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2005年9月に作成された記事

2005年9月25日 (日)

サイコセラピーのリスクについて

国家資格を議論する中で、サイコセラピー的関与によって起こりえるリスク(危険性)について充分に検討する必要性が議論されています。心理学的行為と医行為との関係を論じる上で、避けて通れない議論です。この点について、いくつかコメントをもらっています。

Afcpさん>ただ一部の医師が恐れている、そして僕自身も心配していますし、これまでに苦労もさせられたことがあるのは、心理療法を受けた、あるいは現に受けているケースが、著しい行動化、退行などを呈し、結局医療で「後始末」をさせられること、でもあるように思います。

bxq2uwさん>afcpさんは控えめにおっしゃっていますが、現に心理療法を受けているケースが著しい行動化や退行を起こすということであるなら、自然経過による増悪という側面があったとしても、少なくとも見立て違いということがあったのでしょうし、そこに起因する関わり方の間違いというのもおそらくあった上でのことでしょう。一言で言って心理臨床として質が低いという問題だと思います。これは質を向上させるということしかありません。どうやって向上させるか、これはまさに心理臨床の重要な課題です。

つなでさん>問題は、人に尻ぬぐいを押しつけるような心理療法(精神療法)のやり方、そのような心理療法の学び方にあるのではないかと思います。医師であれ、心理職であれ、しっかり勉強してトレーニングを積み、何より、勉強とトレーニングの仲間を持たないと、心理療法の実力はつくはずがないですね。心理療法をしている人どうしで、いかに研鑽を積むかということでしょうか。心理職の養成課程がそのような実力のつくものになるために、国家資格化のこともよく考えないといけないと思います。長年の心理療法の試行錯誤の成果が生かされるような養成がなされていかなければならないと思います。

サイコセラピーの持つ効果があることを前提にしながらも、一方で起こりえるリスク(危険性)についてふれてみたいと思います。以下のようになることを防ぐ見立て力は重要ですね。

     薬物療法が必須のケースにサイコセラピーを続け状態を悪化させる

     強い内的葛藤を言語化させ(アンカバーし)、状態を悪化させる

     家族の問題を安易に取り上げ強い家族間の衝突を誘発する

     枠を決めずに依存、退行させ、激しい行動化を誘発する

     強い依存的関係を築きケースが他のリソースを利用する可能性を奪う

     受療中ケースに医療へのネガティブな意見を伝え受療中断を招く

     自傷他害ケースにマネジメント的関与を行わず事故や事件が発生する

     サイコセラピーでは対応できない状態なのに「対応できる」と考え対応してしまう

まだまだあるでしょうし別な表現もあると思いますが、ぱっと思いあたることを挙げてみました。

「①薬物療法導入せず悪化」については、心理療法的関与を行うものとして、常に気をつける必要があることです。心理療法家は、目の前に現れたケースに対して、サイコセラピーを行うことが適当か、それとも薬物療法の導入を第一選択として促すべきか、見立て判断する必要があります。またそのような見立てができるスキルを持つ必要があるでしょう。

 

「②内的葛藤のアンカバー」については、心理療法家のスキルそのものといってよいと思います。共感とか傾聴といった対応のみでは、この問題を避けることができないでしょう。見立てによっては、「聴かない」「語ることの危険性を話し合う」といったかかわりが重要となる場合があります。一方で、サイコセラピーにアンカバーによる混乱はある程度はやむをえないという判断もあるかもしれません。

 

「③家族間の衝突の誘発」ですが、家族に解決力がない若者に、「家族でよく相談してください」とカウンセラーが伝えたばっかりに、家族で大喧嘩になって若者が家出してしまった、こんな私の苦い経験があります。スーパーバイザーには「家族でよく相談してください」と伝えてはいけない場合があるんだと怒られました。

 

「④依存や退行の問題」ですが、これはこれまでもコメントで何度も取り上げられている、サイコセラピーの「副作用」ともいうべきものですね。これに対応するためのトレーニングとスーパーバイズとを、心理士は充分に受ける必要があるでしょう。専門家とそうでない人とを分けるのは、この対応のスキルがあるかないかもひとつかなと考えます。

   

