、
> 的外れでしょうか。

しかし、医療関係団体の反対声明は、
あくまで、「国家資格『臨床心理士』をもつ者が、
医師と連携し損なった場合のことを、どう考えているのか?」
という趣旨であるように思います。
無資格者には社会的信用はないのだから、それはそれでよいと考えているように思います。

そして、他領域の心理職すべてを、
「社会的信用のない無資格者」にしてもらいたい、というのが、
日精診の声明の趣旨であり、
むしろafcpさんとは逆の趣旨ではないでしょうか。

むしろ日精診の声明のほうが、「やけくそ論」に思うのですけどね。


> bxq2uwさんの書かれたことは、行政の世界の中で整合性を持つことは理解できますが、
> その論法で医療関係団体を説得できるとは、どうしても思えないのですが。

しかし、医行為と心理行為との関係を、法的に規定するのは無理ではないでしょうか。
法的には、自我と身体は違った側面であり、パラレルなのですから、
「関係はない」です。

むしろそこを、「医療関係団体の力は強いんだから」ということで、
無理を通させてはならないと思います。
どのような犠牲を払ってでも、です。

それをやりたければ、「自我への侵襲」も「医行為」に含まれるように、
医師法を改正すればよいのです。
もし万一それが成功したら、罵声を浴びせたり、
セクシュアルハラスメントをしたりとかいうのも、
医事法制で監督・処罰されるような、変な世の中になりますが・・・。

これは、他の点とは違っています。
仮にも日本は法治国家です。
政治力で勝っているからといって、この点で無理を通させてはならないのです。


> しかし少なくとも傷病者に対する心理行為と非傷病者に対する心理行為を
> なんらかの方法で区別するような方策を考えない限り、医療関係団体の懸念を払拭し、
> 同意を得ることは難しいように思います。

危惧そのものは理解できますし、
それは国民の利益になります。

しかしここは、「医行為と心理行為の関係を定める」
「傷病者に対する心理行為と非傷病者に対する心理行為を区別する」
という方法ではなく、
別の方法で、実質的にその危惧を回避できるような立法上の方法を
考えるべきです。
法的に「医行為」と「心理行為」を関係づけるのは、不可能です。

もっといいましょうか。

国民の利益にかなうのは、
「医療領域のみの国家資格化」ではなく、
「他領域をも含んだ国家資格化」です。

個々の個人や団体が、自らの利害を主張するのは、いいのです。
ただし、それが通るかどうかは、個々の利害が全体の利害と合致するかどうか、
という点が問題なのです。

医療関係団体から見てつじつまが合うか、
彼らの利害にとってどうか、という点だけが、
際立って重視されるのは、おかしいのです。

大事なのは「誰が力をもっているか」ではなく、
「何が正しいか」「何が皆の利益にかなうか」です。

その点をはしょって、
容易だから医療領域のみ国家資格化、というのは、
へつらいでしかないと思います。

素朴に、クライエントとかかわることのみが喜び、という人もいるでしょう。
この問題が落ち着いた何十年後なら、それでいいのです。

しかし、今は平時ではなく、戦時です。

戦時の心理職は、
  心理職の業務+心理職の認知を高める社会運動家
であるべきなのです。

まともな国家資格を目指すプロセスで失職する人がいても、
それは必要な犠牲です。
そういうこともあり得るという覚悟は必要でしょう。

横断的でまともな内容の国家資格化のためであれば、失職はおろか、
命をとられても、かまわないです。
しかし、医療心理師のために何らかの迷惑をこうむるのは、
断じて御免です。
そんなものを後押しすべきではないのです。

クライエントや自分たちに迷惑をかけている、ということで恨むなら、
医療関係団体を恨むべきです。

頑強に、法的には通らず、全体の利益にならないことを主張しているのは、
向こうなのですから。

デスマさんへ
デスマさんの書かれていることと、僕の考えていることの間にはそれほど隔たりはないと思うのですが、いくつか細かい部分のみ反論、質問を。

>「監督・禁止・処罰=医療関係法規で」という前提になっていることです。

むしろ医療関係法規で行わないなら、他の方法をきちんと考えて下さい、という主旨で書いています。


>名称独占というのは、国家資格をもたないものであっても、その業務を行いうる、ということであり、業務を行う際に義務が発生しない、ということではないはずです。

この解釈が正しいのかどうか、僕には判断ができません。


>もし万一それが成功したら、罵声を浴びせたり、セクシュアルハラスメントをしたりとかいうのも、医事法制で監督・処罰されるような、変な世の中になりますが・・・。

身体に包丁を突き刺す行為は、医師法に違反するから咎められるわけではありません。罵声を浴びせたり、セクシュアルハラスメントをしたりということをカバーするのは刑法など、別の法律となるでしょう。

>「傷病者に対する心理行為と非傷病者に対する心理行為を区別する」という方法ではなく、別の方法で、実質的にその危惧を回避できるような立法上の方法を考えるべきです。

その具体的な提案を僕は求めています。

最後は細かい点ではないかもしれませんが、

>医療心理師のために何らかの迷惑をこうむるのは、断じて御免です。

僕の立場からすると、非医療領域の国家資格化のために、医療領域(もちろん横断でも構わないのですが)の国家資格の成立が大幅に遅れるのは、断じて御免です。

上の表現はちょっと適切ではないですね。

デスマさんの言われるように質の良い国家資格をつくることは、非常に重要なことです。しかしそれができるのが、何十年も先であったとしたら、その間に失われる国民の利益は、無視できないものとなります。

時間の経過を無視した議論には、同意できません。

いや、その理由が、
「医療関係団体のほうが力が強いから」
であるとしたら、同意はできないと言っているのです。

それは権威主義であり、
おかしな主張をしているほうを、妥協させるべきだと言っているのです。

それならば、医師として、
医療関係団体のほうを、説得すべきではないかと思います。

その意味で、私のいう「断じて御免」と、
afcpさんのいう「断じて御免」は、同質ではないですね。

afcpさんの言う事は、
「医師のほうが力が強いのだから、
 正しくても正しくなくても、医師団体のいうことに同意せよ。」
という論理であると思います。

デスマさんへ

>「医師のほうが力が強いのだから、正しくても正しくなくても、医師団体のいうことに同意せよ。」

「同意せよ」を「歩み寄れ」に変えていただければ、その通りのことを僕は書いています。歩み寄らねばならない理由は医療関係団体の主張の中にも、一抹の正しさがあるという点が一つです。

また今は学会で学説の正否を問うているわけではありません。立法府という場で、いかに立場の違うもの同士が、政治のルールに則って多数を占めるか、という運動をしているのだと認識しています。

政治のルールの中で、速やかに多数を占めることができる方策があるのであれば、医療関係団体の主張に歩み寄ることなく、存分に主張をされれば良いのではないでしょうか。

僕は医療関係団体を説得することには、努力する価値はあると考えていますが、その実現の可能性はかなり低く見積もっています。それが成功するということのみに賭けて、今後の道筋を考えることは、時間についてのリスクが大きすぎると考えています。

またもっとも中心となって反対している、日精診、日医は僕自身とはあまり利害も一致しておりませんし、今後会員となる予定もありません。あちこちのブログで僕が書き散らしていることが、これらの団体に対して僕のできる、最大限の働きかけであろうと考えています。

精神神経学会については、末端の一学会員ではありますが、今後そのような機会が得られればなんらかの働きかけをすることは、積極的に考えてもよいと考えています。

繰り返しますが、心理職から見てもっとも良質な国家資格を作るためなら、いくら時間がかかってもかまわない、と言う論には賛成できません。時間がかかりすぎることで、失われる利益は少なくないと考えます。

> 歩み寄らねばならない理由は医療関係団体の主張の中にも、
> 一抹の正しさがあるという点が一つです。

この点では、理解はできるのですよ。
・・・というか、そうでなければ、ここに書き込む意味もないですね。


> 心理職から見てもっとも良質な国家資格を作るためなら、
> いくら時間がかかってもかまわない、と言う論には賛成できません。

ここなんですが、「心理職から見て」ではないですね、私の言いたいのは。
他領域にもクライエントはいるのであり、
医療の枠内で心理的援助を必要とする人の利益だけが、
他の人の利益よりも重んじられていいとは思えないのですよ。

まず、オーエンさんへ
(ただし、これもafcpさんへの回答に繋がります。)

守秘義務に関する法律は、医師等の一部の者は、刑法134条に規定されていますが、最近の新しい資格は、それぞれの資格法にあります。

【第134条 医師、薬剤師、医薬品販売業者(薬事法認可業者)、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。
2 宗教、祈祷若しくは祭祀の職にある者又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときも、前項と同様とする。】

