2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 全心協総会の開催 | トップページ | 霞ヶ関でおきていること・・・「緊ブロ」的検討 »

2005年9月 1日 (木)

こころへの侵襲性をめぐって

医行為をめぐるキーワード「侵襲性」についてafcpさんからこんなご意見をいただきました。

afcpさん
> 「侵襲性があるとすれば医行為である」ということではないでしょうか。この2つは似ているようでかなり違います。
心理行為に限らず人がする事が無侵襲であるということは、ほとんどあり得ないと思うので、無視できない程度の侵襲性があるかないか、というところがポイントだと思います。故に医行為でないとして心理行為を行うならば、その低侵襲性をある程度証明する必要があると思います。

こころの分野に関しては、「侵襲」という言葉の広さ(広義性)が議論の混乱を招いているという気がしてきました。

「こころへの侵襲性」に関していうならば、親の子供に対しての方がより侵襲的な時もある。夫から妻が、妻から夫が強く侵襲されている、恋人からの侵襲、親友からの侵襲・・・。世の中は、こころの侵襲にあふれていて、その侵襲に傷つき疲弊した人々が、心のケアを求める。(「価値観」「社会的役割」に侵襲されている場合もある)

「侵襲」され傷ついた人々が助けを求めにくるので、彼らは敏感であり傷つきやすく依存的にもなる。ですから彼らへのかかわり自体が、「侵襲性」を帯びるリスクがある。傷ついた人に「がんばれ」と励まし、自殺に追い込むほど侵襲してしまうといったことが、日常の会話においておき得る訳ですね。

とすると、「こころにかかわる専門家」は、医師であっても心理療法家であっても、傷ついた彼らへの「侵襲性」をいかに減ずるかへの技術を持ち、「侵襲」されている自分に気づき「侵襲」を観察する力をサポートし、「侵襲」に立ち向かっていける「自分」を回復する援助を行っているということもできるでしょう。日常に発生した「侵襲」から自分を取り戻すプロセスが心の支援の本質のひとつということもできるかもしれません。

このような「侵襲からの自己回復」において、医師は「医」の文脈の基に介入を行い、それを「医行為」というのですね。入院治療や薬物治療は、「医行為」の典型ですね。これらは非常に侵襲的であるけれども、一方で「自己回復」を促すためのプロセスでもある。いや、「自己回復」プロセスにするために、サイコセラピー的関与が重要となるといってよいのかもしれません。

ですから、サイコセラピー自体は、「侵襲からの自己回復」を促進する(目的とする)ものとして定義することが、本質に最も忠実な考え方と思うのです。つまり、サイコセラピーは「侵襲されている人々」にかかわるという意味で、「侵襲的」となる宿命を持つが、「侵襲的であるところに本質があるのではない」ということです。本質は、「侵襲」からその人の自分らしい感覚と判断を回復するためのプロセスの支援にある。そして、そのための知識や技術の体系が臨床心理学の本質といってもよい。

ですから、サイコセラピーが「侵襲性」を理由に、医行為にされてしまうことは、サイコセラピーの本質とは異なる点が強調されているな、本質をわかってもらえていないな、という感覚をもってしまうのです。むしろ、人とのかかわりにおける「侵襲」を減ずる知識とスキルの体系が、サイコセラピーの本質であるからです。

「医の名のもとのサイコセラピー」は、医という文脈で侵襲性を持つことはわかります。医師の言葉は、特別な重みを持って患者さんに受け取られますから。その重みによって多くの必要な介入が行われている。その意味で医行為と言えるのだと思います。しかし、サイコセラピーの本質である「侵襲からの回復」的な性質を、医行為の文脈で上手に利用しているのではないでしょうか。

「心理の名のもとのサイコセラピー」は、医療機関で行われる場合でも、この「侵襲からの回復」という本質的機能が大切なのだと思います。医の世界にありながら、医の持つ侵襲性を減じ自己回復を促す役割が、心理によるサイコセラピーには最も求められているのだと思うのです。そうすることで、医療の質を上げ国民の生活に寄与するということでしょう。

心理士の中には、医師の名(権威)をかりて、忙しい医師のかわりに「医行為的サイコセラピー」を行うことが求められている人もいます。医師は薬物療法、話は心理士、という役割分担において典型的にあらわれやすい。このような発想を自然と考える医師(心理士)は、「サイコセラピー=医行為」も自然なこととして受け入れるのかもしれません。しかし、繰り返しになりますが、このような役割分担は、私はサイコセラピーの本質とは異なる「やむおえないやり方(できれば変えていきたいやり方)」であると考えます。

医師には「医としての侵襲性(影響力)」に気をつけながら(時には利用しながら)、そして「医としての侵襲性」をコントロールするために「医の名のもとのサイコセラピー」を行うことが求められる。一方、心理士は、「医としての侵襲性」とは異なる、侵襲され傷ついた人が持つ「侵襲されやすさ」に充分配慮しながら、「侵襲からの自己回復」を支援する「心理の名のもとのサイコセラピー」が求められていると思います。

そして、国家資格は、上記に述べた ”「医としての侵襲性」とは異なる、侵襲され傷ついた人が持つ「侵襲されやすさ」に充分配慮しながら、「侵襲からの自己回復」を支援する「心理の名のもとのサイコセラピー」” を行う人を国が保障することであると思うし、国民にその名を広く伝え、国民が安心してその名を名乗る専門家を利用できる制度や社会を作ることと考えるのです。

もちろん、「侵襲されやすさ」への充分な配慮には、「限界」「リスク」「依存性」などがキーワードになるでしょうし、心理士にはそれに関する厳しいトレーニングが求められていると思います。

« 全心協総会の開催 | トップページ | 霞ヶ関でおきていること・・・「緊ブロ」的検討 »

あるべき心理職国家資格の姿」カテゴリの記事

コメント

こころしかくさん

エントリで発言を取り上げて頂き、ありがとうございます。
臨床心理学、精神医学における侵襲性ということに関して、もう少し考察を進めてみたいと思います。ここでは極力、僕の考えるところの医療の論理に基づいた論にしてみます。

まずその侵襲が医学的であるのかどうかの判断は、ほとんど無意味であると考えます。なぜならば、医学的行為によって起こりうる侵襲には、医学的なもの、心理学的なもの、経済的なもの、社会的なものほか、あらゆるものがあり得ます。最近言われたのは「精神分裂病」という病名自体が侵襲性を持つのではないかということで、この侵襲は医学的なものというよりむしろ心理学的、経済的、社会的側面が強いものでしょう。これは統合失調症への呼称変更につながった議論です。