「⑤他リソース利用の可能性を奪う」です。すぐれたサイコセラピーは、本人の持つリソースを有効に活用し、また本人が自らそれを有効に利用することを促進するものだと思います。

   

「⑥受療中断を招く」については、ケースが現在の治療に不満を持っていて、セカンドオピニオンを求めてきたり、他の医療機関を紹介してほしいと要望してきた場合に、デリケートな問題となります。もちろん、現在の主治医とよく話し合うように伝えることが多いのですが、本人がどうしても納得せず中断になってしまう場合があります。受療中ケースに対して地域の心理士はどのような相談機能を持つか、より深い議論が必要になると思います。

   

「⑦自傷他害ケースへのマネジメント」「⑧できないことをできるという」については、別なエントリーを挙げて詳しく議論したいと思います。特に、自傷他害のリスクマネジメントに関して、心理士は甘い場合がよくみられます。医療機関であれば主治医が入院や保護者連絡などマネジメントしてくれますが、地域においてはそれぞれの場所の管理者と連絡をとりながら、心理士は対応する必要があります。その意味では、医療機関より地域の心理士の方が高いマネジメント力を求められるといってもよいでしょう。

2005年9月23日 (金)

心理職国家資格問題におけるブログの役割

今国家資格関連ブログの中で熱心に議論されていることについて、ひと言(になりませんでしたが・・・)。

今回の国家資格の動きの中で、これまでの国家資格検討と大きく異なるのは、議員への陳情、署名運動、集会、ブログ・・・、といった、関係者の参加の動きがこれまでになく強まったということでしょう。

これまでの国家資格の運動は、上で決めたことに従うという傾向が今回に比較すると強かったと思います。個々のメンバーが自由に発言や意思表明する機会が極端に少なかったと思います。どうなっているんだろう、と疑問に思っても、「今上のほうで検討しているので、あまり騒がないように」といわれてしまう雰囲気がありました。

しかし、今回は違いました。それぞれが自分のこととして考えていきましょう、という雰囲気はかなり高まったと思います。そのひとつがブログであったし、この春先から夏にかけて仲間内で議論することも多かったのではないでしょうか。私はこの傾向はとてもよいことと思います。

これまで自分のこととして考えられなかった事情のひとつとして、教えられる情報が圧倒的に少ないということがあったと思います。今でも一定の情報制限はあると思いますが、足で稼ぐ時間のない(また情報を集める立場にない)我々にとって、ブログは実にさまざまな情報収集をすることができますし、その情報に基づいて現実の集会などに参加すると、さまざまな新たなことが見えてきます。

今回のことについても、医師がなぜあのような反対声明を出したか、「医療心理師」推進連の中で何が起こったのかなど、臨床心理士会や全心協のHPを見ているだけではほとんどわからなかったでしょう。ブログでの情報公開や激しい議論をみながら、自分は何を「仮説」として持ち、そして現実でどう動き、どう判断すればよいか、考えていった方も多いと思います。

このような情報提供をするブログですから、その情報提供が都合の悪いと感じる人は当然ブログのあり方を批判してくると思います。今回のSさんの発言は小さな会での(たぶんジョーク的な雰囲気での?)言葉ですからまだよいですが、今後さまざまな圧力がブログ界にかかってくる可能性は充分考えられるでしょうね。

そのような圧力に屈せず、自由な意見表明と情報収集を保障するために、匿名という形をとらざるを得ない訳です。匿名であるからと言って、何でもありという形ではブログを運営してはいません。個人名の扱いに関していえば、ほとんどのブログでは、個人名は、所属する団体の代表者や一定の権力や影響力を持つ人の公式の場での発言に限って用いられていると思います。

社会的な影響力を持つ人々の発言は、その内容について当然批判の意見表明の対象となりえます(逆に賞賛の対象にもなると思います)。なぜならば、その影響が誤っていたり間違った方向をめざすと感じられた場合は、その社会的影響を少しでも減じるためにも率直に意見表明をする必要があるからです。意見表明を「匿名」ではしてはいけないという社会が、どんなに危険な社会であるかは、皆さんは充分理解していただけると思います。

特別国会が始まって、さまざまな動きが水面下で始まってきていると思います。緊ブロでも、そのような情報をいち早く察知して、広く情報提供していきたいと思います。当面の注目点は、合体した両議連が合体したまま活動を開始するのか、それとも違う形で活動を始めるのかということですね。