刑事訴訟法は、刑事事件に関する警察制度、捜査、裁判制度、起訴・上訴、証拠法、など、一連の刑事手続きに関する法律ですので、守秘義務を直接扱うものではありません。

(オーエンさん、ちょっと誤解があったようですね。でも、この論議で、刑法上の取り扱いに切り込んでくださったのは、するどい、ご指摘です。)

では、なぜ、医師など上記の例示されている身分の者(すべてが国家資格ではないですよね。薬事業者、弁護人、宗教家などは国家資格ではありません)が、刑法で秘密漏示罪に問われるのかを考えてみましょう。基本的に、これらの人たちの業務行為は、①個人の秘密を守ると同時に、②制度を維持する上での信頼を守ること、が重要になってきます。刑法は、社会秩序を守る法であり、秩序維持、法益保護、人権自由保護の三つの機能があります。上記の身分のものは、これらの機能に関わってきます。また、他の刑法規定、傷害罪、堕胎罪、詐欺罪、背任罪、刑法で扱う宗教規定(礼拝所、宗教儀式、墳墓に対する不敬罪、信用毀損)などにも関連してくる業務に関わる人々です。私としては、ここに、心理職が入る必要があるかどうかは、ちょっと???です。正直なところ、あまり妥当ではないように思います。さて、というのが、次のafcpさんに対する回答に繋がっていきます。

Afcpさんへ

宿題「仮に横断的な名称独占資格が作られ、心理療法はすべて医行為ではないとされるとすると、以下のようなケースはどういった扱いになのでしょうか。国家資格を持たないが、心理学的訓練をうけた人物が、サイコセラピーであると称して、統合失調症患者に繰り返し面談を行い、料金を徴収した場合。」

まず、「医行為」をもう一度考えてみましょうか?「医行為」は、その行為の基本は、刑法第204条の傷害罪にあたる行為にあたることを、前提としています。その上で、いかなる条件が揃えば、刑法第35条による正当行為となしうるかという論議になります。

「医行為」にあたる行為とは、医師でないものが行えば、傷害罪に問われる犯罪行為です。
犯罪行為には、①構成要件②違法性③因果関係④有責性があることが基本です。構成要件とは、「具体的に何をしたか」です。次に、その行為が、刑法上のいかなる条項に違反しているのかが違法性です。また、具体的な行為と結果に密接な関係性があることが必要であり、また、その行為者が、心神喪失ではなく責任を問えることとなります。先に「人体への危害」をどう読むかということを申し上げましたが、医師の行為の内には、人体に針を刺したり、メスを入れたり、また毒物と一線を引くことのできない薬物を飲ませたり、とまさに行為自体が傷害をもたらす予見可能性をもっており、実質的な人体への危険性を孕んだ行為を行っているわけですから、これを正当化するために、いくつかの条件を設定することが必要となります。

すなわち、「医行為」であるか否かは、具体的な構成要件が、存在すること。具体的とは、常に人体への傷害が起こるであろうことが予見可能な行為であり、傷害罪に該当しうる違法性がありうる行為であることが、必要条件です。この前提の上で、その違法性・因果関係について議論し、その正当性を整えていくことになります。
① 本人との間で同意が成立していること
② 公序良俗に反しないこと、
③ 具体的に目的方法手順がすべてにおいて明確に一定の水準(医療水準)と照らし逸脱がないことなど(因果関係にあたるところですが、ここが多くの医療訴訟で争点となるポイントです。
なお、有責性があることは、医師としての欠格事由がないことが前提となっています。
ここまでは、法医学を学ばれたことがある人であれば、昔を思い出し、または、テキストを紐解いていただければ納得していただけることかと思います。

さて、精神療法や心理療法は、この法理にそって考えたとき、本当に「医行為」と考えてよいのでしょうか?具体的な法律論議がなされた記録には当たっていないので、断定はできませんが(弁護士さんでも丸山先生と北村先生では随分異なる見解をされていますので???ですが、、、、)。まず、精神療法のうちどのような行為が構成要件となっているのかを具体的に特定する必要があります。その上で、傷害罪に該当しうるのか、もう少し広く取って、暴行罪、過失傷害罪、過失致死罪、などへの該当性・違法性がありうるのかどうか、とくに、医師以外のものが行ったときには、この部分への抵触がありうるのかどうかが重要になると思います。また、具体的な行為を特定した上で、その行為によってもたらされた具体的かつ直接的な結果がなければなりません。傷害罪を精神的な障害まで含めてとらえた判例もないわけではありません。PTSDが生じた場合の事例があります。しかし、PTSDと断定されるまでには、診断基準に照らし、本当に生命に関わる重大な出来事があったか:実際の死や死の脅威、または深刻な負傷、もしくはそれらの生じるおそれ、あるいは自分自身もしくは他者の身体的保全に対して脅威となるような出来事を体験したり、目撃したり、もしくはそのような事態に直面したことがあったかが具体的に問われます。
、、、と考えたとき、いまのところ、精神療法が、これまでの、「人体への危害」が「身体」の域を越えるのは難しそうです。

おそらく、精神療法(心理療法)を行ったというだけでは、医行為に該当する行為を行ったとして無資格診療にあたるとすることは、難しいでしょう。心理療法自体が、医師、心理職を越えて、広く一般の人々の間で行われていると理解されていることも、いまこの期に及んで業務独占とは成しえないでしょう。組織心理学を活用した人事労務マネジメントばやりの昨今、企業内では、認知行動療法、コーチング、ソリューションフォーカストアプローチ、アサーションなど、部下上司関係や人事労務担当者にとっても、医療におけるそれとは、たぶん変形はあるものの、当たり前のように、研修として、行われています。また、精神疾患をもつ人への支援の過程で福祉職・公務員・ボランティア・家族を対象に、認知行動療法を学ぼうというセミナーの機会を高名な精神科医たちが提供していたこともあります。いまの時代、精神(心理)療法のすべてとは言い切れないかもしれませんが、療法という名前がついているから、紛らわしいのかもしれませんが、アプローチの仕方、コミュニケーションの取り方、相手の理解の仕方、相互の関係性の改善の仕方という観点でとらえると、精神(心理)療法のかなりの部分は、非医行為と考えるの妥当だと思います。

むしろ、一部分、医行為との関係が問題になりそうなのは、心理査定・診断面接における診断行為でしょう。精神療法と異なり、こちらは行為が具体的であり、構成要件を充たす可能性もあります。診断基準にあてはめただけで、○○障害です。と言い切ってしまうような行為がなされたとすると、内容によっては、クライアントの人権に関わることもありうるかもしれません。この場合、人権を侵害しうる可能性を含めて考えると、医行為の域に置いておく必要のある行為でしょう。しかし、心理職にとって、述べることのできる意見をどの程度まで、認められるのか、一定の診断(あるいは○○障害の恐れという判断)を含む行為を認めるべきなのか、ここは、難しいところですが、非領域の心理職にとっては、一番悩ましい部分だと思います。

精神科医による精神療法には、診断だけではなく、薬剤の服薬指導や医学的検査なども含めて、治療の一環としての意義があると思いますので、実際、問診、診断、説明義務といった医行為部分が大きいと思います。心理職の心理療法には、これらのことが含まれないことが原則です。医療領域では、この部分は医師にまかせきりでもよいので、問題にはなりにくいと思いますが、他領域では、医師がいない分、ある程度の権限を心理職にエンパワメントする必要があり、クライアント保護のためにも、心理職が毅然と対応しないといけないこともあるのです。それゆえに、むしろ、他領域の心理職の責務が重いことを、きちんと踏まえて、心理職の国家資格化を議論しないといけないというところにつながってくるのです。

医師団体を説得するというより、互いに協力し合って、冷静に問題点を直視しながら、最も適切と考えられる対策を構想することが大切だと思います。

デスマさんへ
>「心理職から見て」ではないですね、私の言いたいのは。
お気持ちはわかるのですが、「誰から見ても」ベストな資格法というのは、そもそも存在し得ない可能性があると考えています。特に質と費用のや、アクセスのしやすさと安全性のトレードオフになった時に、どこかにベストのポイントがあるとは、考えにくいと思います。原理的に、(一定時間内には?)同意できないことがあり得るゆえに、多数決という政治的な意思決定手法が、開発されているのではないでしょうか。


ichi-ishiさんへ
確かにざっと(ウェブ上だけで)調べてみたのですが、治療目的で何らかの行為をしたというだけで(例えばがんを治すと言って、遠赤外線を当てた)とかの事例では、医師法違反に問われたものはなく、詐欺の範疇でとらえられているようですね。医師法違反に問われるのは、あくまで身体への傷害が生じた事例に限られているようです。