これは心理学的行為による侵襲でもおなじことです。心理学的行為の結果、たとえば市販薬の過量服用を生じれば問題は医学的侵襲となりますし、カウンセラーの言葉を不快に感じることもあるでしょう。また不適切なキャリアカウンセリングによって失業などの事態を招いた際には、経済的な侵襲があったということになります。そうした際に「自己決定を援助しただけだ」などというのは、責任の回避に過ぎないように思います。

僕の専門に近い領域で言えば、自閉症児に対する過度の構造化による侵襲の問題が、少し言われるようになってきています。あるいは「あいつスクールカウンセラーのところに通ってるんだって」と噂されることによって子どもが被る被害すら、心理学的行為による有害事象と言えるでしょう。

侵襲からの自己回復を助ける手段であるから低侵襲だ、というのは論理的ではありません。病原性細菌による侵襲からの自己回復を助ける点滴による栄養剤の投与は、やはり侵襲を伴います。

侵襲を狭く定義することによって患者やクライアントが利益を得ることはありません。ある行為に関連して生じる有害事象をできる限り広く捕捉したうえで、その大きさがいかほどか、ということが問題になるのではないでしょうか。

そこで考慮すべきなのは、どの程度の侵襲であれば問題とされるかという点です。これはそもそも介入の対象となった問題の大きさによると言えるでしょう。健常者を対象とした医学研究では、ほんのわずかな侵襲も大きな問題となりますが、肺炎であれば抗生剤で下痢が生じることくらいは、あまり問題とされません。そして急性心筋梗塞患者への冠動脈バイパス手術では合併症による死亡の確率がある程度高くても、手術は行われます。

では、健常者ないし軽度の疾病性しか持たないものを対象とした心理学的介入の場合には、どの程度の侵襲までが許容されるのか、ということを考えることが必要なのではないでしょうか。そうなると当然侵襲性の大きな介入は許容されない、という結論になります。長々と書いてきましたが、ここがポイントだと思うのですよ。つまり

健常者に対する心理学的介入は、低侵襲でなくてはならない。
しかし(不適切な)心理学的介入は大きな侵襲性を持ちうる。
よって国家資格化による質の保証を行い、適切な心理学的介入が行われるようにせねばならない。

ということにはならないでしょうか。

むー、そうかー、なるほどー。

あと、私が、「医学的な侵襲」と「それ以外の侵襲」の別にこだわるのは、
「医師の指示」問題があるからです。
経済的な侵襲を避けるために、「医師の指示」は要らないですよね。
(たぶん、こころしかくさんも、同じような危惧をもっているのではないかと・・・。)

デスマさんへ
その危惧はわかるのですが、いくら何でも非医療領域の健常者に対する心理的介入にまで、医師の指示をかけようと考える人は多くないと思いますし、そうした意見が力を持つことはないと思いますよ…というか思いたいですね。

afcpさん、デスマさん
コメントありがとうございます。

afcpさん>健常者に対する心理学的介入は、低侵襲でなくてはならない。しかし(不適切な)心理学的介入は大きな侵襲性を持ちうる。よって国家資格化による質の保証を行い、適切な心理学的介入が行われるようにせねばならない。
ということにはならないでしょうか

このように整理してくださってありがとうございます。直感的にはかなりすっきりします。

しかし、心理学的侵襲について、このように考えることはできないでしょうか。
「(臨床)心理学的介入は、直接的には心理学的侵襲をもたらす可能性があり、そこから医学的、社会的侵襲を及ぼす危険性もある」という感じです。

afcpさん>侵襲を狭く定義することによって患者やクライアントが利益を得ることはありません

この考えには強く同意します。だからこそ、侵襲の内容について分類し分析することの必要性があると考える訳です。(この点、afcpさんは侵襲の分類には否定的と存じます)

しかし、このように侵襲を分類しなければ、「侵襲ある=医行為」という考えに陥ってしまう訳です。「医学的侵襲ある=医行為」と整理できませんか。「医学的侵襲」の定義が問題とは思いますが、臨床感覚からすればイメージしやすいと思います。「医学的侵襲」が波及して、心理学的侵襲や社会的侵襲を及ぼすということです。

これに対し、(臨床)心理学的行為は、(不適切であれば)侵襲的ではあるが、心理学的侵襲が直接的なものである。そして、間接的に医学的、社会的侵襲を及ぼすので、それらに対する配慮も重要となるし、それらの侵襲を防ぐためにも、国家資格による質の保証が必要であるという考え方です。

こころしかくさんへ
>この点、afcpさんは侵襲の分類には否定的と存じます
侵襲の原因の分類には否定的です。しかし侵襲の内容については自分のコメントの中でも分類して、論じてみたつもりです。

>「医学的侵襲」が波及して、心理学的侵襲や社会的侵襲を及ぼすということです。
医学的侵襲の定義によるということにもなるのでしょうし、僕自身は医学的侵襲を定義するメリットはないという考えなので、以下はそもそもあまり意味のない議論のようにも思うのですが、一応書いてみます。
医学的行為が医学的侵襲を経ずに、他の侵襲を引き起こす事はごく普通に起こりうる事ではないでしょうか。医師によってもたらされた侵襲が心理学的有害事象を引き起こす事は、心理職の皆さんが常々懸念しておられる事ではないのでしょうか。

それは心理学的行為にしても同じ事が言えると思います。心理学的行為が必ず心理学的侵襲を経て、他の領域の侵襲に繋がると考えるのは、すこし想像力が不足していると言わざるを得ないと考えます。

afcpさん

さっそくのコメントありがとうございます。

afcpさん>僕自身は医学的侵襲を定義するメリットはないという考えなので、

ここが大きな意見の相違と思います。侵襲という言葉の「外延」が不明確であることで、「侵襲がある=医行為」という法律上の理屈が成立し、(臨床)心理学的行為が「医行為」となってしまうわけです。

そこで、医行為とは異なるという意味で「侵襲性がない」ことを強調すると、それなら誰にでもできるのでは、とか、国家資格にする必要はないのでは、という話が出てくる。

もちろん、afcpさんが整理してくれた、「低侵襲だが、不適切なら侵襲が高い」という考え方は、かなりの前進なのです。しかし、それでもやはり侵襲性が高い場合があるなら、サイコセラピーは「医行為」だという主張もありえませんか。このような考え方は、侵襲という言葉を広く使いながら、事実上「医学の文脈の中の侵襲性」を想定しているダブルスタンダードの発想と思います。(afcpさんは違うと思いますが)