前者の場合は、前回の骨子を基本にして進めるということで、医師関係団体とその声を代表する議員との激しい交渉が予想されます。後者の場合は、片方の法案だけを優先してという動きが考えられると思いますが、医療心理師、臨床心理士どちらも片方だけで中央突破するのは難しい情勢と思います。

今後とも皆様からの情報提供よろしくお願い申し上げます。

2005年9月18日 (日)

日本心理学会ワークショップについて

徐々に内容が明らかになってきている”今話題”の日心「医療心理学」ワークショップについてです。

 

2005年9月12日(月)午後に、日本心理学会第69回大会において、「医療心理学の確立に向けて」というテーマで行われましたが、企画者は丹野義彦氏(東京大学)ほか、話題提供者は、辻敬一郎氏(前日本心理学会理事長、中京大学)、斉藤慶子氏(戸田病院)、利島保氏(広島大学)、坂野雄二氏(北海道医療大学)ほかで、「医療心理師」推進の面々がそろったワークショップで、当然国家資格に関する本音の意見が交わされたようです。

 

その内容に関心が集まりますが、舞衣さん「心理系研究者つれづれ日記」すえぞうさん「末々草(すえ思う故に末あり)」Decoさんロテ職人さんデスマさんと、次々に情報が流れてきています。「医療心理師」推進の思惑や事の進め方の姿勢が垣間見えますね。

 

Sさんのブログ批判発言については、各ブログで反論がなされています。議論を幅広く進めていこうという姿勢からは程遠いSさんの姿勢が問題となっています。そういえばSさんは、日本精神神経科診療所協会長名で出された公開質問状にはお答えになったのでしょうか。たとえばこのような問題提起をするブログは「信用せず、全心協のHPだけをみればよい(by Sさん)」のでしょうか?

 

ところで、このワークショップでSさんは、医療、保健、福祉を含む資格を作る旨の発言をされていたということです(参加者の方からの伝聞ですが)。やはり、医療限定の資格ではなく、その範囲を広げようと動いているのですね。緊ブロ「こころの侵襲性をめぐって」のコメント欄でもうろつきさんとデスマさんの議論にありましたが、「医師の指示」下の福祉領域心理職というのは、大きな問題です。

 

ワークショップの他の先生方も学術的にはすばらしい方々と思います。しかし、こと「医療心理師」資格に関する動きについては、自説の影響力の拡大などの思惑を感じてしまいます。これは私が偏見に満ちているからでしょうか?

 

ちなみに、日本心理学会の平成17年度の事業計画をみると、「医療心理師」養成カリキュラム検討委員会の設置というものがありました。ここでカリキュラムの検討をやっているのですね。内容はどこまで公開されているのでしょうか。関係者の皆さんには、ご自分の専門分野をカリキュラムに大きく取り上げようというような私欲では動かれないことを切に願います。

 

「医療心理師」の動きを見極める上で、日本心理学会の動向を広く情報共有し検討する必要がありますね。現場の実務家からすると統一資格の方が利用者のためになると実感している方が多いと思います(最近のつなでさんのブログも参照)。しかし、一本化への最大の障壁は、実践現場の感覚とは大きく異なる、指導的立場にある一部学者の思惑や野心にあるのかもしれません。

 

若手の心理学関係者は、基礎系であっても臨床系であっても理解しあってコミュニケーションを取り合ってきつつあると思います。次の世代のための広い視野からの協力関係を育てていきたいものです。

 

このワークショップでの各先生の発言情報やカリキュラム情報、その他「日心」情報をお待ちいたします。

2005年9月16日 (金)

サイコセラピーに医行為の線を引くということ

何度も議論されていることですが重要なことなので、再び・・・。

サイコセラピーは医行為なのかどうかという議論を、心理職の国家資格化に伴う法律論で考えるならば、afcpさん他が語るように、「医療提供機関=医行為的」「それ以外(地域)=医行為とみなさず」という整理が中心になるでしょうし、これは先の法律案でも、医療提供施設=医師の指示、と整理されていました。