すると次の疑問は、有資格であれ、無資格であれ、非医療領域の心理職が「治療する」と称して心理療法を行うことは詐欺罪に当たる場合があり得るのでしょうか、ということになります。これは治療対象、技法、設定された治療目標などの組み合わせによっては、詐欺にあたることがあるのか、ということです。ここまで来てしまうと資格議論からは幾分離れてきますね。

>精神(心理)療法のかなりの部分は、非医行為と考えるの妥当だと思います。
揚げ足を取るつもりではないのですが、ichi-ishiさんも一部の心理療法は医行為と考えられる、と思っていらっしゃるのでしょうか。ちょっと意外な一文でした。それとも文脈からするとこの「精神(心理)療法」は診断的行為なども含む、心理行為全般を指している、ということなのでしょうか。

さてこの辺りから先は、新しい論点に関してということになってきそうです。

仮に国家資格化がなされたとしても、企業内などでは当たり前のように無資格者による心理学的な実践が行われることになるとすれば、結局ぐるっともどって、非医療領域の国家資格化によって低減できるのはどのようなリスクなのか、という疑問にたどり着きます。というか「広く一般の人に行われていること」に国家資格を作ってしまってよいのでしょうか。

もちろん現実を反映しているし、そこに線を引きがたいからそうなるのだ、ということは理解できるのですが、心理行為は時に「専門的行為」とされ、ときに「広く一般の人に行われていること」とされています。外延の規定をもとめる論はこの点についての違和感の表明なのではないでしょうか。

ichi-ishiさんの論によると、心理行為は「広く一般に行われているから、業務を独占できない」ものであり、かつ「専門的立場から、大変重たい責任を背負って」行われなければならないものであるということになります。これは不思議なことでもなんでもなく、まさしく心理行為が両者の間にひろがっているということだと思うのですが、そこの間に境界線を引かずに、議論の局面によって都合の良い方が顔を出してくることに、戸惑いを感じます。

僕は基本的に「広く一般に行われている」部分を、たとえ名称独占であっても資格法でカバーすることには違和感を覚えます。これは国家資格は必要不可欠な部分以外を対象とすべきではない、という政治的ポリシーの問題かもしれません。

逆に「専門的立場から、大変重たい責任を背負って」行われるべき部分に関してはその範囲をきちんと規定して、業務独占的に行われねば、クライアントに大きな不利益を生じることが、懸念されます。

まだあまり自分でも少し整理できていませんが、なぜ外延の規定を求める意見があるのか、ということについての意見、ということになるかと思います。

> ichi-ishiさんの論によると、心理行為は「広く一般に行われているから、
> 業務を独占できない」ものであり、かつ「専門的立場から、
> 大変重たい責任を背負って」行われなければならないものであるということになります。
> これは不思議なことでもなんでもなく、
> まさしく心理行為が両者の間にひろがっているということだと思うのですが、
> そこの間に境界線を引かずに、議論の局面によって都合の良い方が顔を出してくることに、
> 戸惑いを感じます。

実態と法的な取り扱いとを、「混同」しているのではないかと思うんですが・・・。

「広く行われていること」と「心理職の専門的営為」は、
実質的には、大きな開きがあります。
私も、できることなら、この点は、法的にも厳密に区別してもらったほうが、
ありがたいのです。
が、しかし、法理論的に両者を客観的に区別するのは無理なのですよ。
それよりは、他職種や個人が、日常的に行っていることを制限しない、
ということのほうが、法的には優先されるのです。
(すべての人から見てつじつまの合う資格法は無理なのです。
 この点は、心理職や医療職側が、妥協すべき点です。
 そうでないと法律的な一貫性がなくなりますから。)

で、「医行為」のこともこれと同じで、
厳密には、「医行為性」はあるのでしょうけど(いや、あるとしても)、
それを、客観的な構成要件として立法化するのは無理なのです。
ですから、法的には「医行為」にはできません。

この2つの結果、
・医行為性はあるかもしれないのに、他領域にも存在できる
・専門技能であるはずなのに、一般の人も行える
という、一部の医師の先生方からみれば、おかしな結果が生じます。

既存の法律体系との一貫性という点からみて、
これはしようがないのではないかと思います。

医師法のような形で、周辺にゆがみを押し付けてまで、
厳然と存在するような法律は、心理職にはつくれないのですよ。
(無理を通したいのではなく、これは心理職なりの、
 歩み寄りだと思うのですよ。)

正面から「医行為」「専門」とするのではなく、
別の方法で「実質的に」カバーすべきところではないかと。

もちろん、特定できないまでも「医行為性」を含むのならば、
医療領域だけを国家資格化し、
医療心理師のような「診療補助職もどき」の国家資格にすればよい、
という解決方法はあります。
これも、法的には、上記の矛盾を解決するための、1つの方法です。

そういう考えを踏まえた上で、横断的資格を支持する人というのは、
限定もできないわずかな「医行為性」のために、医療限定資格にして、
他領域に質の保証をしたり、法的な義務を定めないのは、政策的におかしい
という判断をしているのだと思います。

法的な事実として、医行為を特定できない以上、
心理職側の職業選択の自由のほうが、優先されます。
その上で、医行為並みの危険が時に伴う可能性がある、というのなら、
医療とは別の、独自の国家資格化が必要なはずなのです。

> 仮に国家資格化がなされたとしても、
> 企業内などでは当たり前のように無資格者による心理学的な実践が行われることになるとすれば、
> 結局ぐるっともどって、非医療領域の国家資格化によって低減できるのはどのようなリスクなのか、
> という疑問にたどり着きます。

この点は、おっしゃるように、法的に生じてしまう、「穴」なのだと思います。
(ただ、「医療心理師だけ」を国家資格化しても、この穴は残ってしまいますが・・・。)

これはしようがないのですよ。
特に、民間企業などで、「カウンセラー」として、
あまり心理学的訓練を受けていない人を採用してしまった場合、
しばらくはその人は居続けるでしょう。

しかしここで他領域の国家資格化がなされなければ、
この状態は、ずっとずっと続きます。
国家資格化がなされれば、次の契約更新や退職後の補充は、
おそらく国家資格有資格者が採用されます。

また、この人が国家資格法施行までに一定の要件を満たし、
かつ試験に受かる人であれば、経過措置に乗れるので、
(乗れてほしくはないですが・・・。)
そしたら法的な監督・規制・処罰の対象になりえます。

医師のように、業務独占の資格でなくても、
国家資格化というのは、それなりに大きいことなのですよ。

やはり法的には(そしておそらく実際的にも)、心理職の業務というのは、
管理栄養士や社会福祉士のようなものだと思うのですよね。

健康な人にも同種の業務を行うし、それ自体は医行為ではないが、
しかし、疾病者を対象とすることもあるので、
その点で、一定の監督は必要、という。

社会福祉士や精神保健福祉士は名称独占の資格ですが、
しかし、専門性や安全を求められる場所には、
国家資格をもった人が採用されていますよね。

そして、そうじゃない人のところには、
安全性・専門性を求める人は、いかないのではないかと思います。

あとこれはイチ心理職として。

「自我への侵襲」は、「医行為」ではないです。

しかしながら、カウンセラーにかかって、
避けられるはずのところを、数年にわたって思い出してしまうような心の傷をつけられた、
ということになりますと、
これは、医師にまちがって腕を切り落とされたとか、後遺症が残ったとか、と
パラレルのことになるのではないかと思います。

クライエント個人からも、社会的にも、そのくらいの期待は、
されているとも思います。

この点で、そう思えないという人は、
心理相談や精神療法をやるべきではないです。

以前に、afcpさんは、
「期待はずれのカウンセラーにかかってしまうのを避けるために」
というような理由で、他領域を国家資格化すべきではない、
と主張されていましたが、
それはやはり「医師の発想」だよなあ、と思うわけです。

身体への侵襲や、医学的にも明らかな増悪を招くものだけが、
重大な侵襲であるとするわけですよね。

これは、イチ心理職として・・・。

以前に、dustさんとか、幾人かの方が、
「医師は、まともに精神療法ができなくても、
 それが医行為だというのがおかしい。」
という趣旨の発言をされていました。

たしかに、受験がどうとか、そういうことを持ち出すと、
感情論と取られかねない主張の仕方だったとは思うのですが、
意味としては、分かるのですよ。

実際、医師として責任を問われない程度のもので、
(あるいは、実際に問題になってもおかしくない程度のものも含んで)、
多くの医師は、かなり患者さんを(不要に)傷つけていると思うのですよね。