私は、この歴史的な「侵襲=医行為」論議を整理するためには、「医学的侵襲性」「心理学的侵襲性」「社会的侵襲性」などを定義することが避けて通れないと考えます。もちろん、これらは重なり合う概念であるし、瞬時に連続的に起きる性質のものであるのもわかりますよ。

afcpさん>心理学的行為が必ず心理学的侵襲を経て、他の領域の侵襲に繋がると考えるのは、すこし想像力が不足していると言わざるを得ないと考えます。

afcpさんは頭の回転が速すぎるのです。法律の議論としては、少しものわかりを悪くして(想像しすぎないようにして)、愚直に概念を積み上げた方が、複雑な実践現場をわかりやすくする場合もあると思います。

繰り返して言うならば、医行為(医師による治療)を語って行われる侵襲は、たとえそれがこころの分野に対してであっても、経済的問題であっても、第一義的には「医学的侵襲」と言えないでしょうか。

医の権威とはそれほど強力なものであると思います。その権威自体が及ぼす侵襲性に敏感でなければ、逆にまずいのではないかと思うのですが・・・。それとも、医の中にいるためにその特異的な侵襲性がみえなくなっているのでしょうか。

同じ考え方で、心理学的援助を語って行われる行為の侵襲は、こころ、経済、社会を問わず、心理学的侵襲と第一義的には考える。そして、心理学的援助は「心理学的侵襲性」を充分考える必要があるし、二次的には「医学的侵襲性」と重なるものがあることを考慮し、必要に応じて医学の管理下に行われるという考え方です。

ちょっと理屈っぽくて恐縮です。

こころしかくさんへ
>法律の議論としては、少しものわかりを悪くして(想像しすぎないようにして)、愚直に概念を積み上げた方が、複雑な実践現場をわかりやすくする場合もあると思います。

これは一つありかもしれないと思っています。

ただこのポイントに関してそれを突き詰めると…ってここを突き詰めるからいけないのかもしれませんが、

医師が認知行動療法を行った場合の侵襲は医学的侵襲
心理職が認知行動療法を行った場合の侵襲は心理学的侵襲

というわけのわからないことになってしまうような気がします。

あえて物わかりを悪くして、法律の議論に歩み寄るとすれば、もう少し他のポイントが良いのではないか、たとえば提供場所の議論であったり、侵襲性の程度に関する議論であったり、というところでボケてみるのがよいのではないか、と思っています。

法律論っぽい話をすれば、
そもそも、「精神療法」が「医行為」になっていること自体が、
おかしいのであって、
だから整合性がなくなってしまうのです。

でも、もうなっちゃってるのは仕方がないので、
医師が行うと医行為、心理職が行うと心理学的行為、
外観からの区別は不可能ってことにするしかないと思います。
病院で医師の指示のもとでやっているときだけは医行為として、
健康保険適用ということで。

ただ、医師でも、開業のカウンセリングルームなどで、
精神分析とかやってますよね。
医師であっても、医療機関以外で、
恒常的に業として医行為を行うことはできないはずなので、
だとすれば、これは「医行為」ではないはずなのです。
医師であっても、医療機関外で行っていれば、
これは「心理学的行為」となるのではないかと。

ところで、私が、大学の相談室で行っている認知行動療法は、
「医行為」として、違法なのでしょうか。
あるいは、「医療心理師」が国家資格化されるにあたって、
違法性をおびてしまうのでしょうかね。

現在、適切に認知行動療法を行ってくれる医療機関が、近辺に見当たりません。
また、もしあったとしても、有料で保険外であれば、経済的にも勧められません。
もちろん、「医療心理師」国家資格化によって、
医療機関での心理職の採用が進めば、このテのねじれは、
かなり解消されるでしょう。
責任をもって安価かつ適正に、「治療」を行ってくれるのであれば、
(必ずしも)私が行う必要は、あまりなくなります。

それでも、すべて医療機関におまかせできるかというと、
そうでもなくて、
学生本人をとりまく環境の調整、履修などの現実的対応、
すなわち、うつ病を抱えつつ、当面大学に適応していくための援助は、
たぶん、私の仕事になります。
ただその、相談内容として「履修のこと」であっても、
そこに認知の歪みや完ぺき主義が影響を与えているとしたら、
そこではやはり、認知行動療法的なアプローチは必要になるでしょう。

法律的にクリアできるとしたら、あえて違う名前をつけることですかね。
本質的には同じであっても、
医療機関で行っている場合には「認知行動療法」、
他領域では「認知行動カウンセリング」とかいうように。

ちょっと意地悪な設定。

もし、学生に病院を紹介したとして、
「病院のカウンセラーではなく、
 今後もデスマさんに話を聞いて欲しい」
と言われた場合の取り扱いって、どうなるんだろう。

1つの資格なら、最初からこういう問題は、起きないんですが。
こころしかくさんが、前にも述べてらしたけど。

そして、「病院のカウンセラー」より、
私のほうが、認知行動療法が、うまいかもしれない。
(これはけっこうあり得ると思ってます。) 

ところで、当初の「医療心理師」法案は、
「疾病者」である場合に「指示」がかかるという文言であるにもかかわらず、
医療のほか、保健・福祉といった、
その場に医師がいない場所でも、働く資格になってましたよね。

それって、いったい、どういう仕組みにする予定だったのでしょう?

疾病者と福祉領域で会っている場合にも、
逐一、電話か何かで「指示」を受けるような資格を想定していたんでしょうか。
これ、ホントに知りたいです。

そうではなくて、保健・福祉領域で、
ある程度自律的に動ける制度を考えていたのだとしたら、
他領域の資格制度を考えるときに、
大きなヒントになるはずです。

それが保健と福祉だったらよくて、
教育や産業だと、どうしてダメなのか、というところが、
また不可思議なのであって、
団体間や省庁間の軋轢が、そこには見えてしまうわけです。

医療限定の資格を作る、のではなくて、
「心理系唯一の国家資格」を作るのであれば、
もっと話は分かるんですが・・・。

保健機関では医師が居て診療報酬請求も行います。また保健・福祉領域の公務員は医療機関への異動がありえます。
そうした人には受験資格が必要になるので、その領域を当初より保健・医療・福祉と考えていました。

デスマさん
>法律論っぽい話をすれば、そもそも、「精神療法」が「医行為」になっていること自体が、おかしいのであって、だから整合性がなくなってしまうのです。

これは、なんというか禁句に近い主張ですね。これをきいた瞬間に多くの医師がはっきりと心理職の敵に回る様な気がします。これを言われてしまうと僕の業務の9割以上は医行為ではない、ということになりそうですね。

支持的精神療法という言葉を全く意識せずに臨床を行っている精神科医はごく少数であると思いますし、認知行動療法までは用いなくても、笠原嘉の言う精神療法のようなことを意識して、うつ病の臨床をやっている医師は少なくないと思います。