しかし、傷病者へのサイコセラピーは、場所が医療提供機関でなくても「侵襲性が高い」ため「医行為的」となるのでは、という感覚が、たぶん医療関係者としてはなじみのあるものかもしれませんね。医療関係団体の先の法律案への反対意見も、この感覚に基づくものであったと思います。

しかし、地域でサイコセラピーを行う心理士としては、傷病者へのサイコセラピーを医行為とは考えない。「侵襲性の高さ」とその回避を考えながらも、医行為としてではなく、心理相談として対応していくわけです。ですから、地域で心理士の行うサイコセラピーは医行為ではないと、多くの心理士は考えています。

この感覚の違いは、afcpさんとデスマさんの議論でも取り上げられました。そして、感覚の違いはあるとしても、心理職の国家資格化のための法律論整備のために、医行為の範囲を論理的にどう線引きするかが重要という意見になってきたかと思います。

そのような状況の中、厚生労働省医事課の見解の情報が、うろつきさんから寄せられました。

うろつきさん>医行為を法制化にする作業は医事課の範疇となり、医事課では医行為の範囲を具体化する必要があるが、上記の皆さんの議論のごとくその範囲を規定できないといわれました。

うろつきさん>医事課は心理学的な自我への侵襲性は法律の文言として不適切であるとの見解でしたので、医行為の範囲を明確に規定することができなかったのです。

このあたりのニュアンスは重要なので、9/10のエントリーをあげさせてもらいました。さてこの見解は、医療関係者にとっては違和感のあるものでしょう。Afcpさんからは次のような意見がよせられました。

Afcpさん>すると「医師」と名乗りさえしなければ、非医療機関において、明らかな精神疾患を持つ患者にでさえも、治療目的と称して精神療法、心理療法を行うことは、医行為性を持たず、従って違法でもないという解釈になるのでしょうか。

あるいはそれは、医師法には違反しないが、有害事象が生じれば、刑法により傷害罪とされるということになるのでしょうか。

現状はそれに近いのかもしれませんが、違和感は残りますね。

上記で、「治療目的と称して」というところが重要と考えます。「治療」という言葉は日常語でもあり比喩的にも用いられるのですが、地域の心理士はたとえ医師を名乗らなくても「医師の行う治療を連想させるような」治療行為は行ってはならないと考えます。むしろ、地域の場で心理士は、なるべく医療行為とは明確に線引きし、医行為とは違う心理相談であることをクライエントに明示する形で、サイコセラピーを行うべきでしょう。

ですから、地域の心理士は、「白衣をなるべく着ない」「治療という言葉を安易に用いない」「治療という言葉を用いる場合は、“心理的治療”など意味を限定して用い、医行為とは異なることを明確にする」などの配慮が、誤解を解くためにも必要と考えます。ちょっと神経質すぎる感じもしますが、これらは「医という名のもとの侵襲性」を防ぐ意味でも重要かなと思います。皆さんのご意見はいかがでしょう。

そして、これらは資格法の文面で規定するということより、法律運用における通達や心理士の倫理規定で明確にしていく方が、法律的には馴染むのではと思いますが、皆さんはどうお考えですか。

そもそもフロイトは精神科医でしたし精神分析の技術は心理の世界に大きく受け入れられました。一方、サイコセラピーの中で心理の世界で編み出された類は、ただちに医師によって意欲的に取り組まれ洗練されてきました。サイコセラピーの歴史は、医師と心理士とクライエント、他の多くの人々の共同作業です。

ですからサイコセラピーが医行為かどうかの議論が本質論ではないのは百も承知です。その認識をした上で、この日本社会でサイコセラピーをどう法的に位置づけるかいう作業を行うならば、医の文脈のサイコセラピーは「医行為性」を帯びる、心理の文脈のサイコセラピーは「医行為性」を帯びないという整理で進められないかということです。ちなみに、医療提供機関でのサイコセラピーは、心理士が行うとしても、医の文脈下ですから「医行為性」を帯びるわけです。

上記のafcpさんの違和感に関していうならば、「医師」を名乗らなくても、「医師の治療」というニュアンスが高まるほど、「医行為性」を帯び、医師法違反の可能性が高まる、ということではないでしょうか?あとは、法の理念に基づきその違法性を個々に検討し公開していくという感じでしょうか。