「人間的に未熟だから」とか言って服薬を勧めたり、
「成績が伸びないゆえの詐病だろう」と言ってみたり・・・。
「そのまま来ていい」というからしんどいところをそのまま行ったら、
「紹介状が必要」と言い出したり・・・。
医師に傷つけられたという話のフォローをしょっちゅうやっている自分としては、
こんなことをしょっちゅうやっているくせに、
資格問題の議論でだけ医行為だと主張するなよ、と言いたいです。
だとしたら、その「医行為」を満足にできていないお前は、
今すぐ処罰されるべきだろ、と。
(もちろん、こちらが医師の先生方に迷惑をかけている場合もあるのでしょうから、
 そのことばかりも強くは言えませんが・・・。)

このような場合、結果として病状が悪くなっても、
因果関係の立証が困難ですし、医師に責任を問うことはできないです。

すべての医師、あるいは、
心理的な問題をもった人にかかわることの多い科の医師だけにしても、
「自我への侵襲」を避けることを医師の業務として義務付けるのは、
無理だと思うのですよね。
(そういう感受性の低い人多すぎです。)

「自我への侵襲」は場合によっては、
「身体的侵襲」にも匹敵しうる被害を与えることがあり、
しかしそれは医学によって避けうるものではないので、
独自の立法化による監督が必要、ということで、
いいのではないかと。

栄養士だって、へんなものを食べ続ければ、健康状態は悪化するわけですが、
しかし、栄養指導自体は「医行為」ではないですよね。

そうそう、ここでの「自我への侵襲」は、
日常生活に支障が出るとか、薬物療法を必要とするとか、
そういうレベルでないものも含みますよ。

それを避ける義務は、医師にはないですが、
心理職にはあるように思います。

afcpさんのロジックですと、
危険のある物はすべて医行為になってしまうのですが、
その前提だと、そういう結論にしかならないと思います。

デスマさんへ

>それよりは、他職種や個人が、日常的に行っていることを制限しない、ということのほうが、法的には優先されるのです。

>業務独占の資格でなくても、国家資格化というのは、それなりに大きいことなのですよ。

この二つの主張の間に、矛盾とまでは言えませんが、目的の乖離があるような気がするのですよ。

僕の意見もこれとほとんど同じところに立脚していて、ならば非医療領域は、国家資格化しない方が良い、という結論にたどり着くことになります。

限定もできない一部の、専門性が不可欠とされる心理行為のために、領域全体に国家資格が必要なのでしょうか。デスマさんがいつも言われるように、国家資格の存在は、それが直接カバーしていない部分においても、職業選択の自由を侵す可能性があります。

医行為と心理行為、心理行為と「一般に行われている行為」に関するデスマさんの議論は相似形でありながら、場所によって結論が変わっているようにも思われるのですが。

>法的な事実として、医行為を特定できない以上、心理職側の職業選択の自由のほうが、優先されます。

法的な事実として専門性を必須とする心理学的行為を特定できない以上、非心理職の職業選択の自由のほうが、優先される必要はないのでしょうか。


どこにも明確な線を引くことはできない、という点でデスマさんと僕の認識は一致しています。

ここでデスマさんは、心理職の職業選択の自由を優先し、どこにも線を引かないことを選択し、僕は傷病者の保護と、非心理職の職業選択の自由を最優先にし、医療と非医療の間に線を引くことを選んでいます。このように言っては、あまりにこちらだけに都合がよすぎるでしょうか。

ichi-ishiさんの、午前5時12分のコメントへの横レスです。失礼します。
オーエンさんが問題にされているのは、刑事訴訟法弟149条、
「医師、歯科医師、助産師、看護師、弁護士(外国法事務弁護士を含む。)、弁理士、公証人、宗教の職に在る者又はこれらの職に在つた者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについては、証言を拒むことができる。但し、本人が承諾した場合、証言の拒絶が被告人のためのみにする権利の濫用と認められる場合(被告人が本人である場合を除く。)その他裁判所の規則で定める事由がある場合は、この限りでない。」
ではないかと思います。これは確かに、重大な問題だと思っています。

> ここでデスマさんは、心理職の職業選択の自由を優先し、
> どこにも線を引かないことを選択し、

そうではなくて、
他領域の相談における一定の指標を確保するため、
すなわち他領域のクライエントの安全のため、です。

それに、例えば、私は普段の業務で、
統合失調症の方が、病を抱えつつ大学に適応していくことを援助しています。
(そういうこともすべて、医療で担えるのですか?
 afcpさんの議論は、概念的な整合性を気にして、
 事実をみていないように思います。)

これは「医行為」ではないですが、
しかし一定の基準と義務による、監督は必要ないんでしょうか。

しかし、その「監督」のために、他の相談までが
一律に法律で禁止されてはいけないと思うのです。

法的な落としどころは、名称独占で国家資格化、というところにしか、
ないように思うのですが。

やはり、
「医学に関係ないものに、資格は必要ない」
=「資格にしてほしければ、医学の軍門に降れ」
という話の延長のように思えるのですが。

> 他職種や個人が、日常的に行っていることを制限しない、

これは、心理職ではない人間が、相談を行うことを妨げないものです。

しかし、それらの人に、心理学の訓練を受けた人間と同様の、
国家による認定を与える必要はありません。

それは、「禁止しない」というだけで十分のはずなのです。

社会福祉士や教師は住職は、それで生活しているわけですので、
妨げないだけで、足ると思います。

また、一定の訓練を受けていない心理職については、
国家資格化に際して、国家資格を与えないことで、
一定の差別化をする必要があると思います。
(ここが野放しになっていることが、大きな問題です。)

afcpさんのほうこそ、相似形でありながら、
結論が変わっています。

それならば、医療領域も国家資格化せず、
いまのまま「臨床心理技術者」のままで存在させ続ければよいのです。

(私は、それでいいとは思いませんが、
 afcpさんの議論を突き詰めると、そういうことになると思います。)

医療さえよければ、他はどうでもよくて、
医療の側の意向が、常に最優先されるべきだ、という結論としか
思えないのですよね。

> 限定もできない一部の、専門性が不可欠とされる心理行為のために、
> 領域全体に国家資格が必要なのでしょうか。

結局この発言は、医療領域の心理業務だけが、
法的な規制と保護の対象となりうる専門業務だ、
という主張ではないでしょうか。

もう少しアタマを冷やして考えますが、
直感的に、ものすごいおかしいことを言われているように感じます。

それに、厚生労働省は、保助看法による国家資格化はもう考えておらず、
また業務独占の資格自体が作りにくい時代背景もあるのですよ。

無資格の他領域の心理職が、相談を受けて、
医療につなげ損なったら問題だ、というのもafcpさんですよね。

でもここでは、「他領域の職業選択の自由」ですか?

同じ人の発言とは思えないのですけどね・・・。

やはり他領域の国家資格化は欠かせないと思います。
個人的な経験をうーんとボカしてかきますが、ある企業の相談室にいた頃に夕方に今から相談をしたい電話では話せないということでいらっしゃったかたがいました。
そして、主訴は関係念慮を主体とするもので、若く、初発の統合失調症と考えられるし、後日、入院して確定診断も同じでした。
さて、ここからが大変です。時間はすでに17時半過ぎで多くのクリニックが(地方都市ゆえ)閉まってっていたり休診日です。
電話をクライエントの前に持ってきて(よけいな関係念慮を発展させないように隠語を駆使しつつタウンページや救急医療情報センター(精神科救急情報は扱っていないと即座に却下)の情報を活用して電話をするわけです。(まだPCが支給されていなくてこれまた苦労)
しかし、多くはこちらの身分が曖昧な故に出た受付段階で取り次いでもらえなかったり、医師から明らかに軽侮な鼻であしらう対応で断られてしまいました。3時間近くあちこちに電話です。
やっと県を跨いだ公立病院の医師がまともに取り合ってくれて、相当に遠くですが来たら入院させて上げますよということになりました。
もう夜でその企業の社員がすでに全員帰宅して(定時退社曜日)しまい、足も手も出ません。社用車はあっても非常勤の私がかり出したくても貸してもらえないということになり、やっと夜遅くクライエントの親族と連絡が取れて車でそこまでつれていってくれたわけです。
そのとき非常に強く思いました。だから資格をしっかり作らないと、今のままだとどうにもならないと、それで全心協にも入会したわけです。、こんなことに対応をしなければならないことはしばしばあるわけです。
それでも他領域の国家資格化は不要ですか?