あるいは僕が自閉症の障害告知をしている時に、知識の伝達の部分はわずかです。つめれば3分から5分もかからない程度の内容しか伝えません。というか初回の障害告知の際に、多くの情報を持って帰る余裕のある親御さんは、それほど多くありません。しかし僕は障害告知の部分に少なくとも30分以上はかけています。なぜなんでしょうね。他の時間はなにをやっているんでしょうね。まさかそれが医行為でないとは思いませんでした。

申し訳ありませんが、僕はかなり怒っています。

誤 笠原嘉の言う精神療法のような
正 笠原嘉の言う小精神療法のような

ただ逆に精神療法という言葉を非常に狭くとらえて、「〜療法」と名前がついて、一応のプロトコルがあるようなものに限れば、デスマさんのいうこともわからなくはありません。
しかし心理療法、精神療法をそこの枠だけに入れてしまうのは、むしろデスマさんの本意ではないのではないか、と言う気もします。

>もし、学生に病院を紹介したとして、
以下の部分に関してですが、あまり難しい問題ではないとおもいます。

第一の評価のポイントは緊急性
第二のポイントは、その学生の判断力をどの程度重んじてよいか

ということになります。

うつ病で希死念慮があり、深刻な自殺未遂をした直後の学生の発言であれば、本人の意向は無視して保護者に連絡をとって病院に連れて行くよう伝えるべきです。

軽い強迫性障害のみがあり、出かける前に鍵を1時間確認しないと気が済まないんです、という訴えのおおむね正常な意思能力をそなえていると評価できる学生ならば、一応病院受診を勧めたあとであれば、あとは本人の意思を尊重して、受診するかどうかを決めていただくということでよいのではないでしょうか。

ただし後者の学生が医療機関を受診していないということを知った上で継続的に心理療法を行う心理職は、それなりの結果責任を求められることにはなるとおもいますが。

答えになっているでしょうか。

あるいはデスマさんの質問は、継続的に医師には会っていて、病院のカウンセリングを拒否されているケースを想定されているのでしょうか。であれば、本人に主治医と相談してもらい、そこで決定していただくということになると思います。

> 他の時間はなにをやっているんでしょうね。
> まさかそれが医行為でないとは思いませんでした。
>
> 申し訳ありませんが、僕はかなり怒っています。

しかし、それを「医行為」だと言われたとたんに、
普段の営為そのものがグレーゾーンになってしまう、
こちらの立場もご斟酌ください。

本質論というより、
どういう名前を付けるか、という問題について話しています。

もし「医行為」で疑いが全く無いとすると、
> ただ、医師でも、開業のカウンセリングルームなどで、
> 精神分析とかやってますよね。
この例は、どうやって説明するのでしょうか。

本質において医行為かどうかを主張しているのではなく、
「医行為」と定めることで、
別の場所にひずみが出るが、それはどう捉えるか、という、
概念整理の問題です。

それぞれの立場による主張があるのです。

医師の方々の主張は主張として分かるけれども、
それを100%容れてしまうと、
こちらは存在そのものが、難しくなります。

「精神療法」がそのまま医行為だとすれば、
我々の業務は、常に医師法に違反しているんでしょうか。
我々独自の専門性というのは、どこにもないんでしょうかね。

私の言っていることの、
「内容」そのものに問題があるというのなら、
そのご意見は、ご意見としては承ります。

しかし、afcpさんが「怒っている」かどうかは、
直接は関係ないのではないでしょうか。

有効な反論があるのみ、ということで、
いいのではないかと思います。

afcpさんに言うのは、部分的には筋違いかもしれないのですが、
ネット上で、医師は自分の考えを考えている通りに言ってもよくて、
こちらは、相手が怒るかどうかを、
いちいち考えなくてはいけないんでしょうか。

コメディカルは、家に帰ってからも、「医師の指示」なんですか。

「精神療法は医行為ではない」という発言が、

> なぜなんでしょうね。
> 他の時間はなにをやっているんでしょうね。
> まさかそれが医行為でないとは思いませんでした。

というお気持ちを引き起こすのだというのは、
よく分かりました。
不快に思われたのならば、お詫びをしなければなりません。
申し訳ないです。

おそらく、ご自身が普段、
専門性を基に、患者さんに対する配慮をして、
力を注いでおられることの、
意味や尊厳を否定されたようなお気持ちなのだと思います。

ただ、一方、心理職に対して、
「精神療法は医行為だ」
と直言することは、

・あなたに独自の専門性というものは無い
・あなたのやっていることは違法だ
・自分たちの立場を主張しようとするな

というメッセージと等しく受け取られうるのだと、
知っていただきたいと思います。

これほど違ったところに力点があり、
一見矛盾するかに見えるところを、
法律的にも実質的にもどう乗り越えるか、
というところが課題なのだと思います。

医師の「世界観」に触れずに、
どうやって自分たちの居場所を確保するか、
それを思うと、何ともいえない気持ちです。

ただし、もちろんafcpさんの真意が、
心理職排除みたいなところにあるのではないことは、
分かっています。

<訂正>

> 有効な反論があるのみ、ということで、
> いいのではないかと思います。
 
      ↓

> 有効な議論や、論点の整理があるのみ、ということで、
> いいのではないかと思います。

のほうが、適切ですね。
訂正します。

> ただ逆に精神療法という言葉を非常に狭くとらえて、
> 「〜療法」と名前がついて、一応のプロトコルが
> あるようなものに限れば、デスマさんのいうことも
> わからなくはありません。

いや、むしろ、「ここでは」、そういう意味ですが。
保険点数がつくことと、他領域での実践を、
どう両立させるかが、課題と思っていますので・・・。

> あるいはデスマさんの質問は、継続的に医師には会っていて、
> 病院のカウンセリングを拒否されているケースを想定されているのでしょうか。

こちらのほうですね。
ご回答ありがとうございます。
そのあたりが落としどころとは思います。

>うろつきさん

> 保健機関では医師が居て診療報酬請求も行います。
> また保健・福祉領域の公務員は医療機関への異動がありえます。
> そうした人には受験資格が必要になるので、
> その領域を当初より保健・医療・福祉と考えていました。

保健領域はまだ分かります。

しかし、経過措置の厳密性からいえば、
福祉領域の現職というのは、医療機関には勤務していないわけで、
経過措置の対象とすべきではないはずです。
公務員で、国の名のもとに行われる異動に対してだけ、
本質にそぐわない経過措置を設けるのは、
実質的には、おかしいのでは??