ところがこのような話になると、医療提供施設外においても、傷病者へのサイコセラピーの「侵襲性」が懸念として持ち出され、話が堂々めぐりとなります。繰り返しの議論ですね。「侵襲性」議論については、また別にエントリーする予定です。

2005年9月10日 (土)

霞ヶ関でおきていること・・・「緊ブロ」的検討

霞ヶ関でおきていること・・・「緊ブロ」的検討

今後の国家資格化を考える上で、官僚(霞ヶ関)レベルでおきている貴重な情報をブログコメントでいただいていますので、ここで整理してみました。

Bxq2uwさん>精神衛生法の不備が国連人権小委員会で問題にされ、日本政府が精神衛生法の改正を表明しました。その日本政府というのは当時の精神衛生課です。国連人権小委員会の有力NGOメンバーである国際法律家協会(ICJ)の第一次調査団の勧告(1985)は精神衛生法の改正(1987)に大きな影響を与えました。法改正の効果を検証するために第二次調査団が派遣され、その勧告(1988)の中にPSWや臨床心理士の資格に関する提言が含まれていました。ですから、PSWや臨床心理技術者の資格問題は精神保健法に関連する問題として、その後の精神保健法改正の都度、国会の附帯決議に盛り込まれることになったのです。
ここまでは歴史的事実です。さて、このような経緯で、PSWや臨床心理技術者の資格法制化問題は精神保健課の所掌するところとなったわけです

精神保健(福祉)課が心理職国家資格を何とかしなければならないのは、国会の決議のみならず、国際的な要請もあるということですね。心理職の国家資格化は、心のケア分野において日本が「国際水準」になるために避けては通れない道であるということでしょう。

(ちなみに今回、精神保健福祉課長が異動になりましたので、新しい課長がどう考えているか知りたいところです。このあたりの情報もお待ちしています)

その後afcpさんとの激論の後、

bxq2uwさん>精神保健課が検討会や研究班をやっていたときに、何度も「医行為」のことが話題に出ましたが、そこで医事課と折衝をするとか医事課の担当者を呼んでレクチャーしてもらうとかの話にならなかったのを私は不思議に思いました。そして、医事課を呼んでは何か不都合なことでもあるのかな?と思っていました。そこから、精神保健課は医事課の了解を取り付けてはいないんだなと推測していました。
今回、私が非常に重要な情報だと思ったのは、全心協のホームページに載っていた、昨年の11月16日に資格法案策定に受けて(向けて?)関係者協議を開催という記事です。そこに「自民党議員4名、衆議院法制局、厚生労働省医事課、精神保健福祉課、全心協」とあります。
今まで医事課と同じテーブルにつくことを避けていた精神保健福祉課が、初めて医事課を呼んだのです。そして、その後に出てきたのが医行為に踏み込まない資格案であったわけです。私は「ついに精神保健福祉課が本気で資格を作る気になったな」と思いました。

つまり、医行為であるかどうかを行政判断する医事課が、今回「医行為でない」と判断したということですね。もちろん国会の場や通達などでの見解ではないので、変更の可能性はあるとしても現状での判断として重要でしょう。そして今回、「医行為」に関する医事課の見解と医療関係団体の意見が微妙に異なっているという事態が生じているということですね。

この点に関連して全心協幹部であるうろつきさんから貴重な情報をいただいています。

うろつきさん>医療・保健領域における「場」において、傷病者(カルテを作った人)を「対象」として行う臨床心理学的行為の一部には診断や治療といった「目的」でなされる医行為に該当する行為が存在する。
 そのため場と対象と目的を限定して、医行為に相当する行為を行う臨床心理技術者は医師の指示の下にその業務を行う。
と考えてきました。
 ところが、医行為を法制化にする作業は医事課の範疇となり、医事課では医行為の範囲を具体化する必要があるが、上記の皆さんの議論のごとくその範囲を規定できないといわれました。

さらに、医行為を業務として行う場合には保助看法の解除が必要となり、4年制大学卒を最低受験資格とすることは困難との判断も伺いました。
 そこで、臨床心理技術者の業務の医行為性にはあえて言及せず、医事課の範疇をはずし、チーム医療の業務の中に診療行為を含ませて考え、医師の指示の下とする法案骨子を衆議院法制局と考え出したわけです。
・・・・