>afcpさんのほうこそ、相似形でありながら、結論が変わっています。
それについては自覚しています。もともと線が引けないところに、むりやり線を引くとすれば、医療と非医療の間、というか、傷病者と非傷病者の間に引くべきだ、と考えています。

>無資格の他領域の心理職が、相談を受けて、医療につなげ損なったら問題だ
これも対象が、傷病者であるからということにつきます。

結局は、国家資格化という強い力を動員してまで保護すべき対象は、誰なのかということが焦点であるとおもいます。より脆弱性の高いものは、より強く保護されるべきであり、傷病者と非傷病者を比べた時に、傷病者への配慮は、より優先されるべきだと述べているつもりです。

非傷病者が常に強靭であるとは言えない、ということもわかりますが、健常であるということは、リスクに対し、ある程度自立的に振る舞い、それ避ける行動をとることも期待されます。例えば心理療法を受ける時に現行の臨床心理士資格をもつセラピストを選ぶ、と言ったやり方で。

>それは、「禁止しない」というだけで十分のはずなのです。
ということであれば、仮に医療領域に国家資格ができても、非医療領域に医療領域の国家資格を持たない人が、職を持つことは禁止されません。それで十分ではないのですか。

>他領域の相談における一定の指標を確保するため、すなわち他領域のクライエントの安全のため、です。
であれば、確実に保護されるべき対象を、定義されてはいかがでしょうか。それは外延を明確にするということだと思いますが、十分に考慮に値する論であると思います。

僕は、他に線を引きうる場所をしらないので、医療と非医療の間、傷病者と非傷病者の間に、無理矢理にでも線を引くべきだ、と主張しています。もしも非医療領域の対象の中で、強い保護の必要なものと、そうでないものの間に、無理矢理に線が引けるのであれば、それは有効な論になりうると思いますし、外延の規定を求める人への一つの回答になると思うのですが。

両方の会員ですさん
すぐ上のコメントにあるように考えれば、挙げていただいた事例のようなケースは、傷病者としての対応、つまり国家資格を持つものにより、適切に対応されるべき事例であると言えると思います。

もしそこに線を引きうるならば、他領域においても傷病者に対する業務は、間違いなく保護すべき対象に含まれると思います。というかそこを中核に必要なところまで拡大するという、考え方が妥当なように思います。

ここから先はこの場に取っては、本質的な話ではないとおもいますが、挙げていただいた事例は、むしろソーシャルワーク的側面からの支援が必要とされていた事例であるようには思います。将来的にはPSWや保健師の、サービス提供範囲の拡大によってカバーされるべき事例であったかもしれません。

afcpさん
お返事ありがとうございます。
この場に取っては、本質的ではない(省略)
のところですが、逆に本質的なのかなと考えます。なぜならクライエントは手近にいるひとが保健師か精神保健福祉士か心理か選べません。
そして、多くの医療・司法以外の職場では現時点では心理が独自に判断をして全責任を負いながらコトを進めているのが現状ではないかと思います。
だからこそ、国家資格をもった心理が全責任をもって病院・司法等に連絡をしているのですからそちらも全力をあげて対応してください。
もう一度主張します。責任ある医師・病院・司法等にある縛りをかけ、連携をするためにわれわれにも相応の責任と義務を持つ資格をください。
その行使に不適切さがあれば刑事罰でも民事請求でも受けましょう。
われわれに責任ある仕事をさせてください。
そのための最低限のものでいいですから資格をを作ってください。

上記は両方の会員ですが書きました。

すいません興奮して文章がめちゃくちゃで
>だからこそ、国家資格をもった心理が全責任を
>もって病院・司法等に連絡をしているのですか
>らそちらも全力をあげて対応してください。

この部分
だからこそ、徒手空拳の心理が現時点で全責任を
もって病院・司法等に連絡をしているのですか
らそちらも全力をあげて対応してください。

と差し替えてください

つなでさんへ
また、オーエンさんへ
ご指摘ありがとうございました。オーエンさんごめんなさい。刑訴149条がありましたね。
確かに、刑法自体より、こちらが問題というのは、そうですね。

Afcpさんへ
精神科医にいう精神療法には、診断、薬物療法および服薬指導、医学的検査(身体医学領域を含む)を含む総合的なものを指していると考えますので、この医学領域までを含めた場合、心理職の行う心理療法とは、かなり異なる部分があるということです。異なる土俵で考えてしまうとずっとすれ違いになってしまいますよね。

前回、前々回の発言とも読み比べていただけると幸いですが、医療機関内にあってイメージされる相談室内の心理業務だけではなく、他領域で国家資格化が必要なのは、診断に近い見立ての部分です。これによって、次にとるべき行動が変わってくるのです。

医師の行う医行為は、はっきりと一般人とは異なる一線があり、一線を越えた専門性の部分では傷害罪との不可分な行為があり、法的な阻却が必要です。

心理職による行為も、はっきりと一線を引きたいところですが、その行為は、一般人の行為とも連続しているところがあり、一線を引くことは確かに困難な面があります。しかし、連続線といえども、事例ごとにある一線があり、そこを踏み越えると、多分に個人の権利と絡む部分が生じてくる可能性があり、そこに関わったとき、どう扱うかという難しさが生じているということでしょう。場合によっては、一定の力をもってしなければ、その人を本当に助けられない可能性があります。両方の会員さんの事例のように、精神医療につなげる作業も、心理職にとっては日常的な業務範囲であり、スクールカウンセラーが悩んでいる問題ともつながります。本人だけでなく、家族にもどのように納得していただき、どのような手順をもって精神医療と連携するかが大変大きな問題になっています。

「具体的に何をどこまで」が外延性だと思いますが、医行為のような白か黒かの刑法をベースにして考える解釈より、心理業務の場合は、民事的な要素の方が強いのかもしれません。どこまでが問題で、どこから、どのように対応するべきなのか、一定の境界線は、事例毎にあります。この見極め、見立てが、とても重要だと思います。一概に疾病性の立場から外延性を論議する医療と、事例性の立場でケースごとの異なるマネジメントが求められる心理職では、一線の引き方がことなります。

両方の会員ですさん
>なぜならクライエントは手近にいるひとが保健師か精神保健福祉士か心理か選べません。

であれば、保健所なり精神保健福祉センターなりにコンサルトすれば、そこが対応できるという態勢を作ることが非常に重要だ、ということなります。医療に対応をもとめることができて、保健所の援助を求めることはできないということは、考えにくいのですが。

現時点では、きちんと制度が整っている都道府県は少ないと思いますが、精神保健福祉法第34条に、医療保護入院の対象となる患者について、都道府県知事の移送義務が定められています。

この事例が医療保護入院なのか任意入院となったのかわかりませんし、この場でこの事例について議論すべきでもないと思いますが、移送に困難を来すようなケースについて、精神保健福祉法にも基づかず、保護者や扶養義務者も同伴せず、ないしそれらの人の了承もえず、病院へ強制的に移送することがあれば、それは重大な人権侵害であると言われる可能性があります。

仮に心理職が国家資格化されても、この種の移送を強制する権限を持つことは、考えにくいと思います。

本人の受診、入院希望がないという前提ですが、まず家族(保護者、扶養義務者)と連絡を取り来訪を求める。それが不可能であれば、保健所などに連絡を取るというのが、正しい手続きであったのではないでしょうか。警察が関与したりするのでない限り、それ以外の手順で病院に強制的に搬送することを正当化することは難しいように思います。

そもそもその後、どうやって医療保護入院の手続きを整えるのでしょうか。手をつくしても家族と連絡が取れなければ、応急入院とする手段はありますし、自傷他害の恐れが強ければ措置入院とすることはできますが。

>心理が独自に判断をして全責任を負いながらコトを進めている
仮に国家資格ができたとしても、強制を伴う受診でそのようにされては困ります。そういう規定ができれば、もちろん別ですが。

強制的な受診、入院でなく、本人の安定した確実な入院希望があるのであれば、タクシーで移動していただき、それに同伴すれば良いのではないでしょうか。その場合、救急車を利用する方法もあります。


>だからこそ、徒手空拳の心理が現時点で全責任をもって病院・司法等に連絡をしているのですからそちらも全力をあげて対応してください
これに関しては、全くおっしゃる通りであると思います。相手の職種や、資格の有無とは関係なく、行政や医療機関は全力をあげるべきであろうと思います。

ichi-ishiさん
おっしゃることは非常に良くわかります。相当乱暴な方法で、何かを犠牲にすることなしには、一般的な線は引けるものではないだろうとは思っています。
しかし「事例ごとに線を引きます。線の引き方は私たちに任せて下さい」では、他職種や政治家、一般国民の理解を得ることは難しいのではないでしょうか。少なくとも現在までに医療関係団体から表明されている疑念には答えていないと、解釈されてしまうのではないでしょうか。

ichi-ishiさん
>他領域で国家資格化が必要なのは、診断に近い見立ての部分です。

診断というか、見立て、導入というか、そのあたりが最も重要でリスクも高く、高い専門性を要求されることは、確かかと思います。そこさえ確かであれば、以後の関わりの中でのリスクはかなり低減することはできるでしょうし。