「医療心理師」が単独で国家資格化されてしまえば、
他領域の心理職は、
医療領域に勤められるだけの見識をもっている人でも、
もう医療機関に入れなくなります。
それは不均衡ではないんでしょうか。

素朴な疑問ですが、
統合失調症の学生に、我々が「治療」というのは、
まずあり得ません。

しかし、統合失調症の学生の、
大学生活上の相談などに応じることは、「医行為」なんでしょうか。
もし法的にそういう扱いになってしまうと、
当事者は、かなり不利益を受けると思いますが・・・。

医師との連携が必要だとは、もちろん思いますけどね。

管理栄養士の栄養指導と同じくらいの扱いに、
してもらえないかなあ、というのが、
私の考えですが・・・。

デスマさんへ

長年の論敵であるデスマさんには、すでに伝わっているような気がしないでもないのですが、「怒っています」のくだりは、「それを書くと本当に怒る医者がいると思いますよ」というメッセージを伝える意図が混じっています。本当にちょっとカチンと来たのは確かですが、激怒しているわけではありません。ちょっと刺激的な表現でご心配をおかけしました。

>本質において医行為かどうかを主張しているのではなく、「医行為」と定めることで、別の場所にひずみが出るが、それはどう捉えるか、という、概念整理の問題です。

そのひずみは認識しています。そこを乗り越えるために有効なのが、実施場所の議論なのではないか、と今は考えています。

心理行為と医行為の本質的な異同について議論すると、別のひずみ、逆のひずみが生じるのみで、ひずみを解決したことにはならない、ということが先ほどからのやりとりから解っていただけたのではないかと期待します。

ご返信、ありがとうございます。

「長年」って、ホントは半年くらいなんですがね・・・。
しかし、長きにわたってお話ししてきたような、
実感はありますね。私も。

>もし「医行為」で疑いが全く無いとすると、
>> ただ、医師でも、開業のカウンセリングルームなどで、
>> 精神分析とかやってますよね。
>この例は、どうやって説明するのでしょうか。

これに関してですが、知識不足なところがあって、誤った回答になるかも知れません。嘘が書いてあったらどなたか指摘していただければ幸いです。
さて医師が医療行為ができるのは保健医療機関に限るわけではありません。自由診療の診療所というのは届け出のみで開設できるので、医師のいるカウンセリングルームはそうした届け出がされていることが多いのではないでしょうか。

>うろつきさん

経過措置の件は、いいとしても、
それでは、
「医療心理師」が福祉領域で働いているときには、
たとえその対象者が「疾病者」であっても、
医師との関係は「指示」ではなく
「連携」だということですか??

だとすれば、それが「福祉」以外の領域に
認められないのは、どうしてですか?

>しかし、統合失調症の学生の、大学生活上の相談などに応じることは、「医行為」なんでしょうか。

これに関しても、場所の限定でクリアできそうな気がします。

あとは医療機関に通院していなければ、受診を勧める。
主治医がいるようであれば、「連携」しながら援助をすすめる。

ということでよいのではないでしょうか。

> あとは医療機関に通院していなければ、受診を勧める。
> 主治医がいるようであれば、「連携」しながら援助をすすめる。

> ということでよいのではないでしょうか。

・・・だと、私も思うんですが・・・。

STのように「身体に危害を加えるおそれのある行為」が一部分でもあれば、それは医行為とすべきでしょうが、カウンセリングや心理療法を医行為とするのは無理があると思います。

国家資格化されたSTでも医師側とのやりとりがあったようで、参考のため少し長いですが、引用します。

聴覚言語療法士(ST)の業務の中には,ごく一部に「身体に危害を加えるおそれのある行為」が含まれている。具体的には嚥下や人工内耳にかかわるものである。新しくできるSTの資格では,そうした危険を伴う行為は「診療の補助行為」として医師の指示下に行なうよう,法文上に規定されることになる。(中略) また報告書では,「診療の補助以外の業務についても,現に治療を受けている医師・歯科医師がいれば,その医師の指導を受けることが適当」と述べられている。指導という文言の強制力は弱いということだが,そこにはやはり力関係が反映されている。私たちは患者の最終的責任者としての医師のプライオリティを十分に認めている。しかし患者中心の新しい医療の形が模索されている現在,新しい職種を資格化するにあたって,医師と他職種との関係を表わすことばは,「指導」という力関係の上下を表わすものではなく,「連携・協力」こそがふさわしいと考える(杉本 啓子 日本聴能言語士協会副会長)

上に書いてきたように、僕自身は医行為を判断する際の侵襲を身体的なものに限るべきではない、と考えていますが、仮に身体的な侵襲に話を限ったとしても、医行為にあたる心理行為はあるのではないでしょうか。

希死念慮を訴える患者、解離性障害の患者、転換性障害の患者、統合失調症の患者などとの面接などでは、面接の直接の影響が身体に現れることは稀ならず経験されます。あるいは面接の結果が症状の増悪につながり、例えば拒食、拒薬、自傷などが生じることもしばしば見られます。

少なくとも「なんらかの心身の障害や、疾病を有している人を対象」とする場合、心理的行為の影響は全く身体には及ばないと考えることは、かなりな危険をともなうのではないでしょうか。

少し話が戻ってしまいますが、
自閉症の診断や告知というのは、
最初から、医師しかできませんよね。
文句なく「医行為」です。

そして、afcpさんは、それに30分かけていらっしゃるという。

ところが、我々心理職の場合には、
「診断」や「告知」は、しないですよね。

そう考えるときに、
こころしかくさんがおっしゃる、
「医の文脈による侵襲性」という話も、
少し分かるような気がするのです。

もちろん、そういう解釈を法律論に盛り込むのは難しいですし、
立法に反映されるとは思えませんが・・・。

また、これによって、すべて「医行為性」の問題が、
クリアできるとは思えませんけどね。

ただ、こころしかくさんのおっしゃるように、
> ですから、サイコセラピーが「侵襲性」を理由に、
> 医行為にされてしまうことは、
> サイコセラピーの本質とは異なる点が強調されているな、
> 本質をわかってもらえていないな、という感覚を
> もってしまうのです。
というのは、実感としては、分かるように思うのです。

>afcpさん

> あとは医療機関に通院していなければ、受診を勧める。
> 主治医がいるようであれば、「連携」しながら援助をすすめる。
> ということでよいのではないでしょうか。

とのことですが、
だとすると、他領域の心理職が、統合失調症の方に会うことは、
「医行為」ではない、というお考えですか?