これまでの議論からしても、医療領域における臨床心理技術者の業務の中に、診療行為の一部として、医行為性が含まれることはどなたも異論は無いと思います。しかし、医事課は心理学的な自我への侵襲性は法律の文言として不適切であるとの見解でしたので、医行為の範囲を明確に規定することができなかったのです。

この文章を読むと、医事課は「医行為ではない」と判断したというより、「(法律といて)医行為とするには困難があまりに多い」という意見を述べたという感じでしょうか。つまり、医事課は「医行為ではない」という最終判断を下した訳ではないということです。他のコメントでも触れられていますが、法律案上では「医行為」としないが、通達や通知などで事実上「医行為に近いもの」と規定していくという意見もあったのかもしれません。そのようなあうんの呼吸で、医療関係団体も納得したという感じではなかったか?この点は、今後の国家資格議論の上で重要と思うので、うろつきさんの追加のコメントをいただければ幸いです。

とはいえ、厚生科学研究の班研究の見解(医行為である)にもかかわらず、医事課が「医行為である」との判断を示さなかった事実は重要と思います。「自我への侵襲性」という考え方が、法律論上はあいまいかつ抽象的なものと考えたのでしょうね。他のコメント議論にもあるように、「自我への侵襲性」はいろんな分野に拡大されてしまいます。拡大された分野すべてが法律的に「医行為」となる危険性を、行政担当者や法律家は当然恐れるでしょう。この点は医療関係団体と監督官庁との見解の相違なので、そのままにしておくことはできないでしょう。

「医行為としないほうがよい」という医事課の「お墨付き」をもらったならば、精神保健福祉課としては医療分野限定でない汎用資格についても受け入れやすくなったでしょう。文部科学省の「臨床心理士」担当(官僚)チームとの交渉に、国会議員のリードでうまく入り、「文部科学省と厚生労働省の共管資格」という臨床心理士資格をまとめ上げたということですね。

今後のことでひとつだけ・・・。ここまで多くの国会議員も賛同し、霞ヶ関も動いた訳なので、私は次の心理職国家資格法案は、ぜひ政府提案(もちろん一本化した国家資格)で行ってほしいと思います。関係団体からの充分なヒアリングを行い、重要な情報は各団体に文書で提供しながら進めていってほしい。

もちろん、その政府提案を推進する国会議員の方々の力もますます重要になると思います。あすは総選挙ですが、心理職国家資格に理解ある代議士の方々にぜひ国会に戻ってきてほしいと願います。

「医行為」かどうかは、医療関係団体との議論も充分行うことはもちろんです。ただし、医事課が「法律の文言」として不適切と判断している以上、法案では医行為としないが、施行規則や通達、通知などで医行為性に言及し、「外延性」も定義していくというところが落としどころかなと思いますが、いかがでしょう(どなたかがすでに述べていたことと思います)。

もちろん、医行為性に関する検討や議論はまだまだ不充分ですので、「緊ブロ」では鋭意取り上げていきます。

2005年9月 1日 (木)

こころへの侵襲性をめぐって

医行為をめぐるキーワード「侵襲性」についてafcpさんからこんなご意見をいただきました。

afcpさん
> 「侵襲性があるとすれば医行為である」ということではないでしょうか。この2つは似ているようでかなり違います。
心理行為に限らず人がする事が無侵襲であるということは、ほとんどあり得ないと思うので、無視できない程度の侵襲性があるかないか、というところがポイントだと思います。故に医行為でないとして心理行為を行うならば、その低侵襲性をある程度証明する必要があると思います。

こころの分野に関しては、「侵襲」という言葉の広さ(広義性)が議論の混乱を招いているという気がしてきました。

「こころへの侵襲性」に関していうならば、親の子供に対しての方がより侵襲的な時もある。夫から妻が、妻から夫が強く侵襲されている、恋人からの侵襲、親友からの侵襲・・・。世の中は、こころの侵襲にあふれていて、その侵襲に傷つき疲弊した人々が、心のケアを求める。(「価値観」「社会的役割」に侵襲されている場合もある)

「侵襲」され傷ついた人々が助けを求めにくるので、彼らは敏感であり傷つきやすく依存的にもなる。ですから彼らへのかかわり自体が、「侵襲性」を帯びるリスクがある。傷ついた人に「がんばれ」と励まし、自殺に追い込むほど侵襲してしまうといったことが、日常の会話においておき得る訳ですね。