けれど…そのあたりはそれこそ医師が一番敏感になりそうな部分でもありますね。僕の側から言うのも何なのですが、そここそ深入りすると出られなくなるポイントのようにも思われるのですが。

見立てをするための国家資格というのは、新鮮なアイデアに感じられました。ただ…、この方向で議論が進んでも大丈夫なのでしょうか。

afcpさん

困りましたね。
保健所も閉まっていますよ夕方、それと精神保健センターも情報はくれますが動いてくれる場合と動けない(動いてくれない)場合があるんですよ。情報をもらってあとはこちらで動くしかないなんてことはたくさんあるんですよ。
だからね、お医者様は気楽だなってデスマさん調に書きたくなるわけですよ。(デスマさんごめんなさい)
タクシーは同乗して行くことも考えていましたが、それより前に親族にコンタクト出来た訳です。
救急車を呼べないってコトもあるわけですよ。場所によっては、本人のメンツも考えないといけないこともあるし。ちなみに本人も入院希望でしたけど。
わからないかなあー上から見ているとどうしてもわからないんだろうな、そこが医師と心理の越えられない一線、なにも医師のように振る舞いたい訳じゃないんですよ。
ただ、もっとわれわれが危険だという判断やその他情報をキャッチして欲しいし、その発信力を上げるための資格が欲しい訳で、自分の権力欲で言っている訳じゃないんですよ。
独自に判断と言うところでかなり怒っていらっしゃいますが、独自に判断を出来ない心理なんて必要があるんですか?
判断の出来ない仕事なんてドシロウトのカウンセリングゴッコとなにが違うんですかね。
われわれはいったい医師から何を期待されているんですか?医療領域以外で

地雷を踏んでいるわけですが、医師が「心理の独自の判断だと!なにもトレーニング受けていない心理が判断だと」という怒り心頭はもっともなんですけど、医療領域以外では受診すべき人という判断をして勧めたりもしくはコンサルテーションをするって医師を信頼して医師と連携しているからこそ出来る業務じゃないかと思うんですよ。

両方の会員ですさん

保健所には、夜間も当番が決まっています。というか僕の地域はそうなのですが。それが無いようなら、そうした態勢を整えることがまず必要でしょう。

>独自に判断と言うところでかなり怒っていらっしゃいますが、
独自に判断で怒っているわけではありません。独自に判断して強制力を働かせるのでは困る、と言っているだけです。その場合は精神保健福祉法に基づいて行動して下さい。「移送に困った」ということから本人の受診、入院の意志が明確でない状態を想定して書かせていただきました。

強制力が必要である、と独自に判断して必要な手続きをとっていただくのは、一向に構わないのです。

精神科医が強制力を働かせるために、どれだけの法や制度を張り巡らし、なおかつ細心の注意を払っているかを、理解していただければ幸いです。それを気楽と言っていただいても結構ですが、僕としては昔のように、精神病院からバスを出して、患者をどんどん集めていた時代の方が、よほど気楽であったと思うのですが。

今回提示していただいた事例では、本人に受診の意思をもっていただくことができ、なおかつ家族と同伴して病院に行かれたということであれば、ベストの解決にたどりつかれた、ということになるかと思います。お近くの医療機関に受診、入院できればなお良かっただろうとは思いますが。

afcpさん

お詫びと訂正
たしかに法律と似非人権屋の狭間で苦労していらしゃる方に「気楽」という表現は申し訳なく撤回いたします。本当に申し訳ない。
で、やはり、精神科医が安心して連携できるように法津も含めて再教育をするためにしっかりした資格が必要です。できれば医療・非医療を問わない一本化した資格が切望されます。

本人が受診の意思を持っており、タクシーで移動することも可能な状態で、どの部分で困られたのかが、ちょっとピンと来ないのですが。

受け入れ先の医療機関が、なかなか見つからず、遠方にしか受け入れ先がなかった、ということが一番困られた点なのでしょうか。でしたらそれは、その地域の精神科医療体制、特に精神科救急受診のシステムの問題であり、心理職の資格の議論との接点があまり無い様に思うのですが。

afcpさん

お詫びと訂正
たしかに法律と似非人権屋の狭間で苦労していらしゃる方に「気楽」という表現は申し訳なく撤回いたします。本当に申し訳ない。
で、やはり、精神科医が安心して連携できるように法津も含めて再教育をするためにしっかりした資格が必要です。できれば医療・非医療を問わない一本化した資格が切望されます。

afcpさん
理想的な精神科救急システムが動いているところはまだまだそんなに多くはありません。保健所はじめ行政機関は、平成の大合併でリストラの嵐です。必要な人員までも削減される中で、既存の仕組みが維持できなくなっています。まして、精神科救急ルートは、ようやく整備されつつあるところでした。暗礁に乗り上げている地域も少なくないのではないでしょうか?夜間休日の時間外はまだまだ大きな問題があります。さらに、救急ルートに乗り切れないケース、精神科救急対象外事例でも、家族や会社の仲間にとっては、大変な思いをすることもたくさんあります。混乱が大きくなれば、その患者さんご自身が職を失ったり、社会的権利を制約されたり、周囲のソーシャルサポートの仕組みを損ねてしまいうこともあるのです。すべてが精神医療の仕組みだけではうまくいかない現状の中で、さまざまなリソースを有効に働かせる仕組みを作っていくことが大切ではないですか?

デスマさんへ

支離滅裂なように思われるかもしれませんが、僕なりに一貫させているつもりです。箇条書きにしかできませんが、

・医療領域には一日も早く国家資格が必要です

・非医療領域、というか健常者を対象とする場合には、国家資格がある方が望ましいと思いますが、なくてはならないとは思えません

・非医療領域の国家資格化にある程度以上時間がかかり、そのことが医療領域の国家資格化の遅れにつながるならば、非医療領域の国家資格化のメリットは減殺されます

・非医療領域でもっとも重要な課題は、非医療領域にいる傷病者がいかに不利益を被らない様にするか、ということです。
(この点については可能であれば、心理職資格法ないし医師法でカバーすることが望ましいと考えていましたが、ずいぶん難しそうで、困っています。刑法に頼るしかないのかもしれません。)

・健常者を対象とした心理サービス、心理類似サービスの提供において心理職が過度のアドバンテージを得ることは、望ましくありません。

ということになるでしょうか。

つまり

>無資格の他領域の心理職が、相談を受けて、医療につなげ損なったら問題だ、というのもafcpさんですよね。

>でもここでは、「他領域の職業選択の自由」ですか?

これは前者が傷病者を対象とした議論であること、後者は健常者を対象とした議論であることからくる相違点です。この両者を容易に区別できるとは思いませんが、保護すべき領域と、そうでない領域を区別する努力をすべきでないか、と述べているつもりです。

afcpさん

>受け入れ先の医療機関が、なかなか見つからず、
>(中略)心理職の資格の議論との接点があまり
>無い様に思うのですが。

どうなんでしょう。受付や医師が心理の何某の言うことを例えば資格化されてそれなりにきちんと言い分を聞いてくれて対処してくれたら、3時間近くクライエントの前であちこちに電話してクライエントに不安を与えずに済んだので資格がなぜ必要かという一つの推進力になるためにあえて事例呈示を行った訳なんですが…

ichi-ishiさん
>さまざまなリソースを有効に働かせる仕組みを作っていくことが大切ではないですか?