それとも、「医行為性」はあるけど、
「場所の限定」ということで、「法的」にはそれを回避し、
実質的には、医師の「指示」ではなく「連携」のもとで、
医行為(の一部)を行う職種を認めてもよい、ということですか?
(・・・これも、地雷かも。)

私の感覚としては、何でもかんでもやっていい、ということではなく、
ただ、就学上の援助とかそういうことなら、
会っても、医師との連携のもとでなら法には触れないはずであろうな、
という直観が働くだけですが・・・。

デスマさんへ
>自閉症の診断や告知というのは、最初から、医師しかできませんよね。
そのとおりです。しかし「告知」だけであれば5分ですむのです。

>そして、afcpさんは、それに30分かけていらっしゃるという。

いらぬ誤解を避けるためにもう少し詳しく書きますが、自閉症疑いの子どもの初診の場合、だいたい問診や行動観察に1時間ほどかけた後、30分ほどかけて「告知」を行います。この告知の中で伝達される知識の量はわずかで、急いでしゃべれば5分で終わってしまう内容です。

精神科医の行うべき医行為が「診断と告知」であれば、65分で終わる事が出来ます。それが90分かかるという事は、そこで「診断と告知」以外の何かが行われているということで、それを精神科医は「通院精神療法」として保険請求しています。もちろん実際には問診の最中にも「通院精神療法」をやっているつもりで関わっているのですが。

さらに言えばそうした子どもの再診は15〜30分で診るわけですが、そこでは診断も告知も投薬も行われないのが普通です。そこで行われている「医行為」は何でしょうか。

>だとすると、他領域の心理職が、統合失調症の方に会うことは、「医行為」ではない、というお考えですか?
ここは非常に微妙なところだと思います。
まず比較的病状が安定した患者であるという事が前提ですが、非常に侵襲の小さい日常的な相談に近い内容の会話(「どこのスーパーで買い物をするのがいいか」とか)などは、そもそも医行為性を持たないと思います。これは場所の限定と、侵襲の高さによる限定の二つの条件をクリアしていることが医行為性を持たないと考えられる理由です。


しかしその方に精神分析療法を行ったり、ロールシャッハテストを行ったりという事であれば、それは明白な医行為性を帯びると考えます。
これは場所の論理でも回避できない医行為性です。医療機関以外のところで心臓外科手術を行ったとしても医行為性が回避できないのと同じ理由です。

でほとんどの事例はその両極端の間に入る事になると思うのですが。
しかしこのロジックでいくと場所の限定の有効性がかなり限られてくる事のなりますね。

「医行為」と心理職国家資格 : 建設的議論にむけてのコメント欄でbxq2uwさんが指摘されているような「悪徳業者」問題もあり、場所による限定は、あまり有効ではないのかもしれません。

afcpさん

いのちの電話相談も生命に非常にかかわる面接だと思いますが、医行為なんでしょうか。
患者が治療者以外と話さないのは面会謝絶の病棟の中だけでしょう。実際ありとあらゆる場合に人と接して話し合うことがあるわけです。
したがって、そのような患者にとって治療者との面接だけが憎悪にかかわっているわけではないと思われます。そういう点で専門性は必要だが医行為とすることはなじまないと思います。

いのちの電話相談に関しては、その法的な位置づけや実態についてほとんど知識がないので僕の力では、今お返事をすることは出来ません。ただ緊急性と代替困難性が高いことが、活動の違法性を阻却する大きな材料になりうるだろうとは思います。

蛇足ですが医療行為による侵襲は違法であるが、一定の条件化でその違法性が阻却される(違法性阻却論)という考え方が、大きな力をもっています。それと同じような論理構成で、いのちの電話の違法性は阻却することができるような気がします。

>そのような患者にとって治療者との面接だけが憎悪にかかわっているわけではない

これはその通りですが、問題は治療者との面接「が」増悪にかかわることがあり得る点を問題としています。治療者との面接は増悪にかかわることがありえないと考えない限り、問題の枠組みは変化しません。

家族には、例えばALS患者の痰の吸引など通常は医行為と考えられている行為をすることが、厚労省の2003年7月の決定以前から、当然認められています。家族や近しい人が行う行為は常識的な範囲であれば問題とされません。しかし福祉職や教職による吸引行為は長年にわたり禁止されてきました。

問題は心理職や福祉職が業として関わる事は、家族や友人が関わる事とは本質的に違う、ということです。そして心理職による介入は侵襲をともなうことがあり得るというところがポイントです。

「診断と告知」は医師しか行えません。これは同意します。

> そこで「診断と告知」以外の何かが行われているということで、

「それ以外の何か」は、医師でないと、
絶対に行えない性質のものなのでしょうか。

そして、「侵襲性」は、「診断と告知」に伴うものであり、
「それ以外の何か」が、「侵襲性」をもっているわけではないように思います。

もしかして「侵襲性」のないものにも専門性はあるのだという感覚が、
もしかして、afcpさんには感じられないのかなぁ・・・。

また、医師が「医行為性」の低いものに(も)力を注ぐのは、
たいへん大事なことだと思っているのですが・・・。

もちろん、「侵襲性あり=医行為=高度な専門性」という論理であれば、
そういう考えには、ならないんでしょうけど・・・。

私は、「医行為」だと思って認知行動療法や、
精神分析的心理療法を行ったことは一度もないんですが、
どのように整理をすれば、この感覚と、
afcpさんのお考えとの間に、接点ができそうですか?

また、普段の心理相談が「医行為」だと考えたことはないんですよね。

>もしかして「侵襲性」のないものにも専門性はあるのだという感覚が、もしかして、afcpさんには感じられないのかなぁ・・・。

専門性はもちろんあるのだと思っています。ただそれを法律による規制や保護、保証の対象にすべきか、というところがポイントだと思っています。話がぐるっと戻りますが、魚屋さんの専門性とふぐ調理師の専門性の違いということです。

>「それ以外の何か」は、医師でないと、絶対に行えない性質のものなのでしょうか。

そうではないと思います。というか広い意味ではほとんどどんな人にも、上手下手の差はあれできることだと思います。しかし(熟練した)医師が行うことでその侵襲を減じることができる行為である、と考えています。同じように(熟練した)心理職も同種のことを、やはりその侵襲を減じて、行うことができると思います。

>私は、「医行為」だと思って認知行動療法や、精神分析的心理療法を行ったことは一度もないんですが、どのように整理をすれば、この感覚と、afcpさんのお考えとの間に、接点ができそうですか?