とすると、「こころにかかわる専門家」は、医師であっても心理療法家であっても、傷ついた彼らへの「侵襲性」をいかに減ずるかへの技術を持ち、「侵襲」されている自分に気づき「侵襲」を観察する力をサポートし、「侵襲」に立ち向かっていける「自分」を回復する援助を行っているということもできるでしょう。日常に発生した「侵襲」から自分を取り戻すプロセスが心の支援の本質のひとつということもできるかもしれません。

このような「侵襲からの自己回復」において、医師は「医」の文脈の基に介入を行い、それを「医行為」というのですね。入院治療や薬物治療は、「医行為」の典型ですね。これらは非常に侵襲的であるけれども、一方で「自己回復」を促すためのプロセスでもある。いや、「自己回復」プロセスにするために、サイコセラピー的関与が重要となるといってよいのかもしれません。

ですから、サイコセラピー自体は、「侵襲からの自己回復」を促進する(目的とする)ものとして定義することが、本質に最も忠実な考え方と思うのです。つまり、サイコセラピーは「侵襲されている人々」にかかわるという意味で、「侵襲的」となる宿命を持つが、「侵襲的であるところに本質があるのではない」ということです。本質は、「侵襲」からその人の自分らしい感覚と判断を回復するためのプロセスの支援にある。そして、そのための知識や技術の体系が臨床心理学の本質といってもよい。

ですから、サイコセラピーが「侵襲性」を理由に、医行為にされてしまうことは、サイコセラピーの本質とは異なる点が強調されているな、本質をわかってもらえていないな、という感覚をもってしまうのです。むしろ、人とのかかわりにおける「侵襲」を減ずる知識とスキルの体系が、サイコセラピーの本質であるからです。

「医の名のもとのサイコセラピー」は、医という文脈で侵襲性を持つことはわかります。医師の言葉は、特別な重みを持って患者さんに受け取られますから。その重みによって多くの必要な介入が行われている。その意味で医行為と言えるのだと思います。しかし、サイコセラピーの本質である「侵襲からの回復」的な性質を、医行為の文脈で上手に利用しているのではないでしょうか。

「心理の名のもとのサイコセラピー」は、医療機関で行われる場合でも、この「侵襲からの回復」という本質的機能が大切なのだと思います。医の世界にありながら、医の持つ侵襲性を減じ自己回復を促す役割が、心理によるサイコセラピーには最も求められているのだと思うのです。そうすることで、医療の質を上げ国民の生活に寄与するということでしょう。

心理士の中には、医師の名(権威)をかりて、忙しい医師のかわりに「医行為的サイコセラピー」を行うことが求められている人もいます。医師は薬物療法、話は心理士、という役割分担において典型的にあらわれやすい。このような発想を自然と考える医師(心理士)は、「サイコセラピー=医行為」も自然なこととして受け入れるのかもしれません。しかし、繰り返しになりますが、このような役割分担は、私はサイコセラピーの本質とは異なる「やむおえないやり方(できれば変えていきたいやり方)」であると考えます。

医師には「医としての侵襲性(影響力)」に気をつけながら(時には利用しながら)、そして「医としての侵襲性」をコントロールするために「医の名のもとのサイコセラピー」を行うことが求められる。一方、心理士は、「医としての侵襲性」とは異なる、侵襲され傷ついた人が持つ「侵襲されやすさ」に充分配慮しながら、「侵襲からの自己回復」を支援する「心理の名のもとのサイコセラピー」が求められていると思います。

そして、国家資格は、上記に述べた ”「医としての侵襲性」とは異なる、侵襲され傷ついた人が持つ「侵襲されやすさ」に充分配慮しながら、「侵襲からの自己回復」を支援する「心理の名のもとのサイコセラピー」” を行う人を国が保障することであると思うし、国民にその名を広く伝え、国民が安心してその名を名乗る専門家を利用できる制度や社会を作ることと考えるのです。

もちろん、「侵襲されやすさ」への充分な配慮には、「限界」「リスク」「依存性」などがキーワードになるでしょうし、心理士にはそれに関する厳しいトレーニングが求められていると思います。

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