これはその通りである、とは思うのですが、大きな強制力、暴力を伴わない限り、ということになると思います。情報の提供やソーシャルワーク、本人やご家族の相談にのる、と言ったことであれば、どんどんやっていただきたい、ということになるのですが。

いやがる本人を無理矢理車に乗せて受診させる、ということであれば、家族が行う場合、それに協力する場合以外には、よほど慎重になるべきである、と思います。

こうした領域での僕の感覚は、両方の会員ですさんの言われる、似非人権屋のそれに近いのかもしれませんが、ここは現実が法を超えて進むことを、絶対に許してはならない領域である様に思います。

両方の会員ですさんへ

>資格化されてそれなりにきちんと言い分を聞いてくれて対処してくれたら、
そういう解決法もあるのかもしれませんが、しかしそのままでは、資格を持たない人からの連絡には、医療機関がまともに対応しないという状態を放置することになります。

そこは連絡する側の資格の有無などに関わりなく、受け取る側の医療機関が適切に対応することで、解決すべき問題である様に思います。そのために応召義務が規定されているのですけどねえ。あまりひどい対応が続く医療機関があるようでしたら、管轄の保健所に相談されてみてはいかがでしょうか。

afcpさんへ

保健所への相談はいい方法なので参考にさせていただきます。

仰ることはそうなんですが、われわれ心理は職域によって違いますが、市井の人より数倍?いや数十倍このようなケースに遭遇するわけです。
故に、資格化が必要かと考えています。
また、スクールカウンセラーの場合、虐待のこともあります。その点もご考慮くだされば幸いです。


ちょっと脱線をおゆるしください。ichi-ishiさんはご存知かもしれませんが、この移送に関わる領域にはトキワ精神保険事務所(旧トキワ警備)という会社があります。
http://www.tokiwahoken.com/

この会社の移送業務の是非について、一時かなり議論になっていました。ここでされている議論とも通じるところがあるのかもしれません。

誤 トキワ精神保険事務所
正 トキワ精神保健事務所

afcpさん

トキワ精神保健事務所のことですがちょっと微妙に違う気がするんです。

私の場合、ちゃんとまあ立って歩いて面接に来た人に最初の面接でかなり構造化された面接を自分なりにDSMその他で作ったものをさりげなく差し込んで行って、受診が必要な場合、勧告、説得、懇願をして、そこから先でスムーズに受け入れが進んで欲しいがゆえの資格化の提議をしているんです。

多くの心理の方もGAFで31-以上の青年期以降の方が中心で、統合失調症でも初発か軽度、うつ、人格障害、不安障害等々が対象だと思います。
子どもの場合はちょっと省略します。


それでも時宜を逸すれば重篤化してしまいますので受け入れがスムーズにいって欲しいし、そのための資格化(なんだか壊れたレコードのように同じ事ばかり書いて恐縮です)が医療領域以外でも必要ではないかと言うことなんです。

afcpさんの
<・健常者を対象とした心理サービス、心理類似サービスの提供において心理職が過度のアドバンテージを得ることは、望ましくありません。>
について、「過度」も含めて、どういうことなのか説明していただけれるとうれしいのですが・・

心理職だからこそ、倫理規定および法的に裏打ちされたちゃんとした心理サービスを行う地位を得て当然だと私は思っていますし、先に述べた刑訴法の改正を将来的に視野を入れてということも考える必要もあると思います。

また、医師は傷病者と健常者の区別を厳密につけていますが、おそらく心理はパラメーターとしてその区別をつけ、それに応じた対応を変えながらも、根本的なところの来談者へのかかわりの姿勢(ちょっと説明は省きます)が、心理職の真骨頂の部分だと、医師とは違う心理職のアイデンティティだと私は思っています。

(最近、地雷踏み続きの発言があるようなので、私もついでに・・日本の精神科医がおこなっている日本で言われる「小精神療法」は、「カウンセリングや心理療法」とは言えないと、アメリカの基準や心理の私の視点からは思います。それらは、心理療法の応用を踏まえてはいますが、精神科における Medical Interview の範疇をでないものだと私には思えます。)

何だかすごいことになってきましたね。ここのコメント欄。
結局、afcpさんの議論が同じところをぐるぐると回ってしまうのは、名称独占資格の価値を認めていないというところに起因しているのだと思うのですよ。そのことは、なるべく時間をかけずに資格を作るべきだというafcpさんの主張と反する方向に議論を向けてしまうという皮肉な結果を招いているように思います。
調べた訳ではありませんが、法律に規定された資格や免許で、名称独占というのはとても多いのではないでしょうか。それは、業務独占資格のほうが、それを国家資格にしなければならない必要性が高いと強く主張できますよ。でも、長年国家資格なしで済ませてきた領域で、業務独占を主張するなんて、現状との整合性をどうやったって説明できませんよ。
確かに、この規制緩和が主張される時代に、名称独占の資格を、政府提案として法案を提出するのはやりにくいというのはわかります。できれば業務独占の法案として提出したかったでしょう。政府提案で出すなら。
でもね、結局精神保健課は、十数年間それで粘って何もできなかったわけですよ。その間に、医事課が言語聴覚士を作って、「診療補助職で作るならこうやって作るんだよ」という見本まで見せてくれたにもかかわらずですよ。業務独占で作るとしても、本格的な業務独占の資格を作るのはとうてい無理なので、名称独占の資格の一部に、すでに独占業務として成立している看護師の業務の一部を独占解除して付け足すのが一番簡単な方法だというのは、技術論としてはそうだと思うのですが、それすらできなかった訳ですよ、結局は。
ましてや、それ自身で独自に成立する本格的な業務独占資格なんて、最初から検討する気さえありませんでした。それは仕方ないことでしょう、それくらい可能性の低いことなんですから。
国民に利益とリスクを与え得る行為で、一定の資質を持った者が行うことでそのリスクを減じることができるのであれば、その時得られる国民の利益が職業選択の権利を制限する損失を上回ると判断できるなら、その資質に対して(業務独占の)資格制度を設けるのは政府の国民に対する責務と言えるでしょう。
一方、専門的な職業に従事している当事者が、その専門性に関して、一定の基準に達していることを明らかにするために資格制度を要求するという場合には、名称独占の資格が相応しいでしょう。つまり、心理職の資格について、心理職の団体が国家資格化を求めるときに、名称独占の資格を求めることは、何ら不思議がないどころか、むしろ自然な話だと思います。
それで、政府としては、一応業務独占の資格とする可能性も視野に入れながら、十数年に渡って、検討を続けてきた訳です。ところが、政府提案の法案を作ることをやめてしまい、議員のほうに投げたのです。もし、この資格が業務独占の資格として作られるべき、国民にとってリスクの大きい業務であるならば、政府(精神保健福祉課)のこの行動は、国民に対する甚だしい責任放棄ということになってしまいます。
しかし、議員に任せたということは、業務独占資格とするほどの明白なリスクはないと判断したということでしょう。
私はこの判断については、法律論としては妥当な判断であろうと思います。
その結果として、あと一歩で法案が提出されるところまで行った訳です。この経緯を無視して、もう一度業務独占資格(を目指す方向)に戻せと主張する意見は、資格の成立を50年先、100年先に遅らせようとする政治的意図を含んでいるのではないかと思います。

bxq2uwさん
きれいにまとめていただいて、ありがとうございます。
現状の認識や、僕がそれについてどう考えているか、という点については、まさにbxq2uwさんにまとめていただいた通りだと思います。それはオーエンさんへの回答にもなっているかもしれません。

ただ同じ材料を使いながら、結論は違うようです。

結局は
>確かに、この規制緩和が主張される時代に、名称独占の資格を、政府提案として法案を提出するのはやりにくいというのはわかります。

>国民に利益とリスクを与え得る行為で、一定の資質を持った者が行うことでそのリスクを減じることができるのであれば、その時得られる国民の利益が職業選択の権利を制限する損失を上回ると判断できるなら、その資質に対して(業務独占の)資格制度を設けるのは政府の国民に対する責務と言えるでしょう。

この2つの材料から、僕が引き出してくる結論が、

最もリスクの低減を必要とする領域(≒傷病者に対するサービス)に限った、業務独占ないしそれに近い強さをもった資格を作るのが良いのではないでしょうか

ということになります。

>なるべく時間をかけずに資格を作るべきだというafcpさんの主張と反する方向に議論を向けてしまうという皮肉な結果を招いているように思います。

ここは情勢をどう判断するか、難しいと思うのですが、現在の最大の抵抗勢力が医療関係団体であることから、横断的資格を作るよりも、医療限定資格を作る方が、時間がかからない可能性はあると思います。

僕が相当頑固なのは認めますが、全く聞く耳をもっていないわけではない…と思います。医療関係団体を説得して、速やかに横断的資格を作る自信をお持ちなのであれば、僕一人くらい、速やかに論破していただきたい、とも思います。

名称独占ということに関してもう少し言えば、医療領域というのは、内部的な均質性が高く、また保険診療の範囲内でいえば、診療報酬による誘導も可能なため、名称独占資格であっても、業務独占に近づいた形での運用が、比較的容易に可能となるのかな、と考えています。

終わりかけた(終わった?)スレに燃料投下するのも気が引けるのですが、図々しさついでにもう一言書かせていただきます。

非医療領域の心理行為、心理関連行為を以下のように分類することは、できないでしょうか。

1. 専門的知識を必須とし、リスクも高い業務

2. 専門的知識が有用ではあるが、必須ではない業務

3. 専門的知識の有用性に疑問がもたれる業務

1. はここで議論されている方々がおおむね念頭に置かれているような業務、スクールカウンセラー、産業領域のメンタルヘルス業務、児童相談所でのカウンセリングや心理療法…などなどが含まれると思います。