ぶっちゃけて言ってしまえば、認知行動療法であったり精神分析的心理療法であったり、あるいは先述の「それ以外の何か」であったりということに関して、一部の医師と心理職は、ほぼ同じ行為をしているのだと思っています。背景にしている理論や訓練などは同じ場合も違う場合もあるでしょうが、ちょっと蛸壺の外に出てしまえば、つまり議員さんや一般国民には、ほとんど区別がつかなくなるだろうと思います。

心理学的行為の一部には全く医学的行為との重なりを持たない部分があると思います。また一部に医学的行為と重なり合う部分があると思います。そして心理学的行為と重なりあわない医学的行為がもちろん存在します。一番単純な重なり合うベン図です。

であるがゆえに行為の内容で、これは医行為、これは心理学的行為と決めることは原理的に不可能で、そこに真っ向勝負で線を引くならば、政治的な方法以外では不可能だろうと考えています。で、そうした力比べになってしまえばおそらく医師が勝つでしょう。残念ながら医師という生き物は、特に集団になれば、そこで自ら引くような殊勝さは持ち合わせておりません…と思います。

このため行為の内容以外の方法でなんとか線を引く試みをする必要が出てきます。それが非医療領域を想定することであったり、侵襲性の多寡による区分であったり、提供する施設による区分であったりするのだと思います。

認知行動療法を医行為だと思ったことのないデスマさんの「感覚」と、それを医行為だと感じている僕の「感覚」には残念ながら接点はないと思います。それは当然でそこには多分医行為でありかつ心理学的行為である認知行動療法が存在し、互いにそれを「感じる」ことは不可能なのだと思います。医師でありかつ臨床心理士である先生方の目に、それがどのように映るのかというのは多いに興味のあるところですが。

接点があるとすれば「感覚」の世界ではなく、それは論理の世界にあるのだと思います。

接点が出てきそうな気もしてきました。

私が問題にしたいのは、
「実態として医行為性があるか」ではないのです。

それを個々に弁別しようとすると困難ですから、
「何をもって医行為性があると(法的に)みなすかどうか」
という次元の問題として考えたほうがいいと思っているからです。


あと、
> 残念ながら医師という生き物は、特に集団になれば、
> そこで自ら引くような殊勝さは持ち合わせておりません…と思います。
ここ(↑)が本当は大きな問題なのだと思いますが・・・。

>ここ(↑)が本当は大きな問題なのだと思いますが・・・。
全く同感ですが、こればかりは心理職や教職の先生方のお力を持ってしても、短期間で解決することは、非常に困難であると思います。

侵襲性・医行為性をめぐる議論が続いているようですが、例えば、次のような方の行為を、どうしたらいいかということで、苦慮しています。
http://d.hatena.ne.jp/moneki/20050831

侵襲性ということで言えば、「何を」行うかということも大事ですが、「どのように」行うかということがとても大事であるように思います。どんな技法もそれを乱用すれば侵襲的でしょう。たとえば、身体に触ることでも、動作法のように、きちんと研究されてガイドラインを持って使用されていれば安全かつ有効ですね。クライアントをabuseしないために、セラピストが、その技法の有効性を客観的に評価し、セラピスト自身の利己的な目的が混入していないかを自己チェックする力量が必要だと思います。

それを、うまく国家資格の法律に盛り込めるといいのですが。

リンク先拝見しました。

こういう人は、
そもそも心理学を基盤としていないので、
どのみち法制化の対象外であろうかと思います。

名称独占であれば、取りしまることもできませんしね。

問題は、「こういう人」と、
「心理学を基盤とし、侵襲を避けてカウンセリングできる人」とが、
現状では、「国家資格でない」という点で、
いっしょくたになっていることではないかと思います。

>現状では、「国家資格でない」という点で、いっしょくたになっている

そこに楔を打ち込むために「臨床心理士」という公的資格を立ち上げられたのではないでしょうか。現時点ではそのことを持っていっしょくたにはなっていない、と判断すべきであろうと思います。でなければ今の臨床心理士資格の持つ意味合いは、非常に小さなものになってしまいます。

今残されている問題は、そこを区分するのに公的資格で十分なのか、国家資格が必要なのか、ということではないでしょうか。

国家資格化するとなれば、間違っても「こういう人」たちが紛れ込まないような経過措置を考える必要は、ありそうですね。
また逆に、資格を取った後に、その資格を看板に掲げてこうした行為をする人が出てきたときに、どうするかということにもなりますね。この辺は外延議論とも通じることになるのかとも思います。つなでさんが心配されているように、そこは難しい問題となりそうです。

柔道整復師(柔整師)のように法に定められた医療類似行為として、心理療法も考えられるのでしょうか。

『柔整師の療養費払い』に基づいて開業心理士も行なうようにしてはどうでしょう。

 開業心理士への患者の支払いは、心理療法を「療養費払い」にして、患者が療養に要した費用を施術者に先ず支払い、保険者等にその支払った額を請求し、保険者がその内容を審査の上、患者に支払うのが原則に基づきます。しかし、開業心理士の施術に係わる療養費の支給について、都道府県知事等と開業心理士の団体との間の協定に基づいて、患者が療養費の受領を開業心理士にに委任することを認めます。此れを『受領委任払い』といいます。 すなわち、開業心理士が心理療法を行った場合、開業心理士は、施術料金のうち、患者負担分については患者に請求し、残りの施術料金については、患者からの受領委任に基づいて、開業心理士施術療養費支給申請書に患者の自筆で住所、氏名等を記入し、判子を押して行うこととにしたらどうでしょうか。

デスマさん、afcpさん、レスありがとうございます。セクハラ等、クライアントをabuseする行為があった場合に、資格を剥奪することが、かなり厳しい意味を持つような資格があるといいと思います。公平な手続きで資格の剥奪を確実に実行する資格ですね。現状では、「こういう人」が公共機関に紛れ込んでいても、雇う側がこれもありやんと言っている限り、なすすべがないです。現行臨床心理士は、「有資格者しか雇わない」という雇用条件を作ることがなかなかできません。

全心協の資格の考えを整理して述べます。
 医療・保健領域における「場」において、傷病者(カルテを作った人)を「対象」として行う臨床心理学的行為の一部には診断や治療といった「目的」でなされる医行為に該当する行為が存在する。
 そのため場と対象と目的を限定して、医行為に相当する行為を行う臨床心理技術者は医師の指示の下にその業務を行う。
と考えてきました。
 ところが、医行為を法制化にする作業は医事課の範疇となり、医事課では医行為の範囲を具体化する必要があるが、上記の皆さんの議論のごとくその範囲を規定できないといわれました。
 

さらに、医行為を業務として行う場合には保助看法の解除が必要となり、4年制大学卒を最低受験資格とすることは困難との判断も伺いました。
 そこで、臨床心理技術者の業務の医行為性にはあえて言及せず、医事課の範疇をはずし、チーム医療の業務の中に診療行為を含ませて考え、医師の指示の下とする法案骨子を衆議院法制局と考え出したわけです。
 場と対象と目的を限定して医師の指示を受ける必要を考えたので、医療・保健領域以外では、この法律に縛られる必要はなく、これまでどおりの臨床心理士資格での、あるいは他の様々な民間心理資格でのクライエントへの支援は可能であると理解しています。

これまでの議論からしても、医療領域における臨床心理技術者の業務の中に、診療行為の一部として、医行為性が含まれることはどなたも異論は無いと思います。しかし、医事課は心理学的な自我への侵襲性は法律の文言として不適切であるとの見解でしたので、医行為の範囲を明確に規定することができなかったのです。
 福祉分野を受験範囲にするのは、公務員をはじめ、医療法人等でも医療・保健・福祉(社会復帰施設等)間での異動は通常的に行われており、福祉現場を除外すると移動できなくなる恐れが生じてしまします。そのリスクを除外するために経過措置には福祉領域を含むとしました。
 その他の領域は、医師の指示を必要としない業務であり
医療心理師法案に含むことでかえって混乱することを避けました。必要であれば独自の法制化が必要と考えます。領域が重ならなければ、全心協としてその法制化に反対する意思はありません。

うろつきさん、ありがとうございます。「医行為」と心理職国家資格:建設的議論にむけてのほうのbxq2uw さんのコメントとあわせて読むと、何が起こっていたのかが、よくわかります。

しかし
>医事課は心理学的な自我への侵襲性は法律の文言として不適切であるとの見解でした
というのも、何とも時代遅れな、と言う気がしますが、法律というのはそんなものなんでしょうね。

すると「医師」と名乗りさえしなければ、非医療機関において、明らかな精神疾患を持つ患者にでさえも、治療目的と称して精神療法、心理療法を行うことは、医行為性を持たず、従って違法でもないという解釈になるのでしょうか。

あるいはそれは、医師法には違反しないが、有害事象が生じれば、刑法により傷害罪とされるということになるのでしょうか。

現状はそれに近いのかもしれませんが、違和感は残りますね。

>イチ心理士さん

意味としては分かるのですが、
今そのような主張をすると、ますます国家資格化が遠のくのでは…、
と思います。
(お前が言うなと言われれば、まさにその通りですので、
 陳謝いたします。)

おっしゃるように、柔道整復師は、
自分で保険適用の可否が判断できるわけですが、
安易な適用から予算が膨大になり、
まさに、今その点が問題視され、
整形外科医との関係も難しくなってきているわけですから、
厚生労働省も、二の轍は踏まないであろうと思います。

臨床心理士会の主張も、
「保険適用の場合、医師の指示」だったわけで、
「独立開業しさらにそれにも保険」ということではなかったはずで、
それであってさえも、これほどの反対受けているわけです。

結論的には、難しいのではないかと。
それを主張することで、ますます不利になっていくように思います。

>afcpさん

おっしゃるように、法律とはそんなものなのだと思います。

議員や裁判官が判断できないような内容では、
法文には盛り込めないのですよ。
実質的にはともかく、法律的には、
「医行為とせず」は、妥当なように思います。

>実質的にはともかく、法律的には、「医行為とせず」は、妥当なように思います。

そう思っていました。医行為性の判断の迂回というのは、そのまま逃げ切れればとてもよい作戦だったと思います。ただ…

今回の経緯の中で医療関係団体が、ここを手がかりにして国家資格化に反対してきていますよね。いったんこの流れになってしまった後、もう一度同じやり方で立法までこぎ着けられるのかどうか。この辺は医療関係諸団体の腹一つ、という感じがしてしまうのですよね。

と、僕が他人事のように言っていてはいかんのかもしれませんが。

数多くある医業類似行為の中で、国が正式に資格を与えているのが「柔道制服師」と「はり、きゅう、あんま・マッサージ師」です。イメージとしては、医行為でありながら、侵襲性が比較的低く、医師の指示はいらない行為というところです。侵襲性がもっと高くなれば医師でなければならないということになりますし、もっと低ければ国家資格でない他の医業類似行為職の人が行ってもよいという、ちょうど境目の領域です。法的に見たときに、その境目の幅というのはほとんど無いくらいです。
例えば、柔道整復師の団体が「カイロプラクティックは自分たちの領域を侵しているから取り締まって欲しい」と国に要望したとしても、事実上取り締まることはできないくらい法的に見たときのそれらの独自の領域というのは狭いのです。
言い方を変えますと、国家資格のない医業類似行為職の人たちの職業選択の自由は、判例によって相当程度保護されているといういことです。
こういう状況ですので、国が新しい医業類似行為の国家資格を検討する可能性はないと考えてよいと思います。
そいうことですから、心理職の資格を考えるときにこれらの資格は一見参考になるように見えるのですが、現実には参考にはならないのです。
つまり、医行為ということになりますと、医師自身が行うか医師が診療補助職に指示して行わせるかのどちらかになると考えてよいということになります。
また、医行為の範囲というのは、職業選択の自由を護る観点から、限定して捉えることが判例で示されていると考えてよいでしょう。

皆様

活発な議論をありがとうございます。「侵襲性」「医行為」の本筋ではないのですが、bxq2uwさんから問題提起のあった、医行為が決まっていく行政的プロセスに関して、うろつきさんのコメントも含めて、新しいエントリーをアップしました。

「侵襲性」論議については、「侵襲性高い→医行為」「侵襲性低い→国家資格の必要性なし」という「侵襲性ロジック」をどう乗り越えていくかを中心に、さまざまな議論が展開されています。

これらはやや複雑な議論ですが、心理職が自分の行っている日常業務の社会的位置づけを意識したり、医療との関係を検討する上で、とても大切なことと思います。

ちなみに私も、日常の臨床業務の中で、今やっていることって医行為に近いのかとか、侵襲性がどの程度あり得るのかとか、意識しながらやってみると、いろいろと見えてくることもありますね。

私は病院と学校と両方で働いている訳ですが、病院においては基本的には「医療モデル」に補完的に「心理(発達)モデル」を導入している感覚です。学校においては「教育モデル」に「心理(発達)モデル」を導入し、というか融合する感じで展開している感じです。そして、時に必要に応じて「医療モデル」を利用させてもらっているという感じです。

心理士なら誰でも感じているであろうこの感覚を、法律的にどう整理していくか、特に医行為との関連でどう法的に位置づけていくかが、国家資格論議において求められているのですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113171/5731623

この記事へのトラックバック一覧です: こころへの侵襲性をめぐって:

» 「医療限定?」全心協の主張を検討する [心理職の国家資格化実現検討委員会(byつなで)]
このかんに、全心協幹部であるらしいうろつきさんが緊ブロのコメント欄で、全心協の考えを整理して述べられました。詳細は、緊ブロをごらんいただくとして、全心協は、医療心理師(仮称)の、経過措置の範囲を「医療・保健・福祉」と考えていること、その他の領域(というこ....... [続きを読む]

« 全心協総会の開催 | トップページ | 霞ヶ関でおきていること・・・「緊ブロ」的検討 »