2. にあたるのは人生相談、リラクゼーション産業、発達障害児へ個別指導学習塾、心理学的知識を用いた探偵業、などなどでしょうか。

3. は心理学占い(あるんですね、こんなの…ttp://www.kokoro.to/)とか、超心理学研究所、みたいなのとか。

あとは、この中のどこに位置づけていいのか僕にはわからないものがたくさんあります。催眠治療や、長田百合子氏などの実践、自己啓発セミナーなどなど。

これらの営利的、非営利的活動はどれも「心理」の名の下に、あるいは「心理」を宣伝文句として行われています。本当にどこにも線を引かずに、これらをすべて心理の業務として、国家資格でカバーしてよいものなのでしょうか。線を引きにくいのはわかりますし、現に僕もどこに入れれば良いのか、途方に暮れてしまうようなものもあるのは確かなのですが。

afcpさん

>1. 専門的知識を必須とし、リスクも高い業務
>1. はここで議論されている方々がおおむね念
>頭に置かれているような業務、スクールカウン
>セラー、産業領域のメンタルヘルス業務、児童
>相談所でのカウンセリングや心理療法…などな
>どが含まれると思います。

上記1のみ資格化で十分です。それでいいと思います。
現に1. 以外に従事している人(ただし発達障害児へ個別指導学習塾を除く)に対しては概ねの心理職がいかがわしいなと感じていると思います。
ただ、発達障害児へ個別指導学習塾は法人形態に関わらず、本人の利益、親の利益のために1. に入れ方がよいかもしれません。


両方の会員ですさん
僕もそう思うのです。それが外延の規定になるのではないか、と思うのですが。

ただ発達障害児へ個別指導学習塾に関しては、養護学校のベテラン教師や、定年退職後の教師が開いていることも多いことから、必ずしも心理の専門家でなくてもよい、という意味で2.に分類しました。

afcpさん
お返事とコメントありがとうございます。
やっと「外延の規定」の礎石がおかれましたね。
この礎石がおかれたことでより実りのある議論
と成果が生まれることを切望します。

みなさま

熱心な議論をありがとうございます。afcpさんの燃料投下に触発されて、新しいエントリーも挙げました。

afcpさんも今回使った「リスク」という表現を用いて、医行為を社会的に取り決めようという試みです。医行為を決めるのは、医師ではなく社会だという前提に基づいているので、その入り口で受け入れられない医師も多いかもしれませんが・・・。

afcpさん>1. 専門的知識を必須とし、リスクも高い業務

わたしも、もちろんこの1での国家資格化の必要性を主張します。この1に追加するならば、「専門的スキルには、リスクに適切に対応する技術も含む」としたいところです。

afcpさん>医療関係団体を説得して、速やかに横断的資格を作る自信をお持ちなのであれば、僕一人くらい、速やかに論破していただきたい、とも思います。

いえいえ、「寝技も立ち技も」こなすafcpさんを論破するのは、相当大変だと思いますよ。医師の立場と社会の通念とを自在に行き来するafcpさんの論の進め方には、感心しています。

>医師の立場と社会の通念とを自在に行き来するafcpさんの論の進め方には、感心しています。

えー、褒められたと思って喜んでおきます。

ただ最近はこの周辺で活発に議論に参加している非心理職は僕だけのようなので、ついつい医師であり、納税者であり、一般市民でありという部分を全部引き受けないといけないような気になってしまうんですよね。だれもそんなことは頼んでいないよ、というところでしょうし、それが議論をややこしくしているような気もするのですが。

afcpさん
ここのところ、仕事のほうでへとへとで、お返事が遅くなってすみません。

> 現状の認識や、僕がそれについてどう考えているか、という点については、まさにbxq2uwさんにまとめていただいた通りだと思います。

現状認識では、かなり一致してきているということですね。

> ただ同じ材料を使いながら、結論は違うようです。

認識した事実の解釈が異なるということになるでしょうか。
私の印象では、afcpさんは7月以降の状況のみを問題にして、医療関係団体の反対が、資格法制化の最大の障壁と捉えていらっしゃるように思います。
それに対して、私は、十数年の経過を見て、今年が最も法制化に近づいたと捉えています。
とは言っても、医療団体の反対を過小評価している訳ではありません。医療団体を説得して横断資格を作る自信など全くありません。
この十数年間、国家資格ができなかったのは、医療関係団体が反対していたからではないと思います。また、臨床心理士会が反対していたからでもないと思います。臨床心理士会の反対で資格ができないというのは一種の「演出」だったと私は捉えています。
今回、精神科病院協会に診療所協会、精神神経学会に医師会まで、束になって法案を止めた訳ですが、臨床心理士会にそれと同じような力があったはずがありません。
精神保健課による心理職の資格化への取り組みは、乱暴な言い方をすれば「不可能への挑戦」をしていたのだと思います。精神保健課自身、そのことは承知していたと思います。なんだかんだ言っても優秀な中央官庁の方々ですから、そのくらいの見通しを持てないはずはありません。だからこそ、臨床心理士会に対抗する反対勢力を作って、「当事者団体が割れている」という状況を作り出し、資格化できない理由をそのせいにするという演出をしたのだと思います。
私の状況判断は「業務独占資格は絶望的に困難」というところに行き着きます。
精神保健課の作戦は、「病院の中で心理職が医行為を行っているから、この違法状態を解消するために診療補助職としての資格化が必要」という認識を広めることによって、多くの関係者の合意を形成し、法制化に持っていこうというものであったろうと思います。しかし、この論法は相当に危ういものでした。まず、自分自身、それに医事課の行政の怠慢を自ら主張するような、おかしな論法です。だからこそ、自らの口からは言わず、現場の人間を委員等にして、その口から言わせたのでしょうし、医事課を同じテーブルに呼ぶことをしなかったのでしょう。
更に、心理職を雇っている医療機関や、心理職に仕事を依頼している多くの医師について、犯罪のほう助あるいは違法行為(本来指示すべき看護師でないものに対し、それと知りながら指示を出す)をしていると言っているのも同然の論法です。国家資格を作れば、それらの医療機関は利益を得る話なので、それくらいの汚名は許してくれると思ったのでしょうか。
今回の医療心理師法案の作成作業の際に、医事課と同じテーブルに着いたことで、この危うい論法については、医事課から釘を刺されたのではないかと思います。

afcpさんとbxq2uwさんのコメントをみての私なりの整理です。

bxq2uwさん>今回の医療心理師法案の作成作業の際に、医事課と同じテーブルに着いたことで、この危うい論法については、医事課から釘を刺されたのではないかと思います。

そこで精神保健福祉課は、明確な業務独占資格は難しいということなので、名称独占だが医師の指示下におくことで業務独占的性格の医療心理師資格を考えた(さすが官僚、これならかなりの課題がクリアーされます)。

このような性格の資格は以下のafcpさんの考えとも一致しますね。

afcpさん>名称独占ということに関してもう少し言えば、医療領域というのは、内部的な均質性が高く、また保険診療の範囲内でいえば、診療報酬による誘導も可能なため、名称独占資格であっても、業務独占に近づいた形での運用が、比較的容易に可能となるのかな、と考えています。

しかし、臨床心理士法案が出てきて、医師の指示を受け入れたことで、医療心理師が持っていた業務独占的性格がくずれた。そこで、医療関係団体は「業務独占」という論法で反論せざるを得なくなった。

ところで、医療心理師法案では、業務独占的性格があると考える一方で、保健、福祉分野への「進出」も目指しているようです(一部幹部ははっきりと勤務場所を保健、福祉分野にも広げたい、といっています)。そうなると、横断的となり名称独占的性格が高まりますね。まさか横断的でありながら業務独占的性格をめざしている訳ではないですよね。

結局のところ、医療関係団体が横断資格に反対するのは、他の領域でもつぶしがきくようになると、人件費が高騰するのではないかというあたりを心配しているのでしょうか。
供給が過剰であり続ける限りは、人件費が高騰することはないように思いますが。そもそも生産性の高い仕事ではないので、他の領域に職域が広がったとしても、人並み以上に高くなることはないと思いますよ。
ユーザーのことを考えれば、マクロな観点では、ある程度収入が高くなって、優秀な人材が集まるほうがいいと思いますけどね。
医療心理師というのは、医療機関の側から見れば、人件費抑制のための資格化だったということでしょうか。全心協が医療機関の心理職の待遇を改善するために資格化が必要だみたいなことを言っていたときには、どうやってそんなことを実現するのだろうとは思ったのですが。
それに比べれば、勤務場所を保健福祉分野にも広げたいというのは、よほど真っ当な意見だと思います。

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